書房いぬわし

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「生きたまま現世を超える?」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(二十)丸山健二

 庭に集まってくるさまざまなハナバチたちの羽音の渦に巻きこまれて花殻を摘み取る作業が、おそらく誰にも理解できないであろう至福の時を与えてくれるのです。  不思議な感覚です。根気のいる単調な仕事がなぜこうした充足感を差し招くのでしょうか。傍目からすれば理解できないと思います。  掛け替えのないその気分をどう表現していいものやら、物書きのくせに、これがなかなか難しいのです。  癒しを帯びた安らぎでしょうか。それとも、地上にも天国が存在するという確信でしょうか。はたまた、知的

    • 丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』【3】10月21日~31日

      第3回目の連載では「ボート」「木漏れ日」「脳」「ハンググライダー」「虹」「牛乳」「交情」「扉」「畑」「嫌悪」「義手」が語ります。

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      • 「死が癒してくれるよ」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十九)丸山健二

         幸運にも、この八十年間で残酷な自然災害に見舞われた経験が一度もありません。しかし、この先もそれがつづくかと言いますと、「怪しい限り」が本当のところでしょう。  本能的直感なる疑問符だらけの予感を前提にしますと、天変地異の時代が募ってゆくばかりと感じている人々の数は、増えることがあっても、減ることはないと思います。今さらながら偉そうに言うまでもないことなのですが、世界の変化は大中小の組み合わせによって構成されています。たまに発生する激変が普通の変転を差し招き、それが大災害を呼

        • 「人生なんてさあ……」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十八)丸山健二

           標高が七百五十メートルだからといって、この地の夏が格別涼しいというわけではありません。  内陸性気候の特徴で、確かに湿度は低く、海辺のむしむし感と比べたらまだましとはいえ、たびたび発生するフェーン現象のせいで気温が都市部のそれを上回ることも珍しくないのです。「信州って意外に暑いんですね」などと客にからまれても、「そうなんですよ」のひと言でさらりとかわすしか手がありません。  冬は雪と低温に支配され、夏は夏で世間が想像する以上の高温に見舞われるとなると、当地の生活環境がなんだ

        「生きたまま現世を超える?」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(二十)丸山健二

          丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』【2】10月11日~20日

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          丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』1988年10月1日~10日

                   ☆  私は風です。  うたかた湖の長命な湧水から生まれて  穏健なる思想と控えめな恒常心を兼ね備えた  名もなき風です。  気紛れ一辺倒の私としましては  きょうもまた日がな一日  さながら混沌に支配されたこの世界よろしく  特にこれといった意味もなく  曲がりくねった岸辺に沿ってひたすらぐるぐると回るつもりでした。  ところがです  一段と赤みを増した太陽が連山に向かってぐっと傾くや  本当はどうでもいい存在の人間をひとり  結構長生きして

          丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』1988年10月1日~10日

          丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』の連載にあたって

          丸山健二を知っていますか? こんな小説を読んだことがありますか? 丸山健二は、就職先の商社が合併されて路頭に迷う前の23歳、初めて書いた小説「夏の流れ」で芥川賞を受賞。その後、文壇とは一線を画して長野県に居を構え、今の今まで徹底して純文学を追究している書き手です。 丸山健二は、書くことを止めません。 365日、毎朝、必ず書きます。それが60年近く続いています。 なぜか。 それは一日でも書くことを止めてしまったならば、言語芸術の精髄たる文章力が落ちてしまうからです。 純

          丸山健二著『千日の瑠璃 Changed writing style for web ver.』の連載にあたって

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十七)丸山健二

           この数年、蝶が集まる庭にしたい一心から、ブッドレアの種類と数を集めています。  噂では聞いていましたが、確かにその効果には絶大なるものがあります。人の鼻に感知される香りとしてはバラに遠く及びませんが、しかし蝶にとっては引き寄せられずにはいられない匂いであるらしく、日が落ちる直前まで絢爛たる乱舞を披露します。  この地へ移り住んだ半世紀ほど前には、庭とはとても呼べない殺風景な空間にすぎなかったにもかかわらず、あらゆる蝶がごっそり集まってきていたものです。また、夏の夜ともなると

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十七)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十六)丸山健二

           安らぎとときめきという、互いに相反する感動を、素人の造園家に求められつづける庭の苛立ちときたら、「さもありなん」ということなのでしょう。  しかし、極端から極端へと走りがちな、もしかすると自我意識に少々狂いが生じているのかもしれないこの私ときたら、そうした相反する感動の融合を求めて止まないのです。  いくら真剣に、あるいはどんなにふざけて生きてみたところで、おのれをしっかり確保する方向へなかなか進んでくれない、その理由が未だによくわかりません。  文学における新作への挑戦も

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十六)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十五)丸山健二

           この三百五十坪の敷地は、母親が実家から分け与えられたリンゴ園の跡地です。  ところが、こんな辺鄙なところでは利用価値がゼロに等しく、長年ほったらかしにされた結果として全体がススキに埋め尽くされ、要するに荒れ地の典型と化しました。  食材が豊かになるにつれてリンゴの需要は減ってゆき、さらには後継者不足が祟って、見捨てられた農地が増えていったのです。そうした時代の流れに取り残されてしまったこの地は、あげくの果てに若き貧乏作家の住処となったのですが、だからといって気に入って移り住

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十五)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十四)丸山健二

           今は亡き、かの高倉健さんが訪ねてくれたことがあります。  みずから運転してきた愛車は見るからに高価そうで、私の家が数軒購入できるのではと想像され、その深々と心地よいエンジン音にも圧倒されたものです。  なお且つ、高名に過ぎる映画俳優が放って止まないオーラには、なるほど、聞きしに勝るものがありました。  彼自身さほど興味があるとは思えない手造りの庭に健さんが佇んだ際には、それはもう自慢の花々が一斉に存在感を弱めてしまったくらいなのですから。  驚きはそればかりでなく、寡黙の権

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十四)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十三)丸山健二

           勤めていた会社が倒産の危機を迎えて転職を余儀なくされ、しかし、資本家に尻を蹴飛ばされつづける奴隷の立場はもうたくさんとばかりに、なんと、柄にもない、想像したことすらない、小説家の道を、興味も経験もなしに、とち狂ったとしか思えないほどの発作的なひらめきに沿って動いてしまったのです。二十二歳の夏のことでした。  あの時の選択と決断を振り返れば、大いなる謎としか言いようがありません。つまり、職種はほかにいくらでもあったはずなのです。にもかかわらず、社会の敵というレッテルを最初に貼

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十三)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十二)丸山健二

           冬期の渡り鳥であるレンジャクが群れをなして飛んできた際に、美しい姿のかれらが粘着性の強い糞といっしょに種を落としたに違いありません。  そして時が経ち、ヤドリギがイタヤカエデの枝のそこかしこから芽を出したのです。気づいたときにはもうほぼ占領されていることが、晩秋に葉が落ちて樹形が丸裸になって初めて判明しました。  しかしながら、その時点ではさほど気に留めていませんでした。敵が小さ過ぎて、さほどの影響はないだろうと高をくくっていたからです。現に、黄色い実をいっぱいにつけるヤド

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十二)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十一)丸山健二

           かつては紅葉よりも黄葉に惹かれたものです。その理由については我ながらよくわかっていません。想像するに、たぶん、明るい未来を表象するかのような見事な黄色に目を射られると、いかにも文学的な厭世気分がいっぺんに吹き飛ばされたかのごとき、そんな錯覚に陥るからでしょう。  黄葉する樹木で一番好きなのはダンコウバイです。この低木は日陰を好み、森や林のなかでなんとも形のいい大きめの葉を広げて、秋には和風にして上品な黄色に染まるのですが、出会うたびに我が家の庭にも是非と思ったものでした。と

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十一)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十)丸山健二

          「花の命は短い」とは、言い古された真理のひとつで、女性の美とも重ね合わせた代表的な表現でしょう。  ところが、異性との付き合いはともかく、植物とのそれだけは長い私にとってみれば、説得力にあふれた言葉であるかどうかは甚だ疑問なのです。  それというのも、どれほど美しかろうと花期が長いとしまいには飽きに耐えられなくなるからです。つまり、散る時に散ってくれない花は、残念ながら美の価値を半減させ、のみならず、愛想尽かしの対象にまでされかねません。  その典型的な例がサルスベリで、夏中

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(十)丸山健二

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(九)丸山健二

           人生の荒波を想い起こさせずにはおかぬ、大小の厄介な問題をその場しのぎのやり口でどうにか乗り越え、今年の庭もまたいかにもそれらしく見えてしまう絶頂期を迎えつつあります。年々体力が落ちてゆく高齢者らしからぬ奮闘の成果としては、まあ、まあ、こんなものでしょう。そう自分に言い聞かせながら嘘っぱちの満足感に浸ることにしました。  つまり、他人から見ればどこが面白いのかさっぱりわからない、あまりに地味であまりに労が多い力仕事の継続の結果が文字通り花開いて、作り手以外は理解しようもない、

          言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(九)丸山健二