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【読書録27】致知 2022年2月号 「百万の典経 日下の燈」感想

総リード 「百万の典経 日下の燈」

「百万の典経 日下の燈」
百万の経典を読んでも実行しなければ、お日さまの下でローソクを灯すようなもの、何の価値も無いという意。明治時代に円覚寺の管長を務めた今北洪川の言葉であるという。

 実行することの重要性を説いている。

 私にとって、大切にしたい言葉。
思っているだけでは価値がない。それを実行してこそ、初めて自分や自分の周辺、もっと言えば、世の中に変化が起きる。自分が存在することの意義は、その「実行」にこそかかっている。
 腰が重くなりがちな私にとって、常に戒めにしたい言葉である。

 致知編集長は、この言葉を「人生の要を衝いた言葉」と言い、表現こそ違え、多くの先達がその大事さを説いていると以下のような言葉を紹介する。

 「実行の伴わない限り、いかなる名論卓説も描いた餅に等しい」森信三
 「今日一日の実行こそが人生のすべてである」
 「人生は夢と祈りと実行以外にはない」 平澤興
 「古の道を聞いても唱えてもわが行いにせずが甲斐なし」 島津日新公

 人生の中で日々の教えを日下の燈にせず、実行につなげていく。
どんな言葉を支えに実行しているか、その積み重ねが人生を決定するという。

 ただ学んで終わりではない。またただ経験して終わりでも無い。経験したことから教訓を抽出して、次の実行に活かしていく。その積み重ねで自分を高めねばなるまい。

「現代に伝承すべき近江商人の教え」ツカキグループ社長 塚本喜左衛門

 近江商人といえば、「三方よし」である。近江が発祥で、京都で着物やジュエリーを扱う専門商社を営む塚木グループ6代目社長のインタビュー記事である。

 「三方よし」、「売り手よし、買い手よし、世間よし」を理念に掲げるが、実践してこそ初めて意味があると説く。

「三方よし」を突き詰めて考えると、商売ですからやはり売り手に取っての利益を上げることが第一義。しかし、結局何が目的かと問われれば、お客様の喜びであり、最終的には社会貢献へ行きつきます。そのすべてを実行することで初めて世の中が回っていく。

 この言葉、大好きである。利益は、目的ではない。あくまでお客様の喜びや社会への貢献によって世の中を回していくための手段である。ただこれが無いと目的にも向かえない大切なものである。

 経営者としての師匠である先代のお父様は、毎朝3時に起きて、鉛筆を削り、その後、日報に一つ一つコメントすると事を日課とする。

 その姿から、「自己マネジメント能力」を学んだという。そして自身も、毎朝3時半に起きて、30分ほど散歩し、その後朝四時から仕事をする。

 そんな塚本家の家訓は、「積善の家に必ず余慶あり」
 鉛筆を短くまでぎりぎり削って、朝から全力で仕事をする先代の姿に家訓の体現を感じる。

 また「三方よし」ほど知られていないが、近江商人には、商いをするなら、事業や財産を3つに分けろという「三分法」の教えがあるという。
 これは、リスク分散という意味合いの他に、本業を大切にしつつも、絶えず新しい事業を付け加える新陳代謝で会社を活性化させるという意味合いもあるという。
 これなどは、まさに今でいう「両利きの経営」であろう。

 塚原氏も実践の大切さとして、毛皮・ジュエリーを扱う商社を子会社を立ち上げて、手がけ、経営を実践する中で色々と学んだという。

 そんな塚本氏が、「現代人が近江商人の生き方に学ぶこと」として2つを挙げる。

➀「変わらぬ自分を持つこと」
 いつも変わらぬ自分を持つために、心を同じようなテンションに保つ努力をする。
「早起きは三文の徳」では不十分で、むらなく毎日同じ時間に起き続けることに意味があるという

➁「何に一番価値があるか考える」
 
商売にお金が不可欠であるが、お客様や取引先との信用、社員や仲間との信頼、家族の愛情など、心の繋がりこそ価値があるのではないかと説く。戦争や震災で商売が駄目になっても復興できる企業は心のつながりに重きを老いていると言う。
 そして先人は、その大切さを様々な言葉で遺しているので、愚直に実行することこそ重要であるという。

 最後に先代のお父様がよく言っていた話で終わる。

学識の高い坊さんよりも、ひたすら信仰に徹する普通のおばあさんの方が実はえらい。坊さんは信仰を疑い疑いいつまでも抜け出せない人の譬えで、おばあさんはただ信仰を信じて実践する人の譬え。

 歎異抄の世界が頭に浮かぶ。ぐずぐず言わずに信仰を実践せよ、ということか。

 伝統と革新。これは相反するものではなく、2つを高いレベルで両立してこそ、長寿企業となるのだと実感するインタビュー記事であった。

今北洪川と山岡鉄舟の歩いた道 対談 横田南嶺・平井正修

 今北洪川が管長を務めた円覚寺の現管長・横田南嶺氏と山岡鉄舟が建立した全生庵住職の平井正修氏の対談。

 山岡鉄舟。
西郷隆盛に、「命も名誉も地位もお金もいらない人間は始末に負えない。けれども、そういう人でなければ国家の大事はなせない」と言われ、明治に入り、旧幕臣だったにもかかわらず、明治天皇の侍従を務める。
 結跏趺坐で座禅をしながら亡くなったなど、常人離れをしているが、そんな鉄舟が参禅したのが、今北洪川。

 今号特集の「百万の典経 日下の燈」は、今北洪川が悟った時の言葉。横田南嶺老師によれば、当時日本で一番修行の厳しい相国寺で2年ほど修行した後に、自分の未熟さを極限まで感じている中で、夜中からずっと座禅に集中していたところ突然心境が拓けて叫んだ言葉であるという。

自分の心、本来の心の素晴らしい輝きに気づいて、これに比べれば今まで学んできた書物に説かれていることは全部お日様の下で灯している小さな火にすぎない。

 この言葉をイエローハット創業者の鍵山秀三郎氏は「実践しないことには、いくら本を読んで知識だけ増えても何の役にも立たない」という意味で使っている。

 こういう解釈をできる鍵山氏も素晴らしい。まさに自身の体感から出てきた解釈であろう。

 平井正修氏は、修業時代に師匠から「活句を持ってこい」と言われ続けたという。
 普通に経典を読んでいるだけでは死句しか得られない。経典の言葉をかみしめ、体のなか通して活きた言葉でないといけないということである。

托鉢で喜捨してくれたおばあさんと子どもに心の底から有り難かったと感じて、それを師匠に伝えたところ、「活句というのはそういうことじゃて」と言われたという。
 自分の心の底、体からでてきた言葉を素直に言う。それこそ相手に伝わる。

最後に

 今号で他の記事に取り上げてられている方々も、まさに「百万の典経 日下の燈」を体現されている。例えば、田口佳史氏と平川理恵氏の対談記事が掲載されている。田口氏は、東洋古典を古典として終わらせず、現代のバイブルとして古典を通じて今、悪戦苦闘する問題を解決する糸口を見つけるための講義を行うことを実践している。その塾生である平川理恵氏は、広島県の教育庁として教育改革を実践している。

 まずは、自分が動かないことには始まらない。動いて体感したことから、何かを学んでまた行動の指針、エンジンとする。その繰り返しで自分を高めていく。視座が高くなる。

 自分の「頭の中」にだけあることは、無意味である。行動することで何かつかむことができるし、行動することで状況も変わる。

そんなことを考えさせられる2022年2月号であった。




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