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Harira モロッコのスープ

タイトル写真、微妙でごめんなさい!苦笑 これしかない!今日はスープ!

前回投稿で思い出語りしたモロッコツアーではフェス側にやたらと豪華な宮殿のようなホテルを提供されたのだが、そこで朝飯に出てくる豆の入ったスープがやたらと美味い。

いつか再現しよう...と思っていたら、なんでもNHKのTV番組で取り上げられてて美味そうだったから、との理由で妻が先に作り始めた。それが実にしっかりモロッコ的で美味い。本場に負けていない。いや、本場より美味いかもしれない。我が家の日本式レシピは以下。

【材料(3,4人前)】
鶏もも肉
...二枚
玉ねぎ...一個
セロリ...一本
トマト缶...一缶
ひよこ豆水煮...一缶
生姜...少々
シナモン...粉末小さじ二分の一
カレー粉...小さじ二分の一
パセリ...刻んだものを二分の一カップ
...小さじ1
小麦粉...大さじ3
【手順】
①鶏もも肉を1センチ角切り 塩ふり小麦粉をまぶしフライパンで炒める
②鍋にオリーブオイルをしき、玉ねぎセロリを粗みじん切りしたものをしんなりするまで5分炒める
③トマト缶を加え水気が無くなるまで炒める
④パセリ、ショウガすりおろし少々、パセリ、カレー粉、シナモン粉、黒胡椒少々を加える
⑤ひよこ豆と炒めた鶏肉、水400mlを加え少し煮る
⑥さらに水400mlに小麦粉を加え混ぜたものを鍋に投入中火で少し煮る
⑦トロミがついたら完成

とりあえずカレー粉を使っているが、要するにウコン(ターメリック)だと思う。辛いスパイスは入っていない感じなので何かブレンドするとしたら...乾燥香菜とかくらいかな。肉は羊や牛でも美味しい。イスラームの国の料理なので豚は遠慮しておきましょう。

最初から水で炊かずに、継ぎ足し継ぎ足し大切に水を使ってる感じ。乾燥してる水が貴重な国だからかな。トマトがベースのスープてことで、これもやはりコロニアルな匂いがする。大航海時代以降、アメリカ大陸から伝わったトマトという野菜はさまざまな国や地域で料理の革命を起こしたんじゃなかろか。

モロッコではラマダーン(断食月)明けの食事にこのスープが重宝されたりするそうだが、確かにbraekfast(直訳:断食明け)にホテルで出されたハリラは、前の晩にバーで、プールサイドで、部屋で、しこたま飲んだ私の胃にもとても滋味深く優しかった... 下の写真は本場のハリラ。

下写真はウチのバンドのファンキードラマーがくつろぐラグジュアリーなプールサイド(絵にならねえ)

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我々が行ったアガディールという街はモロッコの南西部。アトラス山脈と大西洋に挟まれたなだらかな斜面のオアシス。アラブというよりベルベル遊牧民の文化が色濃く残り、美容に敏感な女性には大人気の上質なアルガンオイルの一大産地&集積地であります。

飛行機の窓から見るアトラスの山々(直前にツアーしていたガーナから北上している図)。大西洋からの湿った風をせき止め、雲が発生しているのが見える。

俺が滞在した七月上旬の数日間は、ほぼ毎日、夜中から雲が空を覆い、未明に穏やかな雨が降り、日が昇ると一気に雲が晴れ、毎日カラッカラのドピーカン(死語)。個人的には最高に過ごしやすい気候だった。昼は30度なんか平気で超えてくるが、夜中から未明は肌寒い。

察するに、日中の高気温で蒸発した大西洋の水分が上昇気流に乗ってアトラスを駆け上り、日が沈み気温が下がり、飽和水蒸気量が下がった上空で未明に雨雲と化し雨を降らす。そして日が昇り気温が上がると雲は消滅、真っ青な晴天!これを毎日繰り返しているのだろう。(下記、下手な図)

沿岸に高い山がある地形では日本でも夏場に見られる現象だけど、この厳しい砂漠の国では人が住むオアシス的リゾート地に真水という貴重な恵みを惜しみなく与えてくれる奇跡のように映った。カラカラなのに、生きていくための水はある。

こんな感じで割とご機嫌なビーチが続いております。高級リゾートホテルが並んでいる。おしゃれなバーやレストランも。俺の友人のポルトガル人のおっさんは80年代の終わりから90年代初頭、ここにホテルのボーイやウェイター、クラブのバーテンなどやって出稼ぎに来ていたらしい。つまりまあ、そういう場所なのだ。

ビーチではラクダのムスタファくんも観光客相手にアルバイト頑張っている。観光客は西欧人、アラブ人、パキスタン〜インド人が多く、東洋人はほぼいない...俺がムスタファに乗ってビーチを闊歩していると、地元の若い奴らから「ブルースリー!」「ジャッキーチェン!」との声援が飛ぶ。東京では板橋のジェイソン・ステイサムと呼ばれているんだがな...

アガディールは一人の釣りキチのポルトガル騎士、ジョアンノ・ロペス・デ・セケイラが拓いた街だ。良い漁場を獲得するため、それに適したモロッコ南沿岸を占領。1505年の事だ。しかしそれから数十年後にはベルベル原住民の激しい攻撃に会い、ポルトガル人は撤退。その後、ドイツとフランスのすったもんだの末、フランスが獲得。1954年のディエンビエンフーの戦いでベトナム人民軍に事実上敗北した仏軍がインドシナ半島を手放した勢いで仏領モロッコを手放すまで、その支配は続いた。
俺の好きな、きだみのる(山田吉彦)の知られざる名著「モロッコ」は敗戦直後の挫きと贖罪の中、フランス通の日本人が渡航禁止のモロッコへ潜入する紀行録だ。そこにはアガディールはまだ素朴な漁村といった風情を残す姿で描かれているが、早朝の靄がかった空と海の描写は俺が訪れた時と寸部変わらない印象。

山田吉彦の著書の中でしきりに繰り返されるキーワードが「モロッコはフランスの満州」というもの。自国からの距離感、そして未開な乾燥した大地を駆け回る遊牧原住民匪賊の群とその反乱。言うまでもなく俺は全ての植民地支配を否定する立場だが、現実にはかつて多くの植民地を獲得した国が現代社会でも有利に振舞っているのが実情だ。敗戦直後の山田は、どんな甘苦い気持ちでフランス占領下のモロッコを回ったのだろうか。

今も今とて、フランス語はあらゆる公的な場面で力を持つ公用語の一つだし、フェスのステージのテクニカルスタッフや取材に来るメディア、インタビュアーも圧倒的にフランスやベルギーの仏語圏の人たちでしたね。

勇猛で鳴らしたベルベル遊牧民の文化に触れるならやはりモロッコ南部なのだろうか。フェスティバルではベルベル民謡〜ポップスや歌謡曲までしっかりとしたラインナップが楽しめたし、お客さんが大いに湧いていた。

自分の出番が終わり、客席で盛り上がる俺。(この後、お客さんからサイン責めにあって現場が混乱したのでステージのガードマンに楽屋へ押し込まれる)

アラブ・アフリカの民族歌謡"ライ"の歌手としても有名なFatima Tihihit Titritさんにステージ裏で挨拶したらこの抱擁。マントの中はバラの香りであった。
こういうリゾート地の大型フェスでもちゃんと自国の民族の音楽が高い人気でいる事、非常に感銘を受ける。いや〜俺もちゃんと故郷、岐阜の民族衣装(中日ドラゴンズのキャップ)持ってきてて良かったよ。

楽器好きは世界中どこでもすぐにマブダチになれる。

ベルベル諸民族の民族自称は「Amazigh(アマジーグ)」。客席にはそのアマジーグを表す民族の旗を振る若者たちの姿も。アラブ化した中でもしっかりしたアイデンティティを持っている。富山のワールドミュージックフェスSUKIYAKI MEETS THE WORLDで共演したグナワ・ディフュージョンのアマジーグはアルジェリア出身のお父上にこの民族の名前をもらったのだね。

前回投稿でも紹介したこのFestival Timitar ,モロッコ観光の際にタイミング合わせてアガディールに行くのもオススメ!

最後にウチのバンドの箏&唄の森川さんの「リゾート前」「出勤前」の表情の違いをお楽しみいただいて、本日の投稿を終わりにしましょう。

それではシュクラン!サハ!ブスラマ!

アテブレーベ!


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