【読書録11】「認知の遅れによる代償」と「デジャブな感覚」~小峰隆夫「平成の経済」を読んで~
日本経済や政策に対する本質的で鋭い提言をなされているエコノミスト・小峰隆夫氏による経済という側面からみた「平成」という30年の時代の振り返り。出版時に読んだが、最近の政治経済情勢を見るにつけ、「平成」という時代とのデジャブな感覚になり再読。
平成9年(1997年)に社会人となった私にとっても同時代史であり、経済学や経済政策に詳しいわけではないが、改めて読んでも大変興味深かった。
政府や日本銀行という財政・金融政策担当者のバブル崩壊・デフレ・金融危機、財政再建との戦いの歴史とも言える。
読んでみて、以下のようなことを考えさせられた。
「平成の経済」の流れ
平成の時代を振り返った時のざっくりとした経済の流れは以下のようなイメージである。
寺島実郎氏は、「日本再生の基軸~平成の晩鐘と令和の本質的課題 ~」の中で、日本の世界経済におけるGDPシェアが1988年に16%であったものが、2018年には、6%に下がったことをあげ、「平成」を日本埋没の時代という。
平成経済から何を学ぶか?
この本のサマリーについては、終章の「平成経済から何を学ぶか」(P.301~)に端的にまとめられていて、大いに考えさせられる。
①経済は時として前例のない大きな課題が現れるが、我々の社会が全体としての課題を認識するのには非常に長いタイムラグがある。
その結果、必要な政策の発動は遅れ、場合によっては、かえって問題を大きくする。
例:・バブルの発生認識の遅れ
・バブル崩壊後の経済的な影響が深刻化する中、バブルの再発を危惧
・不良債権処理の遅れ 公的資金投入は遅れ、結果投入金額は膨大に
・デフレ対策 当初、デフレは良いことだという認識(村山政権)
②「経済学的な知見」に基づく課題解決のための政策発動が必要
経済学的な考え方をできるだけ採用して、その時点で標準的な議論を踏まえる必要がある。
例:貿易収支不均衡の為の内需拡大、円高への過度の恐怖心
経済学というのは、因果関係連鎖をできるだけ広く深く考えるべき(一般均衡)であるが、部分的均衡になりがち。 例: 商品券の配付
また経済学においては、「政策目標と政策手段を同じ数にしたうえで、最も有効な手段を目標に割あてるべき」とするティンバーゲンの定理があるが、しばしば無視される。
③時代の要請に合った経済政策の遂行の為には「政策を立案していく分析力」と「それを政治的に実行していく力」が車の両輪となる
社会的認識のタイムラグが大きく影響。「社会的認識=民意」とすると、適切な経済政策とバランスをとっていくのはなかなか難しい。
私見であるが、平成の時代の中での唯一と言ってもよい成功例は、小泉構造改革であろうか。総理のリーダーシップと経済学者である竹中大臣の分析力が融合し、構造改革を実行。結果、3つの過剰を解消する。
しかし後々には、格差拡大等の批判を受ける。(余談であるが、本書で触れられている、格差の拡大は実際はなかったというデータと、公明党の神崎代表の「現場の声」「実感」の論争の話は興味深い。)
著者の「断片的な感慨」
それに続けて、平成の経済を見続けた著者の「断片的な感慨」が続くが大変し示唆に富み、今後の教訓となる。
著者の感慨も含め、私として印象に残った点などを以下、述べていきたい。
バブルの生成と崩壊について
社会的認識にタイムラグによる影響が大きかった一番の事例かと思う。
著者は、バブルを株価・地価などの資産価値が敬愛の基礎的な条件から大きく乖離し上昇することと定義し、日本のバブルに対する認識の変化を以下の3段階で整理する。
第1段階 資産価値の向上に対する強い反感を抱いていた時期(~1989年)
マクロ経済は、理想的とも言って良いほどの高パフォーマンスである一方、一般の人々の受け止め方は好意的ではない。
資産価値が向上し、以下により成長率が高まる(1986~1989年 5-6%増)
➀資産効果 キャピタルゲインによる需要刺激効果
➁住宅投資の活発化 地価上昇による担保価値上昇
③設備投資の高まり
成長率の高まりにより税収増(財政バランス好転)・輸入増(経常収支の黒字化減)・雇用情勢の好転など、理想的な高パフォーマンスとなった。
これらについて皆、バブルとは考えず、景気循環の上昇客面、日本的な経営・雇用慣行の成果。と考えた。一方で、人々の受け止め方は、それほど好意的ではなかった。
理由は、所得・資産分配の歪み(高所得者のみに恩恵が偏ったこと)、社会的不祥事の連発など。
第2段階 バブルという認識の一般化とバブル潰し徹底の時期(1990~1993年)
株価が1990年1月より暴落、約1年遅れて地価も暴落した。当初は、株価下落も対したことがなく、93年以降ようやく深刻化を認識。この時期は、バブル崩壊による影響を懸念するよりも国民世論を背景にバブル潰し徹底を測った。(金利引き上げ、貸出総量規制)
第3段階 バブル崩壊の影響の懸念(1994年)
その後、要約、バブル崩壊により影響を懸念し、財政出動、利下げ等を実施。
結局、著者の試算によると、1990年~2000年のキャピタルロスは、960兆円にも及ぶという結果となった。当初の人々の予想を遥かに超える試練を日本経済にもたらした。
事後的に見ると、
バランスシート調整問題
バブルの崩壊がもたらす教訓としては、「バランスシート調整問題」が出てきて、金融面でかなり大きな弊害が表れる。
バブル期には、
資産価値向上⇒企業の借入能力向上⇒高リスク分野に進出⇒資産・負債の膨張
というサイクルになる。
一方で、バブル崩壊により
資産価値減少⇒資産価値減少⇒一方で負債は減らない⇒資産は、高リスク案件への投資、経済状況悪化により更に棄損
というサイクルに陥る。
もたらすものは、「債務」「設備」「雇用」の3つの過剰である。
この3つの過剰の解消は、小泉構造改革まで待たないといけないほど、大きな影響をもたらす。バブルの崩壊から金融危機への流れについては、リーマンショック時にも同じような流れとなったと、日銀元副総裁の中曾宏氏が指摘している。
「歴史は、繰り返す」
昨今の中国の恒大問題も、中国の不動産バブルを想起させる。昨今の金融緩和による世界的な株高もバブルの懸念ないかという視点でみることが必要かなと感じさせられる。
デジャブな感覚になる現状
現在、衆議院議員選挙真っ盛りである。各党による「バラマキ政策」のオンパレードについては、先日の文芸春秋における財務事務次官レポートでの指摘の通りである。
民主党政権の財源の裏付け無きマニフェストによる挫折から何を学ぶのか?これ以上の財政赤字をどうとらえるのか?中長期的な展望を考えるのが政治の責任ではないか?財源を大企業・富裕層に求めるのは成長を阻害しないか?
など平成の失われた30年から学ぶことができないかと感じる。
また橋本「構造改革」は、財務大臣・幹事長など要職を歴任した橋本首相が満を持して行おうとした構造改革。足元の景気悪化にすくわれ、当初の高支持率が急激に悪化して参議院選の敗北を招き辞任に到る。
この流れは、菅政権の顛末を見てなんとなく同じような感覚になる。高支持率で発足し、デジタル庁設置、カーボンニュートラル宣言、福島汚染水問題の方向性決定、携帯電話料金の値下げ、ワクチン接種の高速化など行うべきことを次々と行ったが、足元のコロナ感染状況やコミュニケーションの仕方の問題で足元をすくわれる。
今後に向けて
2021年10月23日付の日本経済新聞朝刊によると、2020年までの20年間で、一般政府債務は、1.8倍の約1,400兆円にまでふくらみ、2021年度の政府債務残高は、GDP比253.4%に上るという。
この状況をどう乗り切るか?なかなか難しい問題である。
著者の他の著書も含めた主張からいくつか取り上げることで終わりにしたい。
その他、小泉構造改革やアベノミクスに対する評価、財政再建や社会保障制度をどう考えるかなど非常に興味深い話も多いが、さらに長くなってしまうので、この辺で終わりにしたい。
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