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過度な手洗い/潔癖の方から自分の強迫性障害をみる

※昨年掲載した記事に加筆をしました。

僕は強迫性障害を持っていますが、
主に戸締まり確認や加害への不安、ありもしない不安への反芻思考など。

一般的に強迫性障害の症状には、手洗いを多く繰り返す行為や
過度な潔癖による強迫行為も代表する症状の1つとして挙げられますが、
僕にその強迫観念や行為は全くと言っていいほどにありません。
電車のつり革も平気で掴めますし、その手でマックを食べたことも何度もあります。近年こそは手洗いは意識するようになりましたが、
何度も洗うのではなく、毎回1度の手洗いで済みます。

この場合で興味深いのは、同じ強迫性障害でも個々によって
何に不安を感じるのか、何に強迫観念を繰り返すのかが明確に違う点です。もちろん、確認や加害の強迫と
手洗い等の強迫を同時に抱えている方もいると思われますが、
中には僕らから見ても「そこに強迫観念もつの?!」と驚くような
強迫観念を持っている方もいるでしょう。

つまり、ある一定の確認や不安は生きる上で大事ではあると思いますが、
過度な確認行為や考えは同じ強迫性障害を持つ者同士でさえ、
互いに他人の強迫観念に対し「別に大丈夫っしょ」と思える点があるのです。もちろん強迫観念や行為への正しい治療法や対応は、専門家の下でのアプローチも大事であると考えます。

補足として話を戻しますが、僕の感覚では過度に手洗いを止められない方のエピソードには「その強迫は分からないけど、気持ちは分かる」という感覚です。僕には手洗いを止められないという方の強迫の根源、何が不安の核なのかは分かりませんが、自分の強迫観念と照らした際には痛いほどその気持ちや脳内での考えは分かるのです。

だからこそ、他人の強迫観念を自分の症状から照らし合わせて、
「逆に他人はこうして不安に感じないんだ!」
「同じ強迫性障害でも考え方1つでこの部分は強迫観念は無いんだ!」
などの他者から学び気づく点や考え方の選択肢の1つにすれば
少し心が軽くなるのかもしれませんね。


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