いえぽん、Jリーグで仕事はじめました 【前編】
皆さんこんにちは。家本です。
はやいもので、Jリーグが開幕して5節が終了しましたね。
まだ声出しはできないものの、入場制限がずいぶん緩和されたことで、これまでなかなかスタジアムに入れなかったファン・サポーターの方がたくさん戻ってこられました。僕は、たくさんのファン・サポーターの方が夢中になってフットボールを楽しんでいるあの雰囲気がすごく好きなんです。もちろんプレーしている選手たちは僕以上に、たくさんのファン・サポーターの方の前でプレーすることに生きがいとやりがいを感じていると思います。
しかしながら、コロナで大変な思いをされている方もまだまだたくさんおられます。そういった方が1日も早く元気になられることを心から願っていますし、ファン・サポーターの方が何も気にすることなく、思いっきり声を出しながら観戦できる状況に早くなればいいなと思います。
さて、そんなことを思い願っている僕ですが、審判を卒業してからいろんな方に「今何してるの?」「本当にコンビニでバイトしてるの?」「なんで後進の指導にあたらないの?」といった質問をたくさんいただくので、今回はそのあたりの話を2回に分けてお話しようと思います。
審判卒業後なにしてたの?
これがですね、本当にいろいろとありました。全部は書ききれないので、その一部をご紹介したいと思います。
卒業発表後、いろんな方から「絶対にJFAで働くんでしょ?」「もちろん後進を育てる職に就くんですよね?」と言われたのですが、決めていたのは審判を卒業することだけで、その他のことは本当に何も決めていませんでした。
その理由は、審判をはじめて29年、プロ審判として16年、国際審判として11年ものあいだ国内外を飛び回り、必死に走り続けてきました。常に公正さと公平さを求められ、ベストを求められ、聖人君子のありさまを求められてきました。
ひとつのミスも許されず、妥協も許されず、勝手も許されず、いろんな制限と管理の中、常にストレスとプレッシャーと戦いながら30年近く生活してきたので、心も体も頭も本当に疲れきっていました。
とにかく一回完全にリセットしないと新しいことをはじめても良い仕事もできないし、そもそも心と体がもたないと思いました。それくらい疲れ果てていました。
そんな状況だったので、昨年のあの最高に美しくて素晴らしい「フットボール劇場@日産スタジアム」のあとは、大好きな家族とゆっくりのんびりする予定でした。
ところが、ありがたいことに自分の意に反して、取材、取材、取材、出演、取材と怒涛のメディア攻撃を食らったことで、まったくゆっくりできず、のんびりできず、旅行も行けず、なんやかんやと慌ただしく過ごしていました。
とはいえ、やっと過酷なトレーニングと厳しい管理生活から解放されたので、夢だった何も気にすることなく、誰にも気を使うことなく、ゴロゴロしながら好きなものを好きなときに好きなだけ食べ、好きなお酒を好きなときに好きなだけ楽しむという "夢のような生活" をおくっていました。
そんなある日の夜。鏡に映った自分の身体を見て愕然としました。これが自分の体なのかと。筋肉は痩せ細り、お肉がぷにぷにしながらいたるところに増殖し、見るに堪えない身体に劣化していました。これはまずいと。そこで急遽毎日必ず31分は汗をかこうと決めて、バイクや筋トレ、HIITトレ、速歩きや階段の上り下りなどをして健康維持に努めました。おかげで今は、現役時代とほぼ変わらない体重と体型を保てています。
結局なにするの?
実は2月からJリーグで仕事をしています。「え?Jリーグ?なんで?」ですよね。そのあたりの経緯をお話しますね。
2020年の年末に21シーズンで審判を卒業することをJFAやJリーグの上の方に報告しました。その後11月1日にJFAから審判卒業を発表していただきました。
そんな僕にあるとき「引退後はJFAで仕事をされるのですか?」とJリーグの方に聞かれました。「JFAですか?なんの話もありませんよ。それよりも卒業後はまずはゆっくり休もうと思ってます。休んで英気を養って、それからどうするか、何をするか決めるつもりです」と返したところ「家本さんの数々の経験、もっている知識や能力は日本サッカー界に絶対に必要なので、絶対に離れちゃダメですよ!」と強く言われました。
「え、僕は失敗だらけの日本一嫌われた男だし。異端児扱いされていろんな人から敬遠されてるし。言い寄ってくるのはネタを求めてるメディアの方ばかりだし。なのにそんなふうに言ってくれるなんて。お世辞でも嬉しいしありがたいな」
そんなことを思いながら「ありがとうございます。そう言っていただけるだけで十分です。とにかく今は、残り少ない時間を選手やファン・サポーターのみんながフットボールをもっと楽しめるような、フットボールを通じてみんながひとつになれるようなレフェリングをすることに集中したいんです。なので今は卒業後どうするかあれこれ考える気もないですし、妻にもそう言ってあります」と返事しました。
それから月日が流れ、再びJリーグの方から「一度ちゃんと話をしませんか?」と連絡をもらいました。「え、話?何の?」と思いながら日程を調整しました。
そこで言われたのが、
というものでした。
心が激しくふるえました。
こんな僕を必要としてくれるところがあるなんて、全く想像していなかったので。「過分なお言葉、ありがとうございます。僕とJリーグが掛け合わさることで何ができるのか、何が生まれるのか、僕が加わることが本当にお互いと周りにとって良いことなのか少し考えさせてください」と返事しました。
その後も話を重ねていく中で、お互いの目指す方向性や実現したい世界観、交わることの有益性や波及効果は十分にあると思いました。
この話を受けて僕が一番驚いたことは、 "ガス欠" で "疲労困憊" だった僕が自分とJリーグと日本の未来のことをあれこれ考えていくうちに、心の中に熱い思いが湧き上がり、やる気に満ち溢れ、パワー全開の状態になったことです。それだけでなく、実現させたい世界観が僕の目の前にはっきりと映し出されたことです。こんなことは今まで一度もありませんでした。
そういう事もあって、急展開ではありますが、JリーグでJリーグが掲げるフットボールビジョンを実現させるお手伝いをさせていただくことになりました。
Jリーグでなにするの?
僕の所属先は、フットボール本部のフットボール企画戦略部という新設された部署です。
僕にたくされた任務は、簡単に言うと大きく2つで、①どれだけJリーグの価値と魅力を高められるか、②どれだけJリーグ&JクラブLOVEな人・企業・行政を増やせるか、というものです。
もう少し具体的にいうと、たとえば
といったことです。
なかなか難易度の高い、責任の重い仕事です。とはいえ、やりがいも魅力も十分ありますし、クラブでの経験や審判での経験、ビジネススクールでの学びが十分に活かせると思っています。
先日、Jリーグはチェアマンはじめ多くの理事の方が変わられました。
ですので、まずは新理事の方の考えや思いをしっかりと丁寧に聞いたうえで、Jリーグの理念とビジョンを大切にしながら、たくさんの方の笑顔と喜びを増やしていけるよう全力を尽くそうと思っています。そのために頭を動かし、手足を動かし、選手や審判、ファン・サポーターの方の心を動かしながら、仲間と一緒にいっぱい汗をかきながら、Jリーグの理念とビジョンを実現させていこうと思っています。
Jクラブとは関わらないの?
もちろん直接的なり、間接的なり関わっていきます。なぜなら、JリーグはJクラブがあって成り立っていますので。
ですので、今後はJリーグ単独案件とJリーグ×Jクラブ案件に分けて、各クラブの関係者といろいろ話をしながら、Jリーグとして何ができるのか、家本単体として何ができるのかをいろんな視点・観点から考察してあれこれやっていこうと思います。
たとえば、試合会場や会場周辺でクラブと一緒にイベントを開催したり、ルールや審判の面白さをわかってもらうために「審判体験教室」なるものをクラブと一緒に実施したり、特定の座席の方に対して試合中に僕が審判目線で解説したり、シャレンのいろんな活動に参加して発信したり、といったことが考えられると思います。
とにかく、コロナがもう少し落ち着けば、J1からJ3のスタジアムやホームタウンに行って皆さんといろいろ話したり、一緒に何か楽しいことをしようと思ってます。そのときはどうぞよろしくお願いします。
今回はここまで。続きは↓。それではまた。
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