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より良い集中とは〜フロー状態の情報理論的分析〜

イントロ

現代人の集中力持続は金魚以下」という衝撃的な記事が、タイム誌で取り上げられました。この記事によると、マイクロソフト社の研究で、人々の集中力が年々減少傾向にあり、2013年には持続時間が8秒まで短くなってしまったというものです。また、記事の中では、金魚の9秒より短いと言及され、「現代人の集中力持続は金魚以下」というセンセーショナルなタイトルが付けられました。
(※マイクロソフトの研究では、金魚の集中力には言及がなく、プレスリリースなどの過程で、比較対象として金魚が入り込み、広く報道されるようになったようです。金魚の集中力持続時間については諸説あり、また、人と金魚の比較に意味があるのかという指摘もあります。)

この記事が話題になった要因としては、金魚の貢献が大きいですが、現代人のひとりひとりが集中力が低下していることを実感していたことも大きいように思います。TwitterやFacebook, Line, Instagram, TikTokと人々の集中力を奪ってしまうものが、身の回りに多いです。また、仕事においても、Slackなどのチャットツールが整備されて、たくさんのメッセージ通知が押し寄せてきます。それらの通知をOFFにしない限り、10分も同じ作業に取り組むのが難しいと感じる方が多いのではないでしょうか。

そんな現代の環境のため、集中力を高める研究に注目が集まっています。その中でも、心理学者のミハイ・チクセントミハイが提唱した「フロー」という概念が注目されています。この概念は、教育、スポーツ、ビジネスの場においても活用され始めています。

この記事では、まずフローについて解説します。その後に、フロー状態になりやすいタスクを情報理論的に分析したという最近の研究を簡単に紹介したいと思います。また、最後に、今後の集中に関する研究の方向性について、個人的な考えをまとめたいと思います。

この記事の目的は、記事を書くことで自分の理解を深めるのと、情報理論×人文学のおもしろい研究が増えているので、それをすこしでも紹介できればというものです。

フローとは

フローは、ポジティブ心理学の研究者であるミハイ・チクセントミハイによって提唱された概念です。日本語では、「没頭する」や、スポーツの分野での「ゾーンに入る」で、説明されることもあります。フロー状態に入ることで、パフォーマンスの向上のみならず、ウェルビーイングも向上することが報告されています。

フロー状態がどういうときに起こりやすいかを理解するために、以下の図が分かりやすいです。自分が知覚している「技能(スキル)レベル」と「挑戦レベル」をx軸とy軸にとったものです。

フロー状態の図(ウィキペディアより

スキルが無いのに、すごく難しいタスクに取り組むと「不安」を感じますし、スキルがあるのに、すごく簡単なタスクに取り組むと「退屈」や「リラックス」を感じます。
フロー状態は右上の領域に対応しており、次の3条件を満たすと、フロー状態に入りやすいと言われています。

  • 挑戦・スキルバランス:現在の能力に見合ったチャレンジをしていると感じる

  • 明確な目標:何をすべきかを明確に感じる

  • 明快なフィードバック:自分自身の行為に関する即座の明確なフィードバックがある

このフローの概念は、スポーツ、教育、ビジネスなどの多岐にわたる分野で活用されています。ビジネスの場においては、社員の生産性向上の文脈で、フローが起きやすいような仕事の割り振りやフィードバックの仕組みなどの、仕事環境改善に活用されています。

フローの情報論的分析

さて、2022年4月に「A computational theory of the subjective experience of flow」というおもしろい論文が発表されました。この論文では、フロー状態になりやすいタスクの条件を情報理論を用いて分析しています。

この論文では、望ましい最終状態Eと、それを達成する過程で得られるMという2つの変数をもとに、相互情報量というものを計算します。そして、その相互情報量が高いほど、フローが起きやすいと主張しています。
EとMの例として、論文内で次のような例が説明されています。

  • 小説を読むことにおいて、Eは「主人公の運命を知る」、Mは「次の章を読み終える」

  • タンゴを踊るにおいては、Eは「相手を感動させる」、Mは「右足が左足を追い越して前に出る」

相互情報量は、Mを知ることで、どれだけEに対する不確実性を減少させるかを定量化したものです。そのため、Mを知っても、Eに対する情報が得られなければ、相互情報量は低く、フロー状態にもなりにくいです。
論文では、スロットマシンが相互情報量が高い例として挙げられています。スロットマシンでは、Mが「スロットマシンの絵柄を見ること」、Eが「配当の大きさ」です。つまり、絵柄Mを見るまでは、配当の大きさEは不確実性が高いですが、絵柄Mを知れれば、不確実性が排除されます。(絵柄Mに関わらず、ランダムに配当を出すスロットマシンを考えると、たしかに熱中度合いは下がりそうだと思います。絵柄Mを知っても、配当Eの不確実性は減少しないです。)

論文内ではいくつかの簡単なタスクを設計して実験しています。その結果、相互情報量が高いタスクほど、フロー状態になりやすいと報告されています。

相互情報量(I(M;E))とフロー状態の図

また、論文内では、おもしろい分析として、じゃんけんと奇数偶数あてゲームを比較して、じゃんけんのほうが相互情報量が高く、フロー状態になりやすいと報告されています。(奇数偶数あてゲームでは、参加者が二人いて、片方がまず偶数か奇数を宣言します。そして、参加者それぞれが1か2をせーので出します。その合計が、宣言された偶数奇数と一致していたら、宣言した方の勝ちです。)

この研究のおもしろいところは、フロー状態という定性的に議論されてきた研究を、情報理論という切り口で、相互情報量という計算可能な仕組みを導入したところにあると思います。各タスクごとに相互情報量が計算できるので、今後いろんなタスクの相互情報量とフローの関係が分析されていくように思います。そして、相互情報量の観点からフローになりやすいタスクの設計がされていくでしょう。

今後の集中に関する研究の方向性

この記事を書いているときに2冊の書籍を読んでいて、それが今後の集中に関する研究の方向性を考えるヒントになりそうなので、その本をまずご紹介します。

1冊目は、「モチべーションの心理学 「やる気」と「意欲」のメカニズム (中公新書)」です。この本は、モチベーションに関する代表的な研究が、体系的にまとめられています。その書籍のあとがきが、ハッとさせられる内容でした。

本書では、とりわけ「達成」へのモチベーションに着目してきた。モチベーションという語から多くの人が連想するのが、何かを成し遂げるためのやる気や意欲だからである。
しかし、ここであらためて考えてみたいのは、モチベーションを達成と直接結びつけるためのこのような発想には、ある種の思い込みが潜んでいるのではないかという点である。

このあとに、「夜と霧」の著者のヴィクトール・フランクルや、カミュの「ペスト」の主人公の言葉を引用しながら、「得る意欲」や「成る意欲」ではなく「居る意欲(being)」の大切さを説いています。そして、次の文章でまとめています。

「居る意欲」という切り口によって、モチベーションを支える環境の重要性についても、再認識することができよう。human doingを前提とした「達成」ばかりに目を向けるのではなく、そもそもわれわれがhuman beingであることを自覚し、一人ひとりの日々の営みの背後にある「誠実さ」を土台とするモチベーションをサポートするような環境を整えることもきわめて重要な課題なのだ。何よりも「誠実さが報われる社会」であることが求められるだろう。

2冊目は、公認心理師の東畑開人さんの「居るのはつらいよ: ケアとセラピーについての覚書 (シリーズ ケアをひらく)」です。この本では、沖縄のデイケア施設を舞台に、「ただ、居ること」の難しさや大切さが、たくさんのエピーソードを通じて語られています。デイケア施設では、なにかを「得る意欲」や「成る意欲」ではなく、ただそこに居ることが重要で、「いる」ために「いる」ことを目指すコミュニティであります。時間の流れも直線的でなく、毎日が同じように繰り返される円環的であると指摘されています。

さて、この2冊の書籍を読んでいると、Beingの重要性が今後より増してくるように思います。そこで、集中に関して、Doing/Beingという軸と、一人/複数という軸で分けてみると、次のように整理ができるかもしれません。(以下は個人的な考えです。)

集中に関する分類

この記事の前半で説明したフローは、主に左下の領域で、個人で何かを成し遂げるときの没頭力に関するものです。
左上は、複数にフロー状態になるというもので、複数人での楽器演奏やスポーツにおいて見られるものです。2021年の東北大の「世界初、チームが「ゾーン」に入ったときの脳活動が明らかに!―チームフロー特有の神経活動の発見はチームパフォーマンスの予測と強化に適用できる―」という研究では、複数人でゾーンに入ると脳活動が同期することが確認されています。

右下の領域は、ただそこに居ることに集中したもので、瞑想などが当てはまります。右上の領域は、焚き火を囲んで複数人でただそこに居ることが当てはまるように思います。

集中に関する研究は、主に左下の領域をメインにされていますが、今後は他の領域の研究も増えていくように思います。また、その研究も、今回紹介したように情報理論に基づくもののように、原理的に解明しようとするものがより増えていくと思います。例えば、自由エネルギー原理という人の知覚や行動を統一的に説明できる理論が、注目を集めています。そういった、原理的なアプローチで、今まで定性的に議論されていた領域が、より解明されていくと思われます。そして、右上の複数人でBeingするという言わばウェルビーイングのより良いあり方が、原理的に解明されていくかもしれません。

まとめ

この記事では、フローについて解説したあとに、情報理論を用いたフロー状態になりやすいタスクの分析という最近の研究を簡単に紹介しました。そして、最後に、今後の集中に関する研究の方向性について、2冊の書籍を紹介してDoing/Beingという軸と、一人/複数という軸で整理しました。今後の研究としては、一人でDoingするという以外の領域の研究がより進んで行くように思います。

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