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「イメージを優先させるな」言の葉便り 花便り 北アルプス山麓から(三十三)丸山健二

 標高があるからといって涼しい夏を満喫できるとは限りません。

 観光地として有名な高原であっても、ときとしてそれなりの暑さに閉口させられます。

 ましてここは、七百五十メートルという中途半端な高度ですから、太平洋高気圧の張り出し方いかんによっては三十五度を超える高気温に見舞われることも珍しくありません。

 もうだいぶ以前のことになりますが、ヒマラヤの青いケシにいたく魅了されたことがあり、たとえ一日でも三十度以上になる土地ではまず無理だと承知していながら、ごっそり苗を取り寄せて植えたものでした。むろん、その年には開花します。ネーミングを遥かに上回る美しさでしたが、しかし、れっきとした宿根草であるにもかかわらず、翌年には影も形もありません。

 それでもすっかり諦められるまでには数年を要したでしょうか。やがて、苗を販売する業者のカタログにもまったく紹介されなくなりました。やはり駄目なものは駄目という常識が植物愛好家のあいだに広まってそうなったのでしょう。

 その後、標高千メートル以上の庭で根付いたという話を耳にし、テレビ番組でも紹介されたことがありましたが、それきり音沙汰無しです。

 逆のケースもあります。学名はマラコデンドロンで、商品名はアメリカナツツバキという花木ですが、白い花の中心部が紫色という、なんとも魅惑的な美しさに惹かれて取り入れてみました。なかなか根付きが悪く、幾本か枯らしたのですが、残りは成功し、年々それなりの生長を遂げ、ついには幻想的な花を枝がしなるほどつけるようになりました。

 ところが、耐寒性がマイナス十度であるために、それ以下となると途端に弱ってくるのです。一日くらいならどうにか耐えてくれるのですが、マイナス十五度が連日となるともういけません。春が訪れると枝の大半が凍死していることが判明しました。完全に死んだかと思い、幹をよくよく調べてみますと、本体の三分の一くらいが瑞々しさを保っていて、その年の初夏には僅かな数の花を咲かせてくれました。以後、復活の兆しが鮮明になってきています。でも、安心はできません。何しろ気候変動の時代なのですから。

 高齢者夫婦たる私と妻、そして南国が故郷であるタイハクオウムのバロン君。気紛れな暑さ寒さにもめげず、どうにか対応して生き抜いています。命の最大の意義は、闘うことにあるのでしょうか。面倒くさい話ですが、生きられるだけ生きてみます。

 なんと赤花を咲かせるヒマラヤの青いケシが、かつてこんなことを言いました。

「イメージを優先させて庭を作ってはならんぞ」

 愛用の水性ボールペンが、かつてこんなことを言いました。

「現実という基盤があってこその真っ当な文学だということをゆめゆめ忘れるでない」

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