いつか届くことを願って
先日のイベントが落ち着いてふと、昔のことを思い出した。
引きこもり明けくらいで出会ったある女の子の話だ。
当時高卒で入った会社に馴染めず、諸々あって引きこもることになったのだが、なんやかんやで復活してきた頃。
ちょっとしたきっかけである分野の勉強をすることになって、その時に知り合った子だった。
今思えば、僕がこういう施術をやることになったキッカケなのかなって思ってる。
名称はぼやかすけどいわゆる「占い」のような感じで、それを使って人間関係を円滑にしていこうという内容だった。
引きこもった時に心理学とかスピリチュアルといった精神世界に出会い、自分の生きにくさの答えはここにあると思っていた時期でもあった。
その子(以下Aちゃん)は僕と持っている性質が似ていて、その性質を持つ人の特徴として「感受性が鋭く、目に見えない世界を認識する」というようなものだった。
勉強会や講演会に出るという形で足繁く通い、それなりにモノにすることができた。
「自分探し」を本格的に始めたタイミングでもあったからどっぷりハマり、毎日寝るのも忘れて学びまくった。
どうやらこの世界は「陰陽」というルールがあるらしく、その要素を生年月日を用いることで個人にも備わっていることがわかるみたいだ。
しかもこれはこの世界の土台的な部分であるから揺らぐことがない。だからここを押さえておけばあらゆることに応用が効くという素晴らしいものなのだ、と。
そんなことを講演会とか勉強会後の懇親会とかでいうのだから当然面白がられて、ちょっとした有名人になった。
その噂を聞いてか、僕にあって欲しい人がいると言われて会ったのがAちゃんだった。
彼女は当時中学生くらいだろうか。
なんというか少し緊張していて、周囲を落ち着きなく観察していた気がする。
正直何話したかはもう覚えてないがとにかく
「その感覚は何も間違ってない」
「よくその違和感を抱えたまま頑張ってきた」
「マジですごい、よく頑張ったよ」みたいなことを延々言ってた気がする。
本当にキツかったんだと思う。
何がわからないかわからないんだけど、とにかく「嫌だ」っていうのはわかるんだよ。
でもそれって、赤ちゃんじゃないから言葉を使って人に伝えないといけないし、そしてそれが相手が理解しやすい形じゃないといけない。
大人ならまだしも、まだ学生で、しかも思春期。
心身の変化が大きい時に、自分のこのもどかしさを整理しろだなんて無理な話だ。
論理的な講釈とか、解剖学的な話とか色々聞いてきた。
思春期だからとか、あの子はちょっと変わってるからとか。
理解できないことを、それっぽい表現に当てはめてみようとしないって人の得意技なんだけど、これってマジで効くんだよね。
別に人に迷惑かけたいわけじゃない。
本当は仲良くしたいし、ちゃんと話ができるなら伝えたい。
でも無理なんだよ、自分でも何が何だかわかったもんじゃないんだから。
感情だけが先行して、そのエネルギーの行き先がないってキツイんだよね。
この気持ちの扱い方は学校では教えてくれない。
だから両親も先生も知らないことがほとんど。
知らないことって実感も想像もできないから目の前の彼女に対する接し方がわからなくなる。
面倒ごとを避けたければ「感受性が豊かなので」と言うし、そうじゃなくても腫れ物に触るように変な距離感が生まれる。
そういうことが当時の僕でもなんとなくわかったのでとにかく心に言葉を置くように話しかけ続けた。
彼女を見てて、周囲の大人にものすごくムカついたのを覚えてる。
ふざけるなと思った。
なんでわかんないんだとも。
それがわかるのは随分先の話だった。
多分、ちょっとだけこの時の話が良くて、そこから仲良くなったわけなんだけど、僕も人のこと言ってられないくらい内面がぐっちゃぐちゃだったので、その分野のコミュニティで嫌なことがあって今では疎遠になってしまった。
風の噂で、今は好きなことを仕事にしてるらしい。
かなり前の話であるけれど、きっとその時に「自分と似たような人の力になれたらな」って言うのはあったんだと思う。
僕もキツかった時は、今の自分みたいな「なんとなくわかってくれる歳上」が欲しかった。
もうね、大人のことなんて信用できないんですよ笑
そこまで見れるだけの心の余裕がまずない。
一番身近な家族でさえ、味方でいてくれる保証がない世界だ。
死なないために心を閉じることが精一杯で、とにかく生存のために持てる力をフルに活用する日々を送る。
でもさぁ、悔しいじゃん。
俺本っっ当に悔しかったわけ。
なんで自分が持ってるものが、たまたま少数だったってだけでこんな意味わからん仕打ち受けねばならんのだ笑
誰よりも何よりも自分に誠実であろうとしただけなのに、なんでそれをそっち側の尺度で測って、自分が経験してきた領域の中で完結させようとするんだよふざけるな笑
こっちが反省しないといけないことなんて何1つない。
馴染めないことを知ってて、違和感があることから逃げず、それでも世界と対話することをやめなかったお前は世界で一番カッコいいんだ。
泣いても怒っても、不貞腐れても、それでも諦めきれないものがあったんだろうが。
それを大事にし続けたという事実はこれからの人生の最高の宝になる。
いつか、あの頃折れなかった自分を誇れる日がやってくる。
「生きてていいんかな自分って」って言う気持ちがあるのが当たり前で生きるのって本当にキツイんだよ笑
いいに決まってるなんて言葉が入るわけもない。
でもさ、聞いてくれよ。
自分以外の存在って神でもなんでもないんだ。同じ人間なんだよ、残念ながらね。
僕にとって両親は神のような存在だった。
ご飯も作ってくれる、学校にも行かせてもらったし、必要なら車も出してくれる。
頼めばなんでもしてくれるこの人たちを神だと思った。
でも中学くらいで「なんか言ってることおかしいな?」ってなった。
それが繰り返されて行った時に「両親って神じゃないのか?」ってなるんだ。
この時思ったね「神は死んだ」って。
この人たちの言うことを聞いてた俺はなんだったんだ。
今まで言うこと聞いてきた俺の人生って、なんだったんだってなるんだよ。
でも、それでも生きてかなきゃいけないんだな。
俺は言われた気がしたよ「それでもこの道を進みますか?」って。
知った顔で偉そうなこと言いやがって、やめるわけねぇだろって思った。
自分の施術が、やってることが広がるにつれてどんどん自分だけの命じゃなくなっていくのを感じる。
不安になることもある、怖いと思うことも多い。
でも、この恐怖が俺をここまで連れてきたんだよ。
これは必要なもので、とても大切なことなんだ。
自分の嫌なところや醜いところはこの世界に繋ぎ止めておける重力のようなものだ。こことの対話なしに、人に寄り添うことなんてできやしない。
自分てダメだなって思うよな。
なんでみんなと同じようにできないんだって凹むよな。
何がやりたいのかなんて考えたこともなかったよな。
特に理由もないのに焦ったり怖くなったりするよな。
仕方ねぇよ、だって知らないんだから。
スポーツと同じさ、自分のことを知るのも「やり方」と「練習」が大切なんだ。
漢字の書き取りとか計算練習とかそう言うのと同じ。
ただ目に見えない部分だからイメージしにくいだけ。
実はみんなできるんだよ。
馴染みがないだけ。スマホも使いこなしてるじゃんか。
キツさって減りはするけど無くならないんだよ。
不安も怖さも生きてるうちは消えてくれない。
影みたいなもんだ。日が落ちてくると出てくるんだ。
でも敵じゃないんだ。
話してみるとどうしてそんな怖がらせるのか教えてくれるんだよ。
なんというか、とにかく「独りじゃないんだよ」って言いたかった。
今まで良く頑張ってきたなって。
できることはそんなにないんだけど、君が頑張ってきたのはわかるよって言うのをとにかく知って欲しかった。
今でこそ俺は「理解されないって最高」だと思えるけど、それは「理解されないの本当にキツイ」があるからこそなんだ。
「独り」はきちぃのよ。
物質的に近ければ近いほどキツイ。
一番近いのに一番遠いんだぜ?
離れてても心は1つの方がよっぽど救われるわ。
想いに距離なんて関係ないからな。
だからまずは自分の身体と心の距離がどのくらい離れてるのか気づくことからだと思った。
そうすれば、自分で自分を見てあげられて、周囲にも意識を向ける余裕が生まれる。
サイキック整体はそういうことができる施術だ。
この施術は共同創造だ。
僕の力だけじゃない、君の持っているものも一緒にその時点における最然を実現するものだ。
人はとても素敵なパワーを持ってる。
命を繋ぐことが前提の機構を持っているこの身体が答えだと思う。
俺ももっと頑張って、腕を磨く。
いつ依頼が来てもいいように、らしく、楽しく生きていく。
心から「よく頑張ったなもう独りじゃないぞ」って言えるようになるよ。
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