見出し画像

【読書録42】人間の「根っこ」を太くする~池上彰・上田紀行・伊藤亜紗「とがったリーダーを育てる」を読んで~

 妻が、図書館で借りてきていて、タイトルをみて面白そうだと思って、手に取って見る。

 東工大リベラルアーツ教育に当初から関わった著者3人による10年の軌跡であり教育論でもある。

 なによりも印象的なのは、本書の最後にある、著者3人から「すべての年代、世代に伝えたいこと」というメッセージである。
3人のメッセージとともに各々印象に残ったことを書いていきたい。

池上彰「わきまえるな」

 
 池上彰氏は、教養とは、「ばらばらになった知識を運用する力」であるという。
 そしてMITに視察に行った際に印象に残った言葉として、リベラルアーツ教育総括責任者からの「すぐに役立つことはすぐに役に立たなくなる」を挙げる。

 今の時代、全ての科学技術は5年で陳腐化してしまう。だから私たちが教えるのは、すぐに役立つ技術や最先端の科学ではなく、「学び続け、研究する姿勢」そのものなのです。
 
 またクリティカル・シンキングを東工大では、「とらわれない思考」と訳しているのも面白い。とらわれないためには、「ばらばらになった知識を運用する力」が必要であろう。

 池上氏からの「すべての年代、世代に伝えたいメッセージ」

若い世代の人々には、「わきまえるな」、子どもを持つ親世代の人々には、「丸く削るな」

 みんなわきまえてという同調圧力が日本社会をおかしくしているという問題意識、そして親に対しては、とがった原石を丸く削らないでほしいというメッセージである。

伊藤亜紗「とがるリーダーは行動の中に」

 
 伊藤亜紗氏は、「とがるために必要なこと」と題して、MIT視察の際のエピソード等を書いている。

研究とは、巨人の肩の上に乗って、まだ誰も立ち入っていない未知の領域に足を踏み入れ、新たな可能性を切り開いていくこと

 研究者にとって、とがりは必須なのである。一方で学生は「リスク」を嫌い、失敗を恐れる。そのようなギャップを目にする中、伊藤氏がMITでは「学生のとがり」を目にする。

 MITのエピソードの中で、一番印象的だったのは、MITに貼ってあったポスターにあった標語「Be your Whole self.」である。

     「丸ごとのあなた。ひとりの中にある多様性」という考え方に共感を持った。

 「役割」や「空気」に縛られていると人は自分の中の多様な側面を引き出すことができない。しかし「信頼」があれば、突拍子もない自分を出すことができる。

「信頼」がベースにあるととがることができるという指摘はなかなか面白かった。

 またMITの軍事研究を基盤とした資金力というのも初めて知ったことである。日本の10兆円ファンドの件も、MITと東工大の差を見るだけでも必要な施策であることがわかる。

 伊藤氏からの「すべての年代、世代に伝えたいメッセージ」

リーダーは実際やってみないとわからない。とがるリーダーも行動の中にしか実在しない
組織でもコミュニティでも、なんのための組織なのかという大きな目的・志があって、その中でリーダーはある意味つくられていく。実際に動きながら、その行動のなかにリーダーが表れていくのであって、言葉でこうあるべきとはなかなか言えない。
だからこそ、ここぞという時に一歩踏み出し、行動しながら、あるべき姿を見つけていくことが大事である。

上田紀行「自分自身がとがれ」

 
 上田紀行氏による、リベラルアーツ教育導入という改革の軌跡は、組織変革のストーリーとして大変面白い。
 組織変革にとって、まずは、担当者のパッション・志が大切であるということを再認識した。そして、そのパッション・志を後押しする、TOPのゆるぎない信念とサポート。東工大において、また上田氏にとっては、丸山副学長がそれに当たるであろう。

 リベラルアーツセンター設立時から著者3人にあったという、「人間の根っこ」を太くするという理念はリベラルアーツの本質を一言で表していると思う。

 また本筋から外れるが、東工大が、元々、戦後、文系教養科目が必修となる中、鶴見俊輔(哲学)、永井陽之助(政治学)、川喜多二郎(文化人類学)、江藤淳(文学)を擁するほど、人文系の教授陣、リベラルアーツに力入れていたが、「大学院重視」、「専門教育重視重視」の中でそれが無くなっていってしまったというのは興味深かった。

上田氏からの「すべての年代、世代に伝えたいメッセージ」

とがる人を育てるには、まずは自分自身がとがっていなければならない。

「とがる」ということ


 本書を読んで「とがる」ということは、「突っ張る」とかそういうことではなく、ありのままの自分を気兼ねなく出せることなのだと思う。そして、ありのままの自分が、他者と違って「とがっている」ことが、教養であり、リベラルアーツなのかなとも思う。
 あるいは、「とがる」ことが難しい中でも、「とがって」いられる拠り所が、教養でありリベラルアーツなのかもしれない。

 こんな学校で学びたいなと思わせる一冊であった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?