過去の自分を好きになる。
毎日自分の頭の整理にと自分に言い聞かせてることをつらつら書いていてふと、思った。
「頑張らなくていいんだよ」「今のままで良いよ」という限界まで頑張っている人へのメッセージや、その反対の「ライバルは自分!」「目的達成には行動こそ命」のような厳しいのも割と読まれるんだなぁと感じてる。
相反する人たちが同時にいる、そんなプラットフォームに興味深く思いながら、どっちの人にも当てはまらない人って、その人たちはどんなメッセージを持っているのだろうか。過去の自分にそんな時あったかも。そんなことを思った。
オタク、目立つ人、そのどちらでもない人。
6.7年前にふと考えたことがあった。オタクと言われる人はニコニコ動画やツイッターの中で発信する場があり、承認欲求が強い人はYouTubeやブログを駆使して活動、リアルが充実してる人はSNSに興味なしで問題なく過ごす。
僕といえば、オタクといえるほどでもないし、承認欲求が強くない、リアルがそこまでも充実してるかと言われれば疑問、という感じで、SNSはとりあえず使ってるけど当たり障りのないことのみ。
他人を激しく批判したり、相手を惹きつけるような、炎上するようなことを言ったり、そんなことをしたいほど承認欲求が強くなく、「これはしてはいけない!」など見ると「やったら良いこと言えば良いのになぁ」なんて思ったりする。
このタイプの人ってなんか捉え所がない。「このセグメントにいる人、どこにいけば良いんだ?」と、はてなマークになったことがある。
オタクといえば今やイメージが変わり流行も生み出すほどだ。そういった人たちのためのプラットフォームの出現が大きいこともあるが、僕のようなどこにも当てはまらない人って、あぶれてるようなそんな気がしていた。
あの時からだいぶ時間がたったが、その捉え所のないタイプのあの人たちはいるのだろうか。いるとしたら、きっとここにはいない。だってとくに決まった場所があるわけではないから。
それどころかもう新たなセグメントが出来てるかもしれない。時代は常に変化している。
誰も読まないかも知れない、共感する人がいないかもしれない、今日はそんな過去の自分に書いてみよう。
間違いなく…これ。「周りを気にすぎる」
周りを気にしすぎだ…。残念ながらこれに尽きる。周りを気にしすぎな特徴に、やってはいけない事ばかりを言う、ところがある。自分で活動を積極的にしているわけではないから、自分なりの答えを出すことに慣れていない。
そのため周りばかり見ているから、「それは変だなぁ」というのはよく思う。それもそんなおかしな指摘ではないことも多い。答えを出すことをしない代わりにたくさんみてるからだ。
周りを気にしすぎるからSNSも積極的に発信できない。自分の思っていることも書けない。このタイプの困ったところに、ニックネームでアカウントを使ったり、鍵垢を使って言いたい事をを言う、というのが嫌いな傾向がある。
プライドが高い
鍵垢を使って言いたいこと言ったり、ニックネームで自分を特定できない形で情報発信したり、そういった行動は逃げてるように見えるためやりたがらない。自分は何か活動を積極的にやってるわけではないけど、なぜかプライドは高い。
何かをやるにしても理想的なカッコいい形で始めたいから、それができるまでは自分は始めない、と思っている。そのくせ、カッコつけるのは嫌いだったり、人前で承認欲求を満たしてる人を見るとなんか違うと思ったりする。
だいたいこの二つが自分の中で大きく占めていて、捉えどこのないタイプを作っている。
嫌いじゃない、そんな自分も。
過去を振り返ってみて、プライドが高く、周りを気にしている、それにより積極的に行動や情報発信できないことによって捉えところのないタイプを作っている、そんな自分。嫌いじゃない。嫌いじゃないなぁ…。
今の自分は毎日のように情報発信をして、まだ少なすぎるから増やそうと思っているくらいに変わっている。昔から比べると、いわゆる「成長した」といえるかもしれない。でも、そんなことはない。
今の自分から見ても、そんな自分は嫌いじゃない。そんな人がもしこの記事を見てたとしても、そんなあなたは僕は嫌いじゃない。過去の自分に言いたい、そんなことも確かにある。でも今こうやって昔の自分を思い出すと、もし本当に会うと、意外と今の自分、良いなあ、と思ってしまうかもしれない。
そんなところから今の自分があると思うと嫌いじゃないなぁ…。
未来は今の連続。過去は変えれる
今という瞬間の積み重ね、今何かをすることで、できることが増え、未来は変化していく、そう考えれば未来とは今。今によって未来がある。そしてその今は過去になる。つまり今によって過去すら変えることができる。
そうなると今に集中して生きることは大切だ。とはいえプライドが高く生きたり、周りを気にして生きてもかわまわない。ただただ今に集中して生きれば良いと思う。それによって未来がきて、過去にもなり、その過去は今の捉え方で変えることすらできる。
過去を素敵だなぁと捉えることがポジティブの始まり。
今に集中していると未来はポジティブになる。今の積み重ねで未来がやってくるから集中してやっていることがそのまま未来には積み重なってやってくる。そしてそれが過去になる。そうすると、今を集中→未来がポジティブに→過去も素敵に、というふうに時間が全て素敵になる。
そんな今をうまく捉えられない場合、過去の自分を「そんな自分も好きだなぁ」と思うと良いかもしれない。今はなかなか動かない、未来はまだ来てない、でも過去はあった。それなら過去の自分を好きになることから始めよう。
過去の自分を好きになると、今の自分にもポジティブに認められる、→未来がポジティブに捉えやすくなる→過去もポジティブなものになる、のループが作れる。
そんなことを含めて考えると、過去の捉え所のないタイプの自分が嫌いじゃないなぁ、と思えてるってことはわりと今楽しいのかもしれない。未来も過去も今もポジティブな瞬間の連続なんだろなぁと思う。
まずは「過去の自分を好きになる」きっと誰にでもできるはず。そんな自分を認めてあげる。世界で僕しかできないことだ。
ちなみに今日のアイキャッチは全く関係ない、最近ハマってるコーヒーサーバーとマグカップ…笑
そんな自分、嫌いじゃないなぁ…。
毎日ジャズピアニスト。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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