声楽発声の流派とメソッドの体系化について

まえがき

西洋に生まれ、合唱を起点にヨーロッパに広まり、宗教音楽やオペラが生まれ、現在まで発展し続けてきた声楽。現在では様々な発声方法が流通しており、発声を学ぶことも比較的容易な時代となってきた。Youtubeで過去の偉人の録音や現在の歌手たちの演奏やマスタークラスも視聴できる。「西洋音楽は既に西洋のものではない」という言葉があるが、声楽においてもまさに言葉が当てはまるだろう。日本の一流劇場においても、オペラのキャスティングにヨーロッパやアジア諸国の歌手が起用されることは頻繁に起こっており、日本の誇る素晴らしい歌手が西洋諸国で活躍することも珍しいことではなくなった。まさにグローバル化が進んでいるといえるだろう。観点を変えれば、声楽家が仕事を得るために、「国内で競争する時代」は終わりつつあるとも言える。それゆえに、歌手のレベルも高くなければ声楽家として生き残ることは難しい。国内だけでも競争は激しかったというのに、更に競争が激化していくのだ。そんな競争社会で生き残るためには歌手を育てるシステムも重要である。その一つが声楽指導である。声楽家を育てるためには、声楽教師のレッスンが必要不可欠である。しかし、声楽発声教育の進歩具合で言うと日本は後進国であると私は考えている。教育地方格差もあり、現在でもドイツ式、イタリア式の発声が混同されているし、呼吸法の認識において、もちろんメリットもあるのだが、日本の腹式呼吸が未だに教育現場で広く流通していることから見ても間違いなく後進国である。私は教育は時代の流れに応じて、その都度更新する必要があるものであると考えている。留学しなければ西洋の発声を学ぶことができないという考えはもはや古いものだろう。声楽指導においてもグローバル化をするべきなのではないだろうか。そのようなの試みは既に幾つかの素晴らしい団体でなされているし私自身もレッスンなどで既に生徒には教えてはいるが、私は文章でも発声指導の発展に微力ながらでも寄与したいと考え今回この文献を執筆することにした。基本的に客観的に文章を構成しているが、後半部では多少個人の見解も加えてはいるのでそこはご容赦頂きたい。

序章 発声の歴史


声楽発声の起点を厳密に特定することは難しいが、カッチーニ(1551~1618)が生きていた時代には既にすべての音域をファルセットではなく胸声で歌うという考えが存在し、波紋を呼んだ。バロック期以降、オペラの発展につれ声楽発声も技巧化していくのだが、この頃には既に名カストラートの台頭が起こっており、ファリネッリなど名歌手の呼吸法に関する記述や練習法が残っている。その後、声楽発声に最も影響を与えたのはイタリアオペラであり、ベルカントオペラの誕生はそれを決定付けている。当時の歌手は高音域をファルセット(当時はまだ頭声と呼ばれていた)で歌っており、低音から高音まで美しいラインを描け、アジリタなど音の転がりを達成できるこの発声をベルカント(美しい歌)と呼んだ。
声楽発声に転機が訪れたのは、1837年、Gilbert-Louis Duprezというフランス人のテノールがロッシーニのオペラ《ウィリアム・テル》で「胸声のhigh C」を出したことだろう。(当時、ロッシーニに「去勢された雄鶏が絞め殺されたような声」と評された。)

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