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「ときには虚勢も必要」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(三十四)

 第三者の目にはどこが面白いのかさっぱりわからない、単調な庭作業に没頭しているときのことでした。

 突如として家のなかからドタドタドスンというただならぬ音が聞こえてきたのです。直接見たわけではありませんが、瞬時にしてぴんとくるものがありました。そしてその光景が鮮明に脳裏に浮かびました。

 案の定です。タイハクオウムのバロン君がギャーギャーと大騒ぎする最中、階段から転がり落ちた妻が廊下にうずくまっていました。骨折していないかどうかを確認し、とりあえず打撲のみとわかったので、痛みが遠のくまでその場に寝かせておきました。

 これで二度目のことです。正しくは三度か、それ以上かもしれません。それというのも私に「ドジな奴」と言われるのが癪で、気づかれないときには黙って耐えているからです。デッキから転落したこともずっと後になって話したくらいです。

 とはいえ、けっして歳のせいではありません。二十代の頃からこんなでした。デート中に交差点の真ん中で足をもつれさせてひっくり返ることがたびたびありました。今にして思えば、幼児のように目が離せない相手だとわかった時点で結婚を決意したのでしょう。半世紀以上に及ぶ夫婦生活において口癖になってしまったのは、「この俺が二十四時間、三百六十五日自宅にいられる仕事をしていなかったら、おまえはとうに死んでいたぞ」という恩着せがましいにも程がある決め台詞です。

 また、階段の造りも造りで、暴力団の事務所のそれに似て、狭い上に急勾配なのです。敵対組織に攻めこまれた際には有効なのでしょうが、運動神経のかけらも持ち合わせていない妻にとっては致命的です。そこでエレベーターの使用と手摺りの取り付けを提案したのですが、意地っ張りの妻は拒否しつづけるのです。やむなく階段の掃除を代ることで妥協しました。

 時々こんなことを考えてしまいます。結婚に関する運命の働きは、もしかすると互いに補い合える方向で動くのかもしれないと。

 そして私のほうはと言いますと、どうやら妻の存在そのものから言うに言われぬ摩訶不思議な安らぎを得ているようなのです。

 そんなこんなを今頃になって悟った次第です。

 私たちに向かってバロン君がからかいの言葉を発します。

「ボタンの掛け違いは否めないけど、まあ、そこそこお似合いってもんじゃないの」

 不吉な十三段の階段が、老夫婦が上り下りするたびにこんな憎まれ口を叩きます。

「高齢者が無理するんじゃないよ」

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