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タイ

微笑みの国、タイ。といっても、知らない奴がニヤニヤして近づいてきたら、だいたいまともな奴じゃない。僕も普段からニヤニヤしているのであまりまともじゃない。

タイには多くのバックパッカーが来て、ここからあっちこっちに行こうとします。僕も初めての海外ひとり旅はタイで、最初は露店でリンゴを買うのにも手間取っていました。「Could you buy the apple?」とがんばってみるが、直訳すると「あなたはりんごを買ってもらえますか?」なので、ニヤニヤして何言ってんだお前みたいになります。

もう、今では商品を指差して「How much?」と言えばだいたい通じることに気付きました。食堂で食べたいものを指差して「How much?」。駅の改札では行きたい都市を指差して「How much?」。気に入った娘がいたら指差して「How much?」。お金って便利。

首都のバンコクで、その時アジアをプラプラしていた妹と合流。合流後に妹や他の旅人と飲んでいたら、楽しくなって飲み過ぎてしまい、かなり酔いました。帰り道、あまり覚えていないのだけど「初めて千鳥足で歩く人を見た」と妹に言われました。

部屋に戻って洗面所に全てのものを吐き出し、さっぱりした気持ちでベットで寝ようとすると、妹が洗面所を見て「おまえ!」という声だけが聞こえてきました。次の日、ゲロの後始末をしてくれた妹にめちゃくちゃ怒られ、最終的にお金を払って許してもらいます。やっぱり、お金って便利。

当時、バンコクの刑務所には日本人が8人ほど収容されており、誰でも面会できるので行ってみました。一度目はタイの旧正月で休み、二度目も「ホリデー」と言われます。

「明日は100パーセント、大丈夫」と職員に言われ、次の日に三度目の正直で行ってみると、昨日とは違う職員に「月・水曜日以外は絶対にだめ」と木曜日に言われます。昨日の職員に文句を言っても、全然、決定権の無いやつみたいでしょんぼりしていました。かなり、ねばってみたけれどダメなものはダメと言われます。

仕方ないので次の月曜日に四度目の刑務所訪問。やっと面会できました。面会は鉄格子越しで行われ、手元に電話があり、その電話で話すことができます。来た人が一斉にやるのでかなり込み合い、その中でもお母さんと子供連れが一番多かった気がします。

最初、相手の顔も知らないので、暇そうにしてる囚人に手元の電話で「日本の方ですか?」と日本語で聞くと、神妙な顔つきをしてタイ語で話してきたので「ソーリー」と言って切りました。なかなかのきまずい瞬間です。

しばらくして、鉄格子越しに「日本の人ですか?」と言われたので、会えることができました。お互いに2、3メートル離れた鉄格子に身を乗り出して大声で話します。でないと、周りのタイ人や他の外人の声で何も聞こえないのです。とりあえず、囚人Aさんにいろいろと聞いてみました。

僕「いつから( 刑務所に) 入られてるのですか?」

Aさん「えー、25の時だから、もうすぐで13年ですね」

僕「何で捕まったんですか?」

Aさん「コカインの密輸で。カオサン通りを歩いてたら、人から頼まれて。で、空港で捕まってしまいました。タイでは大麻や覚せい剤なんかの密輸は一発で死刑なんですよ。でも終身刑になりましたけど。他の刑務所は行かれたんですか?」

僕「いや、ここが初めてですね」

Aさん「インドや東南アジアでも結構、日本人が捕まってるらしいですね。刑務所にいると、そういう話しがでてくるもんで」

僕「ふだん、何してるんですか?」

Aさん「筋トレとかして体を鍛えてます。他にも読書とか勉強とかしてるんで、割と忙しいんですよね」

僕「面会はたまに来たりします?」

Aさん「2〜3ヶ月に1回来たり、全然来なかったりとまちまちですね。でも他にも受刑者がいるんで、ちょこちょこ来てもらえると嬉しいです」

気さくな笑顔で話してくるAさん。前歯が抜けていたので、なおさら陽気に見えました。刑務所にいると他の刑務所事情が気になるみたいです。

30分も話さないうちに「終了」の笛を鳴らされ、半ば強制的に終わらされます。「がんばってください」と何にがんばるのかわからないけど、そんな言葉をかけて刑務所をあとにしました。刑務所の中から外に出ると、とても自分が自由になれた気がしました。

ちなみにその後もAさんとは文通をし続け、10年もしないうちに出所したので、新宿のスタバで会い、前歯が抜けている姿にホッとしました。


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