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インクルーシブ教育

インクルーシブ教育について考える。
そして、もやもやする。

インクルーシブ教育が進めばいいなと思う一方、現実は、平熱先生が書いてあるとおり、「分ける」ことで救われている子どもや保護者がたくさんいるってこと。

うちの甥っ子も小学校時代、子どもたちのみならず、担任の先生からもいじめにあった。
先生からいじめられるってどういうこと?って思うけど、そんな先生がいるのが現実。

だから中学校を選ぶとき、「みんなと同じ中学校には行きたくない!」と。
いろんな方々の協力があり、支援学校に入学することができた。
いじめられた先生や生徒と離れることはできたけど、小学校時代に受けた心の傷が未だに甥っ子を苦しめている。

当たり前だけど、支援学校にもいろんな先生がいる。
約1か月前、とあることがきっかけで、小学校時代の担任を思い出しフラッシュバックが。
それから学校に行けていない。

平熱先生もこんなことを書いてある。

マジョリティ側にどっぷり浸かってしまうと、いろんなことを想像する力を失ったりするのだろうか。

上から目線っぽくなってしまうけど、個人的にはマジョリティ側に立ち続けるのではなく、マイノリティ側から社会を見る経験を積んで欲しいと思う。

先日、気になった記事がこれ。

「それって理想論でしょ」という先生もいると思うけど、少しずつ、「叱る」ではなく「褒める」にシフトして欲しい。


支援学校の生徒は、かなりの割合で、過去、いじめを体験している。
だから、一番最初の平熱先生の記事の内容に戻るけど、支援学校に入ること(学ぶ場所を分ける)で救われている生徒もたくさんいる。

障がいを抱えていない子どもたちの行き場所がない。

そんな話を最近、耳にするようになった。
グレーの生徒の行き場所がない→支援学校に行きたいけど…
いじめにあった生徒の行き場所がない→支援学校に行きたいけど…

日本では、年々、不登校の生徒は増える一方。

生きづらい社会、いきづらい学校、
不寛容な社会、不寛容な学校、

インクルーシブとは甚だ遠いのが現状。

まずは、教員一人一人が、そして、生徒一人一人が多様性を受け入れられる学校づくりをしていく必要があるのでは。

そのためには、まずは、多様性を受け入れる社会づくり。
誰一人取り残さない社会の実現に向けて。


<追伸>
最近、政治家や首長がビックリするような発言をしているけど、これもビックリした。
それにしても不登校が親の責任ってどういうこと?
マジョリティ側の人は、あまりにも分かってなさすぎる。残念( ;∀;)

先日参加したイベント^^

後半の動画はYouTubeにあがっています(^^♪

インクルーシブ、いじめ、不登校について、ずっと書きたいと思っていたけど、うまくまとめきれず。とりとめのない文になってしまいました。
読んでいただき、ありがとうございますm(__)m