フォトグラファーこそ、カメラを使わない時間も大切
こんにちは。会社員フォトグラファーの まさです。ここ数日すごい暑いですね.毎年のことなのですが急な気候の変化に対応しきれず、風邪を引くことが多いので気をつけます.
さて今回は、「フォトグラファーこそ、カメラを使わない時間も大切」ということを自分なりの言葉でまとめていきます.
自分はフォトグラファーで写真、基本的にどこへいくにもカメラを持っていくことが多いです.旅行で行った先々の景色、移りゆく季節の風景、人々の姿など、どの場面も自分にとっては尊いものであり撮影したくなります.
でもカメラを構えないシーンもあります.場の空気感や、自分がその場でどんな感情になっているのかを感じ取りたいときはカメラを構えず、シャッターを切らないときもあります.
写真を撮っているときは”カメラ”に集中している
プライベートでも仕事でも、写真を撮っているときはどういう構図で、どういう距離感で、どういう雰囲気で作品を仕上げていくのかという部分に意識を集中しています.
「自分なりの表現を写真に収める」ことを目的にしており、自分のイメージ以上の情報は入ってきません.写真をこう表現したいから、カメラのシャッタースピードはこうで、絞り値はこれで…という意識になっています.
つまり上記のような場面では、カメラを構え写真を撮るということにしか考えが働いていないわけです.
体で感じ取ることの必要性
写真撮影が禁止な美術館などではより一層、目の前の情報から様々なことを感じ取ることができます.
「この作品はなんでこんな色味なんだろう」
「この作品を通して作者が伝えたいことはなんなのだろう」
「この作品からはこういった感情が伝わる」
など、視覚から得られる情報に対して自分なりの解釈をしたり、感情を感じ取ることができます.
またカメラを触っていないときは、視覚以外の感覚を使うことも多いです.匂いを嗅いでみたり、触ってみたり、耳をすませてみたり.
もちろん写真を撮っているときにも視覚以外の部分は使うのですが、カメラを握っていないときのほうが感度が豊かだと思っています.(あくまでも自分の中ではですが.)
記憶に残したいなら、写真を撮ってはいけない
こんな面白い記事を見つけました.
本質的には、自分の脳でなくカメラにその瞬間をとらえてもらっているのです。やたらと写真に撮るより、カメラを手に持たず何も撮影しないほうがずっとよく記憶できます。(記事より)
カメラの性能に頼ってしまうと、目の前にあるものを記憶する力が薄まってしまうということがあるらしいんです.「自分の代わりにカメラが覚えていてくれるからいっか」となってしまうんですね.
まだカメラにフォーカスしすぎていたときにお祭りの写真を撮影したことがあったんですが、写真を撮ることに夢中になりすぎてお祭りの雰囲気を、五感を使っては感じ取ることができなかった記憶があります.
最後に
カメラを通して写真を撮影することはとても楽しいです.多くの人と出会えますし、話すきっかけにもなるので、コミュニケーションを磨くという点においても有用だと思います.
ただカメラを使わない時間にこそ、ふだん自分が気づかないものに着眼することができたり、新たな発見をすることができると思っています.
日常生活で経験したこと、音楽や本、影響ある人の考え方などを自分の中で咀嚼して、”自分”というものが作られていき、それが写真表現の中にも活きてくると思うんです.
カメラを使う時と使わない時の切り替えが大切なんだと個人的には考えています.最近は近所を散歩しているときに、こんな写真撮れたらいいなあとか、この景色すてきだなあ、と考える時間があります.
この時間があるからこそ、表現することに深みをのせることができると考えています.
以上です.
最後までお読み頂きありがとうございました.
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