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なめろう 漁民の"沖飯"

獣肉を焼いたり、焼かなかったり...の回が続いたので、魚食に戻りましょう。大陸の人というのはおしなべてゆっくり食事を楽しむところがあるね。それに比べて日本の人は普段は早メシでせっかちなとこある。

本日はそんなせっかち飯の雄、"沖飯"と言われる漁師の船上料理。「なめろう」。これを俺は一時同居していた千葉県勝浦市出身の義祖母、そして義母から教わった。郷土の伝統を伝える大切な我が家の家庭の味。あまり米を食べない我が家で普段パン食中心の娘も、なめろうの時はご飯をモリモリ食べる。

【材料(二人前)】
・アジ(イワシやトビウオなどの新鮮な青魚ならなんでも)三、四尾
・大葉   四、五枚
・生姜 半欠け
・長ネギ   生姜と同程度
・味噌   大さじ一程度
【手順】
①大葉、生姜、長ネギを細かく刻む
②刺身用におろした青魚の身を粗みじんに刻む
③味噌と①を入れて、さらに魚を刻みまくる(粘りが出るまで)
④皿に平たく盛りつけて包丁の裏で網目状に模様を入れる

いつもながら非常にシンプル。魚は我が家ではアジが好まれます。義祖母や義母は「刺身やなめろうにするなら大物のアジより中ぶりのものの方が味が良い」と言う。俺もそんな気がする。脂が乗り過ぎていなくて適度にさっぱりしてて。基本的にオールド・スクールな関東人は脂を好まない人が多い気がする。カツオだってさっぱり筋肉質な初鰹を愛でる。

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とある日のなめろう完成図。これは本当に美味しくて、もし作りすぎて余ったら翌朝ハンバーグのように焼いて食うと「さんが」と言われる料理になる。日持ちしない料理なので磯から遠い「山家」の人に食わせる方法、てなネーミングだろうか。我が家では大人気メニューなのでたくさん作った日も翌日まで余ることがなくて...さんがの写真がなくて残念。

なめろう。元は外房の漁師が忙しい船上で魚の身を薬味と一気に叩いて飯に乗せて食ったのがはじめ、と言われる。元来ワイルドな料理ではあるが、家で作る時はぜひ薬味を刻むときに丁寧に細かく、をオススメします。一緒に適当に叩き潰すより多少シャキシャキとした歯ごたえのアクセントがある方が美味しいと思う。

生姜を頑張って刻む。

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白ネギも刻む。

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大葉が一番刻みにくいけど刻む。

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おろしたアジの身を...(出刃包丁があった方がいい。この日は使わなかったけど...)

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chop !(くどいですが出刃包丁あった方がいいね)

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さらにchopしつつ薬味と味噌を加え...

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chopしまくる!!!(絶対、鋼の出刃の重みがあった方が楽!!!)

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出来上がり。味噌の種類や量、薬味の塩梅はお好みですね。俺は赤味噌王国の岐阜県出身だけど、なめろうの味噌は八丁味噌系は塩分が強すぎるかな。味噌汁は赤だしがベストやけど!

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嫁さんの母方の実家が勝浦〜鴨川なので法事などでよく行くようになったが、房総半島は本当に大好きな場所になった。(カミさんの実家自体は岩手県。義父が岩手の人なので)

先日の投稿では中国西域や定住しない遊牧民のことについて触れたけど、日本もそう定住型の文化ばかりではないな、と思う場所が漁村。

俺は山国育ち(岐阜県美濃地方)なので、漁村を見ていると港に出入りする「流れ者」の受容の歴史を感じることが多いというか。山奥の場合は落武者伝説とかはあるけど...やっぱ海辺ほど人の移動を感じない。

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写真は以前同居していた義祖母の実家の集落、勝浦市大沢エリア(昭和三十年代撮影)。

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最近(平成二十八年撮影)はこんな感じ。あまり変わらない。ご覧の通り、断崖の合間の切り立った谷に集落が作られている。この急峻な斜面を降ると突然、磯&漁港。当然、市には「崩落危険地域」の指定を受けていて、所々に大きな土砂崩れの名残が見られる。ここは明治〜大正期に伊豆方面から移住して来た漁民が作った集落であるという話で(親戚談)山を超えた鴨川方面の緩やかな浜辺を遠慮して新参者の移民はこうした地域に集落を形成したのかもしれない。

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そういえば一昨年だか、「サカナとヤクザ」という素晴らしいルポタージュ本を読んだが、日本の漁業権や漁場の土着的な権利と法整備の歴史は色々と特殊すぎる事情のオンパレードで、つくづくこの国は古い海洋国家なのだな、とシミジミ感じ入った。また、房総の漁師は昭和前半まで全裸に「男性器に藁を巻いただけの姿」で生活する、という習俗があったそうだがそこにも漁場、網元の利権と地元民のヒエラルキがー大きく関係していたのだということを最近このblogを読んで知った→「昔の漁師が全裸で町を歩いていた理由」 
古来、海という巨大な資源をなるべく有利に、安全に利用しその恩恵に預かるには地勢的なポジショニングは死活問題だったろう。集団の秩序やその中での立ち振る舞いも。義祖母の故郷の集落とその成り立ちを聞いて、色々なことを想像する。

これを差別的な問題や政治的な問題として捉えるセンスは俺は持ち合わせていない。

ただ、この独自の「棲み分け」と「受け入れ」そして最終的になんとなしに「同化」へ向かう人間同士の距離感覚には、列島で生まれ育った一個人として何かしら心の深層を抉られる様な感覚はある。

あ、誤解がない様に行っておくと、この房総半島の断崖地域の人々の性格はおしなべて非常に明るくオープンですよ。ホントにポジティブで、クヨクヨしない(あくまで私の狭い経験から感じている集団としての"傾向"です)。しかしその口調は非常に強烈で、ある意味攻撃的でさえある。でも、不思議と排他的な感じはしないし、地域毎に格差があるとも感じない。なんつうか、ペラペラちゃきちゃきと憎まれ口を叩く、江戸弁の兄弟っぽい感じと言うか、、、、

まあいいや、

ともかく、毎度墓参りや法事に行くたびに、各地域に残る「漂着&定住」の痕跡に胸が締め付けられる房総半島。

義母や、カミさんや、自分の娘(特に長女)の容姿に見られる南方的な身体的特徴と太平洋を見比べながら、なめろうをつまみながら、

あの沖を流れる黒潮に想いを巡らせるのでした。

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