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“引き寄せ”で実現させた、シリコンバレーでの奇跡的な出会いと、2度目の心臓移植。

奇跡的な出会い

子供の頃に観た、「トロン」という映画。主人公が迷い込んだ全てがデジタルの世界。その描写や洗練されたフューチャリスティックな世界観に衝撃を受け、そこから「デジタルテクノロジーと現実の融合」といったジャンルに魅了され引き込まれていきました。

まだ学生として美大で学びながら、Appleをはじめとしたシリコンバレーの先進的なデジタルテクノロジーに夢中になっていく中で、歴史的に憧れ、関わってみたいと思った2つがありました。

ひとつは「バーチャル・リアリティ」の先駆けとなったデータ・グローブ(VPL The Dataglove *)を世界で初めて作った人に、いつか会って話してみたい!そして、この最先端の3Dテクノロジーに何かの形で自分も関与したい!!と心から願っていました。

https://ja.wikipedia.org/wiki/VPLリサーチ

もうひとつは、当時 泣く子も黙る、先進テクノロジーの権化・AT&Tのベル研究所(Bell Lab)です。トランジスタの発明から世界初の衛星や宇宙開発にも貢献し、7つのノーベル賞を獲った名門中の名門研究所です。いつかこの研究所の人と話をしてみたい、何なら友達になりたい!!と思っていました。

まぁこんな風に随分と「限定・特定した形」で願っていたわけなのですが、

結果的に、完全にそれらのジェダイ・マスターを引き寄せてしまいました・・。かなりのピンポイントぶりでドンピシャの人たちを。しかもその2つに関わるお二人が、これまた長年の親友同士という、随分と効率良く引き寄せたものです。笑

引き寄せた、元祖VRの方は、ずばりデータグローブの生みの親、VRオタクにとって英雄であり神様であるH氏。もうお一方も、私の引き寄せ通りベルラボご出身で上級研究員をされていたM氏(後でプライベートな話題に触れるのでイニシャルにしますね)でした。

NASAの宇宙開発で火星探査などで立体の位置情報を地球に送るのに、小さいデータにする必要があり、その圧縮技術の研究をNASAの予算削減でやめることになったので、んじゃ俺たちやりますわとスピンアウトさせた会社がFlashでお馴染みのMacromind/Macromedia社、そこから更にスピンアウトし、Pulse3Dという会社にしたのでした。

私はというと、20代の新卒にほんの少し毛が生えた位の駆け出しでしたが、とあるチャンスをいただき参画したプロジェクトがたまたま化けて、デジタル系界隈のメディアに取り上げられ、 それによって某世界的なPC企業から直接ご依頼をお受けしたり(恐縮です)生意気にも若造にしてオラクル・オープン・ワールドでUIについて2000人近いオーディエンスを前にして語るなどw(今考えると照れくさいですがw) 運が運を呼び、人様のサポートに助けられ、お陰様で何やら時流に乗っていました。

そこで、うっかり、ほんの少しアンビシャスになった小生は(w)「シリコンバレーで働いてみたい」などと願うようになりました。そこから、不思議なご縁を引き寄せ続け、あるチャンスを授かり、シリコンバレーに行けることになったのです。

にしてもですよ、ちょっと行ったからって、前述の大御所にそう簡単に会えるものでもないのでしょうが、、そこはそれ、引き寄せの絶大なるパワーに導かれ、御大お二人のNASA発の3D技術を、どんだけイケてるかっていうことをクリエイティブディレクションしながら知らしめる、エバンジェリストをすることになったのでした。
最先端の3Dテクノロジーに関わりたい。
これも叶ったということになります。

ある晩、お二人は私をディナーに呼んでくださり、食事の後は雰囲気の良いラウンジでゆったり3人で語らいながら、「Marikoはアートスクール出身だったよね」と、いつも御大お二人でやっている、アーティスティックなゲームを3人でやろうということになりました。 どんなものかというと、コースターやナプキンなど、お店のその場にある紙を使って、各々順番に自由に線を描いていって、最後はひとつの絵に仕上げていくというドローイングのリレーゲームです。

御大お二人とも、コンピューターサイエンスをまさに牽引してきた方々な上に、H氏はスタンフォードでfine artのマスターディグリー、M氏は全米3大アートスクールのひとつ、Art Instisute of Chicagoのfine artのディグリーを持っているという、まさに「Art&Tech」を随分昔から体現されている方々なのでした。

「いいラインだね」「すごく良いタッチだ」「そう表現したんだね、面白い展開だねー」とお互いを讃え合いながらコラボレーションの楽しさも味わえる、今まで味わったことがない、何とも高尚な遊びでした。

そんな、偉大過ぎるお二人と、じゃぁねーと解散し、ひとりになり、私は駐車場の車に向かうところから、堪えきれず涙が溢れてこぼれ落ちていました。

自分はとうとう引き寄せることができたのだ、、。

その実感に、感動して、泣けて泣けて仕方ありませんでした。引き寄せの力の偉大さに、深い感謝と抑えきれない気持ちでいっぱいでした。

これこそが、神の域のなせる技、「神業」なのだと。
そして、心の底から何かに突き動かされるかのように、ちょっと聞いたら人が羨むような会社を辞めて、何の保証もないベイエリアへの無謀な冒険に出たことも、結果的に間違っていなかったんだと思うと、不安に押し潰されそうになりながらも、この道を選べた小さな自分が愛おしく、我慢や緊張の糸が緩んだのでしょう、自分でも呆れる程の号泣ぶりに、、「うわー..こりゃ視界が涙で滲んで運転危ないわ・・」と判断し、山間を抜ける280号線ではなく、直線的な道が続く101というだいぶ大味なフリーウェイwを選び、 満たされた気持ちで南へと家路についたのでした。

このジェダイ・マスター達とは、当時から家族ぐるみで仲良くしてくださり、ずっと可愛がってくださっていますが、今から6年ほど前、M氏からのニュースに、大変なショックを受けました…。それは仕事が手につかなくなるほどの衝撃でした・・・。

2度目の心臓移植

M氏は当時より遡ること10年前、心臓移植の手術をしていました。それからの10年は多少危うい場面もありながらも至って元気にしていて、本人含め周りも完全に安心していたのですが、突然、心拍のスピードが上がったままになってしまい、2度目の心臓移植をするために適合する心臓を待つことになり、病院にいるという連絡でした。

2度目って・・・・
私は目の前が真っ暗になりました。

以前、御大が東京に出張で来ていた時も、ホテルで突然倒れたと連絡が入り、ある冬の大雪の中、真夜中に六本木の心臓血管病院に車で駆けつけたことが鮮明に思い出されました。その時は幸い事無きを得たのですが、他でもない心臓のトラブルを前に、為す術のなさを思い知った記憶が蘇りました。

そして、いくら心臓移植大国のアメリカといえど、適合するドナーがすぐに見つかるという保証はありません。しかも2度目の心臓移植でも元気になれるのかしら・・と、心配する気持ちを抑えきれませんでした。
本人にはいえませんが、思わず「心臓移植 2度目 生存率 成功例」とググってしまいました。

マスターは、私ともうひとりの弟子にあたるジェダイ(日本人Sさん)に、「Art in the hospital」というタイトルで、病院で描いたという絵を、毎日のようにメールで送ってくれるようになりました。

さすが、Art Institute of Chicagoのディグリーを持つ画家でもあるので、どれも素晴らしい絵でしたが、いつ適合する心臓が手に入るかわからない、想像を絶する不安な時間を過ごしていることは明らかで、、彼自身が、ある部分、死を覚悟しているような気持ちが、痛いほどに伝わってきて、、、絵を讃え励ますだけの返信しかできない自分の非力さと歯痒さで悲しくなりました。

M氏からの絵のメールは、いつしかSさんと個別になり、一対一でやりとりし始めていました。
その頃は、緊急入院してから既に2ヶ月が経っていました。
今まで見たことがないような、彼の弱音が多くなってきた印象でした・・。

いつ彼の命の終わりが来るかわからない、胸が張り裂けそうというのはこういうことかと、、、私は毎日仕事が終わり、家路の道すがら、夜の闇に隠れながら泣いていました。

とにかくなんとかしたい!!!!

諦めの悪い私は何かできないものかと考え、ハッとしました。

今まで何度もミラクルを引き寄せているのだから、私は恩師の命を救えるのではないだろうか、と。
私の引きの念の強さで、全部引き寄せればいいのだ、と。

俄然気持ちのモードが切り替わりました。
悩むなんて馬鹿馬鹿しい。完全に戦闘モードです。
待ったなしのこの時こそ、自分が培った引き寄せの力で恩返しする時なのだと。

絶対に勝つ。
絶対に勝利を導いてみせる。

祈るような気持ちで
引き寄せのメールを師に宛てて書きました。

Dear Obi-M,
私にできる小さなことをしたいと思います。
私は、あなたが完璧な心臓を手に入れて、退院した後、あの素敵なお庭であなたのプリンセスたち(二人の娘たち)と一緒に、最高に楽しそうな笑顔で写っている写真を、私に送ってくれたシーンをイメージしています。その写真は、今年の初夏です。初夏の爽やかな天気です。みんなすっごく楽しそうに笑っているけど、特にKちゃん(次女)のいたずらっぽい笑顔がとっても可愛い!!!私の頭の中で、完全にそのシーンを描きました。

想念は具現化します。私は引き寄せの法則を絶対的に信じています。
一緒に頑張りましょう!
弟子より、
Mariko


このメールを書いたのは、5月2日でした。

確か当時メールを書きながら、退院して元気に写真撮るのが「初夏」って言い切るには、いま5月で最低でも2ヶ月以内にその域に成し遂げていなければならず、術後の回復を考えてもさすがにちょっと大胆かな・・と、少しだけ迷いましたが、彼の精神状態的にも体調的にも、すぐにでも手術を引き寄せなければ!!!という強い思いから、えぇい!!!と気合を入れて書いた記憶があります。

その後、師匠から返信はありませんでした。

基本即レスの人でしたが、返さない気持ちも痛いほどにわかりました。
むしろ通り一遍の返信はしたくない程に、私の信念と気迫が彼の心に届いたのだとわかりました。
そして、彼もそれに賭けてみようとしていたのではないかと思います。


わかっていながらも、ドナーが現れたのかどうか、気になって仕方ありませんでした。
でも、いまは私から連絡はすべきではない。待とう。
一日千秋の思いで、Inboxをまめにチェックしていました。


三日後に、師からメールが届きました。


Mariko - new heart! In recovery now. Thank you for your prayers and strong spirit!!!!
M
Sent from my iPhone


嬉しさと感動で身体が震えました。
そのメールを見た瞬間のことは、今でも鮮明に覚えています。
やはり「引き寄せの法則」は今回も裏切りませんでした。

今回は自分以外の、人の未来を引き寄せるという初めてのミッションでしたが、
私の力だけで引き寄せられたとは思っていません。
私が彼に引き寄せのビジョンを共有し、彼もそれをヒントに、
二人で同じビジョンを思い描いたからこそ、実現できたのだと思っています。

そして、M氏も私も、アートの素地があるので、脳内のビジュアライズが得意ということも、より具現化の助けになった気がします。
そして「初夏」と限定したことも良かったと思っています。
引き寄せでは、時期を特定することが非常に重要なポイントです。
以下改めてまとめます。

●映像としてシーンをイメージすること
●願いが叶った時の時期を決めること

もちろん、たまたま偶然にドナーが見つかったという可能性も大いにあると思います。
だとしても、彼の精神状態が極限だった数日を、良い波動へと切り替えられたことは大きなことだったのではないかと信じています。

無事退院し、6月の下旬に、
「娘二人と庭で撮った楽しそうな写真」を送ってきてくれました。
それは引き寄せ通り、まさに1ヶ月半後の「初夏」でした。

私は彼に返信しました。
「これこれ!!私が思い描いたのはまさにこの写真!!!私が言った通りの写真を撮ってくれてありがとう!!」
そう伝えると、彼はこう返信してきました。

「え??Marikoが言った通りの写真ってなんだっけ??」

w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w w  

すごい(笑)完全に忘れているw
良い意味で、これぞアメリカ人の真骨頂だなと思いました😂👍
本人が忘れていたのに、その通りになっている、ということも
「引き寄せ」の真骨頂だなと、嬉しさを噛み締めました。

それから3年後(今から3年前)M氏は家族で日本に遊びに来てくれました。
「Art in the hospital」を受け取っていたSさんとM氏と彼の長女と4人でディナーと恒例の洋楽縛りカラオケに興じ、お互いの健闘を讃え合いながら、幸せな時間を過ごすことができました。


今回は長くなりましたが、
最後までお読みいただき本当にありがとうございます。
希望に溢れている時の引き寄せにも、大勝負の時の引き寄せにも、
幾許かヒントになれば幸いです。

みなさまに幸せな引き寄せがありますように✨
感謝🙏
麻倫子

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