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民主主義をエコロジカルに拡張する、制度の思索

もし民主主義の熟議や投票において、家畜とされている牛や絶滅しかかっているミツバチ、海中のサンゴが声をあげられたら、政治的な意思決定はどう変わるでしょうか?

以前の記事で述べたような、世界を修復するあらゆる営みとしての「ケア」は、いまの世の中にますます必要だと感じます。そして、ぼくたちはケアの営みを人間だけでなく、生きとしいけるものに広げていく必要があることも確かです。森の木々がなければ酸素もなく呼吸もままなりません、土壌が貧しくなり土の中の微生物が減ってしまえば、栄養に満ちたおいしい食物も育ちません。

人間は、人間だけでは生きておらず、あらゆる種と絡まり合って初めて生をまっとうできるのです。今を生きるこの「いのち」は、食べてきた米や肉、魚、野菜などあらゆる「いのちのまとまり」です。たとえば、受粉という役割を担うミツバチが絶滅したらどうなるでしょう?一説では世界の作物の1/3が失われる可能性があります。コーヒーもイチゴもチョコレートもりんごも、あらゆる作物が受粉なしでは育ちません。食糧危機に陥り、いのちを落とす人間も増えます。

政治とは、"互いに異なる人たちが共に暮らしていくために発展してきたもの"です(未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学より)。ただ、上記からもわかるように人間は人間だけで生きてはいません。ゆえに、政治または民主主義を、"人間"だけのものから"互いに異なるいのちたち"が共に暮らしていくための営みへと拡張する必要があるのではないか。これが本稿の問題提起です。

環境危機の背景|人間優位という価値観の更新

環境危機は、現代が直面する喫緊の問題のひとつです。プラネタリー・バウンダリー(地球の境界)は、境界内であれば人間が未来の世代にかけても反映しつづけられるという安全圏を示します(参照: ストックホルム・レジリエンス・センター)。

下記の図を見ての通り、すでにこの境界、生物多様性の損失などのカテゴリでは超えてしまっているのです。もう、取り返しつかないよ、ということを示しています。

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図: https://www.ishes.org/keywords/2015/kwd_id001823.html

現に、統計に基づく推測では、気候の変化によって洪水・干ばつが増えた結果、1年のうち1ヶ月に相当する期間、水不足の生活を送る可能性や、そうした困難に直面する人が2050年までに50億人もの人数にのぼることがわかっています。また、そうした洪水や海面上昇の果てに、2050年には12億人もが環境移民(=気候変動により土地に住めなくなり移動を余儀なくされる人々)になると言われています。

加えて、こうした被害をこうむるのは、アフリカや南アジアなど発展途上国に住む人々が中心です。先進国が近代化の中で、ケアせず資本を拡大しつづけた結果として、この現状が生み出されました。

ここで考えたいのは、この近代における人間観です。ぼくたちは時代によって、何が人間なのか?という見方を変えてきています。ブライドッティは、近代の人間観は西洋・白人・男性・五体満足である人間(man)を想定していたと指摘します。フランス革命後に導入された普通選挙にて、当初女性に投票権が与えられてこなかったことからもこれは伺えます。

また、人間という字からもわかるように、<人の間>と書きます。これは関係性の生き物だということに尽きるのですが、果たして<人の間>だけで生きているのしょうか?。東は人間を<人-間>と表記し、本来はあらゆるいのちとの関わり・依存の中に生きているのに、人との関わりに優位がおかれる現状を強く批評します。この背景にあるのは、自然と文化(人間社会)の分断です。デカルトが「われおもう、ゆえにわれあり」といったように、理性的な主体が対象を客体と捉えるような価値観は、自然を「対象」に置き換えました。

まとめると、近代的な人間観とは、欧米白人男性以外の存在や自然・その他の生き物を人間ではないものとして、分けているのです。しかし、人間と自然は切り離せないはず。内山は「日本の人々にとって自然とは、客観的な、あるいは人間の外にある自然体型のことではなかった」と述べます。もともと、自然はシゼンではなくジネンと発音されており、オノズカラ/オノズカラシカリという意味をもちます。自然のなりゆきといったように、私の意志を超え勝手にそうある、といったニュアンスです。ネイチャーという意味の自然は、欧米から輸入された概念なのです。それは、人間と自然を切り離していなかったゆえに、言葉をもつ必然性がなかったからでしょう。

新しい人間観による、拡張された民主主義

自然やあらゆるいのちと切っても切れない人間観は、古来から存在していたものです。そして、近代化により失いかけているものでもあります。よって、いまの政治も社会のあり方も、近代的な人間観に基づき限界を迎えているのであれば、古来から日本がもつ人間観に沿って再構築していく。これがひとつの未来への方向性です。人間が人間だけで成立するわけでないように、「社会」という言葉も、生きとしいけるものを含めた意味へ。

根源的な選択肢の一つは、社会問題を狭すぎる定義に 閉じ込めたままにしておくという道、もうひとつは、生存の危機を定義する際に人間と 非人間との違いをアプリオリには導入しないという道である。言い換えれば、社会は 社会的なつながりだけから構成されるとする狭隘な定義を取るか、社会は人間と非 人間の連合(それは共同体<collective>と呼ばれる)から構成されるとする、より広 い定義を取るかの選択である。
ラトゥール. 2019. 地球に降り立つ: 新気候体制を生き抜くための政治 p.90

社会を人間ふくむ生きとし生けるもののつながりによって成立すると捉え直す。そうすることで、利害調整の営みとして政治も、人間に加えあらゆるいのちと利害関係を調整していくものへ、拡張される必要があるのでしょう。民主主義は人民による統治ですが、そこに川やミツバチは含まれません。しかし、人間の行為によって害を被るのであれば、自然存在も声をもつべきではないか?そういう考え方です。

では、一体どのようにこの考えを実装していけばよいのでしょうか。思考実験もふくめて、考えてみましょう。

もし、木や川やミツバチが、政治的な声をあげられたら?

ニュージーランドのマオリの崇拝する川に法的な人格および権利が与えられたのはちょっとしたニュースです。無論、人格というのは自然を人間化していないか?という視点はあるものの、重要なのは自然に敬意を払い、自然を行為主体として認めたということです。

同様に木や川やミツバチが、投票権をもっていたり、政治的な声をあげられたら、どうでしょうか?

■Ministry of Multispecies Communications

Ministry of Multispecies Communicationsは、Rachel ClarkeのHCI(ヒューマン・コンピュータ・インタラクション)研究の一貫。どのように都市の空間やリソースを生物多様性の損失や他種へのケアに向けて活用できるか?を考える実験です。

参加者は、Ministry of Multispecies Communicationsという架空の政府機関の役人であり、都市空間を追われた生物のように世界を感じられるセンサーつきのマスク(実際はただの手作りマスク?)をかぶり、それぞれ他の種になりきって都市を歩きます。木や蜘蛛、ハリネズミ、蝶々などになりきって歩くなかで、この空間や装置がそれぞれの生物に利益になるよう活用できるのではないか?という視点でものごとをかんがえます。

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野生の花の草原(右の写真)は、地元の建物にアラームを発見し、花を踏みつけたときに人々に警告するためにこれを使用したいと考えを述べている

■他種を代表する政治的制度をつくる

上記は非常に実験的なアプローチでしたが、政治学の領域でも仕組みの模索がはじまっています。

人間以外の種に政治的な声を与える一つの手段は、代理人の任命であろう。そのような代理人は、自分が割り当てられた生物の利益について、最善の情報に基づいて理解していることを代表する責任がある。代理人が表明した種への利益は、議論的なプロセスや投票に基づくメカニズムを通じて、直接表明された人間の利益と一緒に意思決定にかけることができる
What if Non-Humans had a Political Voice?より

一方で、誰が何の種に対して代理になりうるのか?どのような関わりかたが、適切な"政治参加"だとみなせるのか?といった疑問はあります。この問いに対する答えはまだ出ていませんし、完璧なものが出ることはないでしょう。スイスで行われるくじ引き民主主義(記事参照)のようにランダムな市民を選定するという方法によって、人々の人間ならざるものへのケアを育むような方法も考えられれば、情熱と専門知識を持ち特定種の苦しみを深く理解する学者かもしれません。

おわりに

政治とは他者とともに生きる術です。筆者はフィンランドに住んでいたとき、どれだけ自然存在に助けられたか、計り知れません。コロナ禍で友人に会えない時に、周りの森を歩きリスや苔などのいのちに触れ合うことで、支えられているんだと実感がもてました。一方で、スーパーで買った豚肉に普段は感謝できないような自分もいて、日々悩みながら生活しています。救われているのに、自分は敬意ももてないのかと落ち込むこともあります。本稿は、そのような葛藤を改めて考えたいがために書きました。みなさんも以下の問いをもとに、少し考えてみてもらえると、嬉しい限りです。

あなたの日々の生活や行動は(ex: 唐揚げ定食をたべる, ユニクロで衣服を購入する際)のワンシーンを切り取ってみましょう。その状況にどのくらいの"いのち"が関わり合っているか、想像をめぐらせてみましょう。

そうした行動は、草木や虫、動物とどのような利害関係があるでしょうか?彼等の立場になってみたら、彼等は何を語りたいでしょうか?

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Reference

気候危機の脅威、2050年までに12億人が移住余儀なくされる事態に 国際研究所予測
https://www.cnn.co.jp/world/35159462.html

先住民マオリ崇拝の川に「法的人格」認める、ニュージーランド
https://www.afpbb.com/articles/-/3121661

絶滅しかけのミツバチを今救わないと、人類は4年で滅ぶ!https://www.excite.co.jp/news/article/Tocana_201703_post_12475/

東千茅. 2020. 人類堆肥化計画 https://amzn.to/3fUKC4J

内山節. 2007. 日本人はなぜキツネにだまされなくなったのか
https://amzn.to/3ghlfKv

宇野重規. 2018. 未来をはじめる「人と一緒にいること」の政治学
https://amzn.to/3qvMwxo

ブルーノ・ラトゥール. 2019. 地球に降り立つ: 新気候体制を生き抜くための政治
https://amzn.to/37N9NlQ

ロージ・ブライドッティ. 2019. ポストヒューマン 新しい人文学に向けて
 https://amzn.to/2K1zFSK

Ministry of Multispecies Communications
https://openlab.ncl.ac.uk/posts/2020/welcome-to-the-ministry-of-multispecies-communications/

Planetary boundaries research
https://www.stockholmresilience.org/research/planetary-boundaries.html

What if Non-Humans had a Political Voice
https://mahb.stanford.edu/blog/what-if-non-humans-had-a-political-voice/

World Water Development Report 2018
https://www.unwater.org/publications/world-water-development-report-2018/


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