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”鈍色の 空を舞ふ鳶(とび) 何処向かふ 名も荷もゝたず その身ひとつで”


”鈍色の 空を舞ふとび 何処向かふ 名も荷もゝたず その身ひとつで”

小学生・中学生の頃、鳶がゆうゆうと翼広げ、空を舞っているのをみて

羨ましく思ったことがありました。

今の私は、羨ましいとは思わず、

鳶の抱える 心もとなさ はそのまま、

私自身にも置き換えられるのではないだろうか・・・

っという気がしてます。

【追記】

Swallowtailさん作画

この歌に関してある方(Aさん)からご感想をいただきました。

その方はご両親が他界されたことをきっかけに、

ご実家はこれまで通り 場所 として存在するものの、

本当の意味での 帰る場所 居場所 というものを失ったようなお気持ちを抱き、

そこからのスタートは、何ももたない 心もとなさ がついてまわり

” 孤独” というものを、強くお感じになられるようになり、このような心もとなさは、Aさんと私(Maryam)だけでなく、

世の中の多くの女性が、漠然と心に抱えているのではないか。
っということをお書きになられていました。

御言葉をお借りしますと・・・

”わたしだけじゃない。ひとりじゃないよ。

世の中の女性も、きっと漠然とだけど「鳶」のように

そんなふうに感じている方は多い気がして。

お若い方でもいらっしゃるはずです。

独りだと感じる余裕さえない、そんな方もいらっしゃるでしょう。

Maryamさんも、こんなふうにして日々を過ごされていたんだ~と。(以下割愛)

そしてその孤独は、なかなか別の事柄や存在で埋められるものではない、

っということもご承知ではいらっしゃるけれども、

いつもいつも心が囚われているような孤独ではなく、それほど深刻なものでもない

それは、鈍色という空の色が、

いろんな状況(外部的要因)、心境(内部的要因)が重なった色であり、

たしかに鈍色に見えるけれど、鈍色のなかにも、光や色が含まれ、

状況や心持ち次第で、輝いたり彩られたりするのではないか・・・

っとのことでした。(以上引用文)

*** *** ***

非常に感受性の強い方なのだな、と拝見いたしました。

孤独 というものは男女という性別に関係なく、

人が抱えているものだろうと思います。

そして ”心もとなさ(不安定さ・危なっかしさ)” というものは、

鳶でも人でも、 意識していようがいまいが、

カラダをもってこの世に生まれ落ちたときに生じるのであろう・・・

とも、私は思っています。

Cさん(ブログ友達)が 女三界に家なし という御言葉をコメントしてくださいましたが、

女性はそう言う意味では、鳶のようには己が向かう方向、

自分で自分の身の振り方を決められない部分が、

男性よりもず~~っとあって、両親・夫・子供 の事情や意向に、

それが左右されることを考えると、

もっともっと 心もとない 存在なのだろうと思います。

”しかし、その心もとなさや孤独はそれほど深刻なものでもない。

鈍色の空のなかにも、光や色が含まれ、輝いたり彩られたりするのではないか・・・”

っというご感想に関しては、

鳶はきっと考えたり、意志しているのではなく、

本能で空を舞っている、何処かへ向かっている 部分もあるのでしょうね。

それを 惰性 という言葉で捉えることもできるし、

生きるための逞しい力 と捉えることもできるでしょう。

そしてまた、

鳶の瞳には 鈍色の空 は一体何色に見えたのかしら・・・?

っという疑問も私の裡に生じました。

空を舞っている鳶も、人生を歩んでいる私も、

向かおう という場所を持っているのか、いないのか?

向かう場所は、己の意志で定めることができるのか、できないのか?

そしてそこは、 向かおう と思って、果たして行き着ける場所なのか?

っという疑問もあります。

そのあたりが、私が”心もとなさ”というものを感じた根っこにある想いなのでしょう。

”頼りになるのは その身ひとつ”

しかし、

その身はひとつではあるけれど、"全て"でもある。

っと私は思っております。

鳶に向かう場所があるとして、

そしてまた鳶がある場所に辿り着くことができたとして、

それが、鳶の意に沿った場所であっても、まったく想定外の場所であっても、

ある場所へ鳶を至らしめるものは何か?っという疑問に答えるとしたら、

それは唯、鳶の翼であり、その身であっただろう 

っと、私は思うのです。

20140914 記

















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非常に感受性の強い方なのだな、と思って拝見いたしました。

孤独 というものは男女という性別に関係なく、

人が抱えているものだろうと思います。

そして ”心もとなさ(不安定さ・危なっかしさ)” というものは、

鳶でも人でも、 意識していようがいまいが、


カラダをもってこの世に生まれ落ちたときに生じるのであろう・・・


とも、私は思っています。

Chiichanさんが 女三界に家なし という御言葉をコメントしてくださいましたが、

女性はそう言う意味では、鳶のようには己が向かう方向、

自分で自分の身の振り方を決められない部分が、

男性よりもず~~っとあって、両親・夫・子供 の事情や意向に、

それが左右されることを考えると、

もっともっと 心もとない 存在なのだろうと思います。



”しかし、その心もとなさや孤独はそれほど深刻なものでもない。

鈍色の空のなかにも、光や色が含まれ、輝いたり彩られたりするのではないか・・・”



っというご感想に関しては、



鳶はきっと考えたり、意志しているのではなく、

本能で空を舞っている、何処かへ向かっている 部分もあるのでしょうね。

それを 惰性 という言葉で捉えることもできるし、

生きるための逞しい力 と捉えることもできるでしょう。



そしてまた、



鳶の瞳には 鈍色の空 は一体何色に見えたのかしら・・・?


っという疑問も私の裡に生じました。




空を舞っている鳶も、人生を歩んでいる私も、


向かおう という場所を持っているのか、いないのか?


向かう場所は、己の意志で定めることができるのか、できないのか?


そしてそこは、 向かおう と思って、果たして行き着ける場所なのか?




っという疑問もあります。




そのあたりが、私が”心もとなさ”というものを感じた根っこにある想いなのでしょう。





”頼りになるのは その身ひとつ”



しかし、



その身はひとつではあるけれど、"全て"でもある。



っと私は思っております。





鳶に向かう場所があるとして、



そしてまた鳶がある場所に辿り着くことができたとして、



それが、鳶の意に沿った場所であっても、まったく想定外の場所であっても、



ある場所へ鳶を至らしめるものは何か?っという疑問に答えるとしたら、

それは唯、鳶の翼であり、その身であっただろう 

っと、私は思うのです。



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