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【読書録43】誠実とプロフェショナリズム~白川方明「中央銀行 セントラルバンカーの経験した39年」を読んで~

 大著である。あとがき含めて738ページ。著者は、前日銀総裁の白川方明氏。2008年、衆参ネジレの状況で副総裁に就任早々、急遽日銀総裁に就任。リーマンショック・欧州金融危機から東日本大震災、2度の政権交代という日本にとっても日銀にとっても「激動の5年間」を日銀総裁として過ごす。


手にとったきっかけ

 
 最近、欧米において、インフレ懸念から中央銀行による相次ぐ大幅利上げの動きがある。その影響もあり、「悪い円安」議論や日本銀行の金融政策に対する関心が強まっており、黒田総裁の前任の著者がどのようなお考えをお持ちなのか気になったこと。

 また昨年来、小峰隆夫「平成の経済」、竹中平蔵「平成の教訓」、寺島実郎「日本再生の基軸」などで平成の経済および経済・金融政策を振り返る機会が多く、日銀総裁としてそのど真ん中にいた著者がどのように振り返るのか気になったためでである。

 とりわけ、竹中氏は「日本銀行こそバブル後不況の最大の責任者 」、「日銀は、3年に一度のペースで金融政策の失敗を繰り返した」としており、日銀サイドからみた見解を知りたくなった。

 著者は、誠実に日本銀行のおかれた状況や他国との対比を行うなど当時を俯瞰的に振り返り、率直に反省すべき点は反省しつつも、プロフェショナルとして、中央銀行の役割の中で精一杯に金融政策を行ってきた自負も主張する。

 また民主国家の中央銀行において、プロフェショナルとして実行している金融政策の正確な意図が正確に伝わらないというジレンマを本書の中で何度もにじませる。

「誠実とプロフェッショナリズム」

 
 著者が、日銀総裁就任時に日本記者クラブでの講演でゲストブックに寄せた言葉である。 著者と本書を一言で表すとすればこの一言につきる。

 単に日銀総裁時代の回顧録というだけではなく、平成の金融・経済史であり、金融政策理論の解説書でもある。

 私のように経済・金融政策についての素人にとってもわかりやすく、示唆に富んだ内容であるが、大著であるため。その中で、特に印象的だった点について書いていきたい。

日本経済の真の課題

 日本経済の最大の課題は、デフレであり、デフレからの脱却には、日本銀行の積極的な姿勢が必要であるとして、日本銀行に対する批判が強まっていく。

その批判を著者は、整理する。

➀日本経済の問題の根源的な要因は物価の継続的な下落=デフレにある
➁デフレは、「貨幣的現象」である。
③行き過ぎた円高は、日本経済の消極的な金融緩和政策によって引き起こさ れている。国内製造業の空洞化をもたらしている大きな要因は、行き過ぎ た円高である。
➃日本銀行は大胆な金融緩和政策を実行しなければならない。それを実行す れば、「失われた10年」と呼ばれる状態から脱却できる。
⑤日本銀行が大胆な金融緩和政策に踏み切るためには、直ちにインフレー  ション・ターゲティングを採用しなければならない。具体的には、2%の 目標物価上昇率を設定し、期限を区切って、この目標達成を約束しなけれ ばならない。

 一方で、著者は、問題は、バブルの崩壊によって生じた3つの「過剰」の調整曲面というべきであり、これが解消されなければ、大胆な金融緩和政策を実施しても経済は本格的には回復しないとして、日本経済が直面している中長期的問題を以下のように整理する。

➀急速な高齢化と少子化という人口動態の変化
 2008年の1億2800万人がピーク
 人口構成の変化 生産年齢人口に対する、65歳以上の高齢者の比率
    70年10.2% 90年17.3% 2000年25.5% 22年49.9% 48年 71.8%
➁交易条件の悪化 ≒日本企業の競争力の低下
 資源価格の上昇や韓国・中国の追い上げ、魅力ある財・サービスの提供と いう点で競争力が低下した。
 ドイツの高級自動車や資本財、スイスの精密機械・医薬品のような付加価 値が高く魅力的な財・サービスを提供できなくなり競争力が悪化した。

 そして、私は、初めて見たが、生産年齢人口1人当たりの実質GDP成長率では、2000~2010年 G7でドイツと並び最も高いというデ―タも提示する。

 しかしこれとて人口構成の変化で潜在成長率は徐々に下がるわけで「持続可能性」はない。
  
 では、著者の言う、真の課題が正しく認識されなかったのはなぜか。
著者は、ナラティブの威力であるという。「日本経済の最大の課題はデフレであり、デフレからの脱却が重要」という単純明快なストーリーに打ち勝つことができなかった。

 民主国家において、専門家としての知見をどう一般国民に理解できるように伝えるか。マスコミや国民側のリテラシーなど色々と論点あるが、大きな課題であろう。我々も複雑化する社会の中、一見耳障りの良い主張をどのように正しく評価するかきちんと判断できる素養が求められる。

安倍政権との対峙


 2012年12月16日の総選挙の結果、安倍信三総裁率いる自民党は圧倒的な勝利をおさめ、政権に復帰。
 選挙の際に、自民党の以下のような選挙公約を掲げる。

「明確な物価目標(2%)の達成を設定、その達成に向け、日銀法の改正も視野に、政府・日銀の連携強化の仕組みを作り、大胆な金融緩和を行う。」

また選挙中、安倍総裁は演説等でこのように主張する。
・輪転機をグルグル回して、無制限にお札を刷る
・2,3%のインフレ目標を設定し、無制限に金融緩和を行う

そのような情勢の中、著者は記者会見の席で一般論としてこう言う

中央銀行制度、中央銀行の独立性は、内外の長い経済・金融の歴史の中から得られた、数々の苦い教訓を踏まえて考えられた制度であるということです。つまりやや長い目でみた経済・金融の安定を図っていく、そういう組織が必要である、それを中央銀行の独立性という形で制度設計したわけです。

 自民党の圧倒的勝利により、民意を盾に日銀法の改正もちらつかせながら迫ってくる政権与党に著者は対峙することになる。

そのあたりの著者の苦悩が、本書のハイライトの一つである。

日本銀行法では、「物価の安定を図ることを通じて国民経済の健全な発展に資する」ことを金融政策運営の理念として定めるとともに、「日本銀行ん通貨及び金融の調整における自主性は、尊重されなければならない」と金融政策の独立性を謡っている。

同時に「日本銀行は、その行う通貨及び金融の調節が経済政策の一環をなすものであることを踏まえ、それが政府の経済政策の基本方針と整合的なものになるよう、常に政府と連絡を密にし、十分な意思疎通を図らなければならない」ことも規定している。

それらを踏まえて

私に課された使命は、日本銀行法の規定に従い、経済や金融政策に関する専門家として最適な判断を下すことであった。自分の39年にわたる日本銀行生活は、この難しい政治的状況の中で後世に禍根を残さないように適切な判断を間違いなく行うためにあるという思いで考え抜いた。

 その結果として、政府・日本銀行の共同声明が発表されることになるが、その一字一句に対するこだわりは、本書を手に取るまで全く知らなかった。

 また共同声明発表後の麻生財務大臣(当時)からの労いの巻物の手紙のエピソードなどは、当事者ならではのものである。麻生氏が、経験的にマネタリーベースを増やしても効果がないことを理解していたというエピソードは、現在の安倍氏と麻生氏の自民党議連への関わりの違いをみてもなるほどと思わされる。

 またこの政治プロセスを経ての退任時の職員への挨拶の言葉は、まさに誠実とプロフェショナルという言葉がピッタリである。

 中央銀行は社会一般よりもやや長い時間的視野で経済の安定を図ることが求められ、それを担保するのが中央銀行の独立という考え方です。そうした使命達成に向けた強い責任感を持ち、他方でそれが中央銀行の傲慢とならず、謙虚さを忘れずにいる必要があるという微妙なバランスのとり方が中央銀行にはいつも求められます。

 その後のアベノミクスや黒田日銀の金融政策の結果、置かれている現状を見ると、著者が言う通り、非伝統的金融政策は、金融システムの不安定化回避の効果はあるが、実体経済への影響は極めて限定的なのであろう、

日本の教訓

 
 日本のバブル崩壊とグローバル金融危機後の類似点として以下のような点を挙げる。

➀低成長 
➁低インフレ
③政策当局者やエコノミストの当初の楽観的な反応
➃政治家や国民の反応 公的資金投入への抵抗感
⑤採用された金融政策措置 非伝統的措置
遅れがちな構造改革・財政改革と金融政策依存

 著者は、問題は、バブルの崩壊によって生じた「過剰」であり、これが解消されなければ、大胆な金融緩和政策を実施しても経済は本格的には回復しないということを繰り返し述べている。

 また「過剰」が解消されても、潜在成長率が低下しており、かつての成長率に戻らないと主張する。
 背景には、➀人口動態の変更(労働人口の減少) ➁情報通信技術の発達と日本的雇用慣行の相性の悪さを主張する。

 また「失われた10年、20年」という言葉と実体の相違という話も興味深かった。この期間、GDPには、反映されないものの、以下の通り社会的厚生が高まったことで実体との乖離が相違が生じたという。

 社会的厚生を高めた要因 
  ➀労働時間減少
  ➁平均寿命が長く
  ③所得や資産の分配の平等
  ➃社会が追求する非経済的価値の違い(安全・安心・正確・清潔とい    いったサービスの付加価値)

そして、著者が「日本の教訓」として、伝えるべきこととして挙げる4点を紹介して終わりにしたい。

「日本の教訓」として伝えるべきこと
➀経済が「持続不可能」な軌道で長期間推移すると、必ずその調整作用が起 こり、長期にわたる低成長を余儀なくされる。(低成長以外にも、政治  的・経済的不安定も)
➁「長期」の成長軌道を決定するのは、物価や貨幣と言った名目変数ではな く、生産性やイノベーション、労働人口といった 実物変数
③急速な高齢化や少子化のインパクトは大きい
➃経済に関する我々の理解は不十分であるという自己認識の重要性

歴史が判断する


 政治家や経営者など責任ある地位にある方の行いは、中長期的なスパン言い換えると歴史が判断するとしか言いようがない。 また一方的な悪や愚も絶対的な善や正しさもないと考えさせられた。

 時代の熱狂の中で、ある意味、政権に石を投げられるようにその地位から去った著者の認識が、今振り返ると正しかったこともわかる。
 構造改革も財政改革も滞っていて、物価上昇2%もようやくコストプッシュ型で達成するかしないかという2022年である。

 本書を通じて、著者が、日本銀行総裁としての「激動の5年」をどう対処したか、またその際にバックグラウンドとなったセントラルバンカーとしての経験も詳細に振り返ることができた。誠実とプロフェショナル、著者を体現する言葉である。
 また同時に職業人として見習いたい言葉である。



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