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【読書録14】プロフェショナルとしての個の確立~鈴木忠平「嫌われた監督」を読んで~

 生来の「ひねくれ者」である。
人と同じものを素直に好きと言えない。周囲は、巨人ファンが多かった。家族もしかり。そんな中、巨人は好きになれなかった。
大学は、皆が東京を目指す中、東北地方に行くことにした。そして、会社に入っても先輩との折り合いが合わず、反抗し続けた。

 この本を読んでそんな自分の性向を思い出した。

 そんな私が、子供の頃、夢中になった野球選手が中日時代の落合博満である。新聞を切り抜きスクラップしてその活躍を追いかけた。

 孤高の人でありながらもその圧倒的な実力で周囲へ絶大な影響力を持つ。そしてゆったりとした構えから、どんな球も打ち返す優れたバッティング技術、そんな落合が大好きだった。

 落合が巨人に行ってから中日を応援することもなくなった。巨人も応援する気になれず。そして落合が監督になった時期、ちょうど海外赴任時期と重なったこともあり、あまり記憶に残っていない。そして帰国後もスポーツニュースでしか野球をみることも無くなっていた。

 そんな私であるが、本書を読み始めると、背中がぞくっとする瞬間が続き、あっという間に読了してしまった。

最高のノンフィクション

 落合の野球との向き合い方や周囲への伝播の仕方。選手に「自分のために野球をせよ」という。非情ともいえる決断を淡々としながらも、人間的な苦悩の一端を記者である著者にもらす。

 落合に「お前ひとりか?」と声を掛けられ、1対1で接し、著者は、記者としてプロフェショナルになっていく。

 本書は、著者がプロフェショナルな記者として、個として、脱皮していく8年間の軌跡とも言える。

 そんな著者が人間・落合博満を浮き彫りにするのに選んだのが、選手・球団関係者12名の男たち。どの物語にも吸い込まれる。
 落合の冷徹な眼差しに狂いはない。落合の一言に翻弄されながらも、本書に登場する中日の選手たちは、自分の居場所を見つけていく。

なぜ 自分の考えを説明しないのか?

 年々、選手と距離をとる落合監督。
毎日、同じ場所から定点観測することで、チームの穴をあぶりだす。その鋭い目線は、ミスタードラゴンズ、立浪のサードの守備がチームの穴となっていることをあぶりだす。
そして、森野を鍛え、ついには、立浪をレギュラーから外す。しかも事前に何も説明無く。

「なぜ、自分の考えを世間に説明しようとしないのですか?」
という著者の問いに
「俺が何か言ったら、叩かれるんだ。まあ言わなくても同じだけどな。どっちにしても叩かれるなら、何も言わない方がいいだろ?」
理解されることへのあきらめを漂わせる。
「別に嫌われたっていいさ。俺の事を何か言うやつがいても、俺はそいつのことを知らない」


なぜ 落合の考えは叩かれるのか?

 30代半ばで、西武から中日に移籍してきた和田は、落合から「3年かかるぞ」と言われながらも、誘いにのり、バッティングフォームの改造に取り組む。落合のバッティング理論は、スイングを構成する一から十までの手順、すべてをつなげて行くような作業で、落合のスイング動作すべてに根拠があることが分かった。

 落合は、常識を疑うことによって、ひとつひとつ理を手に入れてきた。その理は、ほとんどの場合、常識の反対側にある。その結果、落合は、全体から離れ、個になっていく。

 常識に反するがゆえに、考えが周囲に受け入れられず、嫌われる。

 和田は、移籍前、中日を選手が勝利に必要なことだけを淡々とこなしているチームだと思い、落合監督を「全体のためなら個人の犠牲も厭わない勝利至上主義者」と理解していた。
 しかし、移籍後、中に入ると、「レギュラーは、自分のために自分で決めたことをやる。組織への献身よりも個の追求が優先され、その代償として責任を負う」チームであると理解するようになる。

 そして進塁打を打った日の試合後に、監督室に呼ばれ叱責される。

「いいか、自分から右打ちなんてするな。やれという時には、こっちから指示するそれがない限り、お前はホームランを打つこと、自分の数字を上げることだけ考えろ。チームの事なんて考えなくていい。勝たせるのはこっちの仕事だ」と叱責される。

 なぜ嫌われたっていいさと言い切れるのか?そしてなぜ後援者も派閥も持たず、一匹狼としてグラウンドに立てるのか?
 家族とりわけ夫人の存在が大きさをうかがわせる。落合とて人間、「支え」、「お守り」が必要。無ければ、やっていけないだろう。夫人とのエピソードは、それを物語る。

なぜ 選手と距離を取るようになるのか?

 落合監督と言えば、必ず引き合いに出される、日本シリーズにおける山井の交代劇。著者は、それを、中継ぎ投手・岡本信也選手を通じて語る。

 山井の交代劇の伏線。その4年前の日本シリーズ。

落合監督は、中継ぎの岡本投手を交代させようとすると、主力選手の立浪・谷繁から続投の進言を受ける。それを受け容れ続投させるが負ける。
 その時の監督インタビューで「すべてはこっちのミスで負けた。監督のミスで負けたんだ」とコメントする。
 あれから、信頼や情、すべてを捨て去ったのだろうかと著者は言う。

そして4年後、日本一を勝ち取った試合後に落合は記者である著者に語る。

「これまで、うちは日本シリーズで負けてきたよな。あれは俺の甘さだったんだ」
「2004年のシリーズで岡本を代えようとしただろう。でも、そのシーズンに頑張った選手だからって続投させた。俺はどうしても、いつもと同じように戦いたいとか、ずっと働いてきた選手を使いたいとか、そういう考えが捨てきれなかったんだ」
「でもな、負けてわかったよ。それまでどれだけ尽くしてくれた選手でも、ある意味で切り捨てる非情さが必要だったんだ」
「監督っていうのはな、選手もスタッフもその家族も、全員が乗っている船を目指す港に到着させなきゃならないんだ。誰か一人のために、その船を沈めるわけにはいかないんだ。そういえば、わかるだろ?」

 著者は、それを聞き、以下のように述べる。

 落合とて、人間である。血が通っている限り、どうしようもなく引きずってしまうものを断ち切れず、もがいた末にそれを捨て去り、ようやく非情という答えにたどりついた。

 この後、監督時代の終盤でも、夫人の口を通じて、睡眠導入剤を毎晩のみ、磁気によって血流を流すネックレスをグルグル巻きにする落合の姿が描かれる。落合とて人間。非常になることを良しとしつつも、なかなかその通りいけないのが人間であろう。

「個」の目覚め

 荒木・井端と言えば、落合野球の代名詞でもある。最終章は、ショートにコンバートされ、苦しむ荒木の姿を通じて語られる。落合監督退任の年、2011年の物語である。

2010年、落合は、「お前らボールを目で追うようになった。このままじゃ終わるぞー」という謎かけの言葉を発し、荒木・井端のポジションを入れ替える。

 荒木は、1年以上、この言葉の意味を自問する。ショートに移り、エラーを重ねるなど屈辱を味わいながら。

 2011年9月22日、首位ヤクルトと4.5ゲーム差。4ゲームの直接対決を前に、落合監督退任が発表される。

 その日、荒木は、落合が、禁じたヘッド・スライディングを行い、チームを勝利に導く。それを落合は、こう語る。

「あれは選手生命を失いかねないプレーだ。俺が監督になってからずっと禁じてきたことだ。でもな、あいつはそれを知っていながら、自分で判断して自分の責任でやったんだ。あれをみて、ああ、俺はもうあいつらに何かを言う必要は何だって、そう思った。」

その意味は何か?著者はこう語る。

「球団のため、監督のため、そんなことのために野球をやるな。自分のために野球をやれって言ったんだ。勝敗の責任は俺がとる。お前らは自分の仕事の責任をとれってな。」
それは落合がこの球団にきてから少しづつ浸透させていったものだった。かつて血の結束と闘争心と全体主義を打ち出して戦っていた地方球団が、次第に個を確立した者たちに変わっていった。そして、あの日、周囲の視線に翻弄され、根源的な自己不信を抱えてきた荒木という選手が監督の命に反してヘッドスライディングをした。その個人の判断の先に勝利があった。それはある意味でこのチームのゴールだったのではないか?

 落合監督の退任発表により、個が責任を果たすことによって「勝利」を求めるという、プロフェショナリズムに目覚めた選手は、その後、15勝3敗2分という驚異的な勝率で、逆転優勝する。

 そして、8年間の落合と向き合うことより、著者も、記者としてデスクの顔色や胸の内を推し量り、番記者の序列の中で順番を待ち、誰かの後ろにしか自分の居場所がないと考えている状態から、自分の思うように書けばよいと個を確立していく。

そんな私が、順番を待つことをやめたのはいつからだろう。コーヒーショップにはひとりで行くのがいいと考えるようになり、夜ひとり飲む酒の苦みを噛み締めるようになったのはいつからだろうか?
「お前はひとりか?」
振り返ってみれば、あの瞬間から私は自分の輪郭を描き始めたのかもしれない。私は落合という人間を追っているうちに、列に並ぶことをやめていた。

 落合はどの序列にも属することなく、個であり続けた。落合というフィルターを通してみると、世界は劇的にその色を変えていった。この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失をかけた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きることでありように思えた。

 日本の中で、とりわけ、既存の組織(昭和型組織)において、個を確立し貫き通すには、体験の中で会得した自分の確固たる信念や落合のように家族やそれに代わる仲間の支えが必要だろう。落合ほどの人でも苦悩を抱えながら個を貫いたのだから。

 落合の契約に対する向き合い方など、まだまだ語りつくせないがこの辺にしておこう。

 夜、一人の時にまた読み返したくなる本である。

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