「謎のおじさんのお願い」

先日、自分が通る道で番組の収録をやっていた。普段は大して人気のないある場所が貸切り状態にされており、そこに多くのテレビ関係者と、俳優らしき人たちがいた。

珍しいものをみた気分で、そこに暫くとどまっていたのだが、ここで警備員らしきおじさんに声をかけられた。

「カメラに写ってしまうのでご移動をお願いします~」

なるほど、とは思ったのだがそもそも自分がカメラに写って困るかどうかといえば、別に困らない。そしてどうせ放送される時には編集段階で要らないものとして修正されるだろうとも思ったので「大丈夫ですよ」と返してみた。これはこのおじさんからしてみた時に予期していない回答らしく「そういうことではなくて、ここにいないでほしいんですよ」と少し本音を露わにした。断っておきたいのだが、ここでの目的は暇だからこの謎のおじさんを困らせようというものではなく、単純に収録の現場が珍しいから見ていたいというものだった。別に収録中に奇声をあげるわけでもなければ、大声で口論するわけでもなかった。

そもそもの話として、場所は公道だったわけだ。公道で、一般市民が立ち止まっているだけの状態にところにずけずけと「すみません、撮影中なので離れて頂いてもいいですか~」と声をかけてくるおじさんは不審者に近いかもしれない。ご本人がその後に言っていた通り、これは彼にとっての「仕事」であるし、「仕事」だから嫌だけれども言わないといけないということらしい。らしい、というのはこちらの解釈だ。ただ前に職務質問をしてきた警察官の方にも同様のことを言われた。

乱暴に要約していいのであれば「別にあなたのことは興味がないですけど、仕事上あなたに対してこういう風に言わないといけないんですよ」ということだろう。でもそれはこちらには関係のないことだ。それに、もしここで止まっているのが何かしらの法に触れるのであれば警察を呼んで立ち退いてもらったらいいだけのことだった。はっきり言ってしまえば、私有地でもないところに立ち止まっている自分がどかされることはないと踏んでいた。

こうした背景があり、おじさんから見たら奇妙な何かがそこにいたわけだが、通りすがりの人たちは同様の状態におかれた時にいそいそと帰っていった。くどいようだが、ここは公道であり、立ち止まってそれを見ていても特に何も問題がないわけだ。ましてや、警備員の謎のおじさんの、何の効力もなければメリットもない「お願い」を聞く必要もまったくないということになる。しかし彼らは、結果として「お願い」を聞いてそそくさと去っていった。それが自分にとっては不思議なことに思われた。きっと彼らも自分と同じで何の収録をしているのかといった興味から野次馬になろうとしていた人たちだった。そこに好奇心があるのだ。ではそれを満たしたらよいのでは?と思うのだが、それが「謎のおじさん」の「お願い」によってなくなってしまうのだった。常識的に考えたら人に迷惑をかけてはいけませんからという、それはそれでよくわからないような理由によるところもあるのかもしれないが、そもそもこれで発生する迷惑という迷惑はない。

おじさんの仕事が交通案内をして、時々「すみません~撮影中なのでご協力願いします~」と言っていることならもう十分に彼は仕事をしているし、何よりも退かない奇妙な存在がいてもおじさんはおじさんなりに注意したり、このコロナ禍においてソーシャルディスタンスという言葉を知らないかのように距離をつめて圧迫してこようとした。その場で仕事をしているアピールをこのおじさんはもう十分できていると思うのだ。怒られたらそんな理不尽な仕事なんてあるか!と割りきってやめてしまえばいい。余談だが、警察官も、こういうおじさんも「口ではどうにもならない」と分かった後は物理的に距離を縮めてくる。別に喧嘩になったとしても(そもそも関係性上ならないが)一方的にやられるとも思っていないので怖くもないのだが彼らにとって合法的に相手に言うことを聞かせる手段なのだろうなとよく思わされる。そして遂にはマスクをしていなかった自分に対して「人としてどうなんですかね」という旨の発言をする。それに対しては穏便に「どこかしらの会社に所属されている方が見知らぬ他人に対して人格否定をされない方がいいかと思いますよ」と返すに留まった。

しかしここまで書いてみても思うが、「その場に変な野次馬が湧かないように、特に法理的に何かの効力があるわけではないが、それっぽく通行人を捌いていくこと」がおじさんの「仕事」なのだと思うと寂しい気持ちになった。皮肉な意味合いでのおじさんというわけではなく、実際自分より上で40~50代に思われたおじさんが、お金以外の何の対価も得られないであろうこんなことが「仕事」となっていることだった。自分からしてみると、お金を貰ってもこんな立っているだけのことなんてしたくないと思うので、話した内容、していることを含めて全体的に悲惨さを感じてしまうのであった。

イイタイコトをまとめると、おじさんがこれを仕事として思ってやっているとしたら悲惨であるし、そう思っていなかったとしても何が楽しくて、そしてどんな経験を対価として得られるのかがわからなかったということ

そして通行人の人たちは、そこに立ち止まってみていても何の問題もないのにどうしてこのおじさんの「お願い」を聞いてしまうのかという疑問

世の中の不思議をまた一つ見た気持ちになった




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