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メンタルのふりかえり。

大きな事件が起こったわけではないのですが、やる気が起こらず、あまり人とも会いたくなくて、しばらく心がオフモードでした。が、やっと復活してきました。何が原因でこうなっていたのか。どうして回復してきたか。これからどんなアクションが必要か。自分なりにメンタルを分析しておきたいと思いnoteを書くことにしました。

その1. 娘のこと

先日、数ヶ月ぶりに中一の娘が学校に行きました。二人で電車に乗って学校へ一緒に向かい、メンターさんがついてくれ5時間目のプログラミングの授業に加わりました。カットしたばかりのサラサラのロングヘアを靡かせて、少し前髪を気にしながら彼女はクラスに入っていきました。本人が行きたくて、本人の意思で学校にいった。その事実だけで、心が軽くなります。あー、こんなに心が晴れやかになる。やっぱり、割り切っているつもりでも、学校に行っていない後ろめたさが私の中にはびこっていたのかもしれません。

少し娘のこれまでを書いておきます。

小学校の高学年から学校に行かなくなり、公立中には登校せずN中生になるという選択をした娘でしたが、楽しそうにしていたのも束の間でまた家で過ごすようになっていました。何が原因なのかは、私にもよくわかりません。人間関係で何かあったのか、思春期特有のものなのか、本気で体調不良なのか、はたまた母親としての私の問題なのか。朝は起きないし、起こすとキレるし、スマホばっかり見てるし、お菓子ばっかりで野菜食べないし、脱いだ服はその辺にポイだし、飲み掛けのペットボトルはそのままで、ずっと片耳イヤホンで返事しないし、よく分かんない配信きいてるし、まあそれらは置いといて。あんなに楽しそうにしていたのに何で行かなくなっちゃったんだ?
明日は行くー。と、前日の夜に言っていても、当日の朝に起きれなくてダルそうに返事もせず結局行かない。という日々が続きました。行かなくてもいいんだけど、行きたいと思えた学校なんじゃなかったんだっけ?ここなら通えるからって、パパにお願いしてやっと許可ももらったくらいの決断ではなかったの?もしや、体調不良?クリニックに行くべき?いや、思春期あるあるなのか?にしても、何をどうしたらいいんだ?
行くの?行かないの?と攻めたてるのも、何だか違うし。今日こそきっと行くと信じて娘を家に残して出勤するものの、帰宅すると行っていなかったという日々が続き、私自身の心も重くなっていきました。

これでモヤモヤから脱出したわけではないけれど、一歩は踏み出せた。よどんでいた空気に、新しい風が吹いた感じです。娘の中でどんな変化が起こっているのか、その辺は改めて書きいと思っています。

その2. コロナのこと

第9波でコロナになりました。コロナにならないと思っていたのですが、なりました。まあ、なったらなったでそりゃ仕方ない。一週間ほど仕事を休みましたが、周りにフォローいただきおかげ様でどうにかスムーズに職場には戻ってこれました。
ただ、体調が回復していくのとは裏腹に、味と匂いが全く感じられなくなっていきました。後遺症は人によるようですが、私の場合はこの味覚・臭覚障害が長引きました。味覚の秋なのに、何を食べても美味しいと感じられないのです。これは、何だか、心がぜんぜんアガらない。味や匂いを感じられることが、どれだけ私の人生を豊かにし、ご機嫌にしてくれていたのか。思い知りました。感じられること、そのこと自体が幸せだったのです。『幸せだから感謝するのではない。感謝できることが幸せなのだ。』以前、いただいたカードの言葉が刺さりました。

香り、味、音楽、アート、ファッション、五感で感じて心に響かせること、それ自体が幸福なのでした。味覚と臭覚を失ったことで腹落ちしました。お風呂上がりでさえビールを飲みたい気持ちが起こらず、私どうしちゃった?しばらくそわそわしていました。そんな自分にやっと慣れてきた、といったところです。
でも、よく考えたら食にまつわる「味わい」って味だけではないんですよね。食感とか、色彩や質感、栄養素や過去に味わった時の記憶、作り手の想い、イメージ、誰と食べるか、未来の妄想も含めて、味わいは無限大です。なので、今は少しづつ戻ってきた味と、それ以外の要素も存分に感じることを目指して、観察と想像に集中して味わうようにしています。あと、食べる以前に、何をどう食べるか?それは本当に食べたいものなのか?を、意識して考えるようになりました。ちゃんと空腹の時に、心から食べたいと思うものを、適量だけ食べる。意外とこれ、難しいです。

その3. UDダンスのこと

実は、一生続けるつもりでいたUDダンスをこの夏に辞めました。踊っていても、楽しいと感じられず、私らしく表現することができなくなってしまったからです。

UDの活動は、楽しくて、面白くて、未来をつくるという想いもあったので、仕事以外の相当の時間と、思考と、パワーを注ぎ込んできました。一方、振り返るとその裏で、娘を後回しにして寄り添えていなかった反省があります。娘の隣にいる私がイキイキとしていことに価値があると信じて背中を見せてるつもりでしたが、突っ走ることの意味が揺らぎました。
そもそも、私がUDを通して目指していたもの。それは、『自由』です。その人がその人らしくいる。その自由を私自身が体現しながら、誰かを励ますことになったらいいなー。と、いつも想いながら踊っていました。だから、UDダンスはあくまでも手段なのです。目的は、私自身、そして私の周りの人が自由に生き生きとすること。だから、まずは娘のためにも、自分のためにもゆっくりとした時間をつくろうと考えました。そしてこの決断は、私自身の心の声に素直に従った選択なので、辞めたことは決して自己犠牲ではありません。私が娘と幸せになるための選択でした。

人生の糧となる学びと、仲間との思い出をたくさんもらったキラキラした2年間でした。 UDダンスを始める時に目標としていた、自分で振り付けた作品をステージで披露することも叶いました。
ただやはり、終わりは切ないです。一生やるつもりでUDダンスを発信してきましたし、アイデンティティの一部をを失いしばらくぼーーーっとしていました。でも、これにもやっと慣れました。今は、手放すことで、きっとまた新しい何かに向かうんだ、そう思うとワクワクもします。そして、そう感じられる自分になってきたことに、そうだよそれそれ、と。私がワタシににっこりしています。

心がオフの時にしていたこと

やっと気持ちが落ち着いてこんなふうに書けるようになるまでには、ひたすら無理なくやるべきことをして毎日を過ごしていました。オフでもそれなりに安定していられたのは、色々な"おかげ"があるように思います。

まず、仕事のおかげ。集中できることがあるのは、本当にありがたいです。通勤してその場に行くこと、私を信じてくれている人がいること、任された役割があること。そのおかげで私自身が保たれているんだということを実感しました。転職して3年目、色々見えてきて何かと不満もあったりはしますが、今の職場には心から感謝しています。

そして、この身体のおかげ。心がオフだったので、ヘアサロンや歯医者や整体に行ったり、ネイルケアしたり筋トレしたり、ちょっといいボディクリームを買ったり、身体のケアを意識しました。基本がポジティブなので、忙しくてもセルフケアせずとも前向きでいられたりするため後回しにしがちで、体には知らず知らずのうちに我慢させてるところがあるような気がします。
何だかおかしな言い方かもしれませんが、これからは私は私に感謝するという視点を意識して持とうと考えています。思うように動いてくれる身体を持っている、それはなんて幸せなことなんでしょう。

そして最後に、HUCのおかげ。想いを共有している仲間がいることのありがたさを、ひしひしと感じています。何かあっても、私にはHUCのみんながいる。本当に心の支えになっていて、このコミュニティのあり方やメンバーの活躍に、たくさん励まされています。サードプレイスの必要性や効果は、世の中に充分理解されてきているように思いますが、自分らしくいられる場所を見つけるのって、それなりの努力も必要ですし簡単なことではないのかもしれません。なので、改めて今、幸せをかみしめています。

これから意識したいこと

「アクティブですね。」と言われることが多いのですが、私の中には、動き続けて変化していきたいという欲求があるようです。もっと面白いことがあるんじゃないか、こうしたらどうなるんだろう、と不安が無いわけではありませんが、いつもそんな好奇心が私をかりたてます。だから、自由にできる環境がないと、私らしさを発揮することができません。
一方で、今回、こうして心がオフになってしまったのは色々な現象が重なったこともありますが、その自由すぎる環境の中でちょっと迷子になっていたようにも思っています。先日、HUCのマネジメント研究会で「ずっと継続していることは?」という問いに何も出てこなくて愕然としたのですが、今、改めて考えると、矛盾しているようですが、自由に思いのまま変化していくためには、変わらずにやるルーティーンのようなものが必要なのかもしれません。心と体を整えて自分を保つためのルーティーンを、これからつくっていきたいと思います。

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