見出し画像

東京2020オリンピック競技大会開会式プラカードペアラーに応募してみた


私はオリンピックのプラカードペアラーに応募した


 私はコカ・コーラ社が主催している東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会開会式プラカードペアラーに応募することにした。



もし、私の過去の記事を読んでくれた読者なら、怪訝に思われるかもしれない。

 なぜなら、私がYoutube番組・一月万冊を視聴していると、公言しているからである。一月万冊のレギュラーである本間龍氏は、今回の東京オリンピックについて厳しい批判を述べているからである。

 私も本間氏の動画を視聴している。

 他の著者も、オリンピック開催については否定的な意見を述べている。

 それでは、なぜわざわざ応募したのか。

 それは、先月話題になった福島県の聖火リレーのスポンサーカーの動画を視聴したからである。

 東京新聞の記者がTwitterで公開し、ネットでまたたく間に話題となり、一月万冊でも取り上げられ、色々な人が件の動画やスポンサー企業について語っているから、私は特に語ることはない。

 ただ、あの動画をみて、思ったことがある。


 添田唖蝉坊の曲がぴったり合うな!


添田唖蝉坊とは? 


 「添田唖蝉坊」と聞いて、誰のことかわからない人も多いかもしれない。

 添田唖蝉坊こと、添田平吉は明治・大正・戦前昭和を生きた演歌師のことである。「演歌」と聞くと、美空ひばりや北島三郎などが有名で、戦後昭和の大衆音楽で、歌詞や歌唱法で好きな人と嫌いな人、そもそも関心がない・よくわからない人に明確にわかれる音楽のジャンルだと思うかもしれない。

 しかし、戦前にも「演歌」があったことは知られていない。

 実は、「演歌」の「演」は「演説」のことで、明治時代の自由民権運動の活動家が自身の政治主張を伝えるために、うたった「歌」だから、「演歌」と云った。それがなぜか、戦後になると「艶っぽい内容」を歌う「艶歌」が「演歌」と云われるようになった。なぜかは、詳しく調べていないので、私も知らない。

 私はなぜか、唖蝉坊の演歌を学生時代に聴いていた。

 日本の歌曲は、私の偏見だが、「艶歌」「男女の仲」に引きづられがちなような気がしてならない。どうしても、「君と僕」のような人間関係を歌っているような内容が多く、社会を風刺したり、聞いている人間をハッとさせるような曲は少ないような気がする。海外では、アーティストが自身の政治的な見解を積極的に述べたり、歌曲に社会問題を組み込んだりしているのと比べてみると、どうしても情緒的な内容が多いような気がする。あるいは、人間関係を抜きにしようとすると、唱歌のような自然の景色を描写したような曲になってしまう。

 私が唖蝉坊の演歌を聴くようになったのは、音楽家の土取利行氏のYoutube動画からだ。土取氏の演奏技術や歌唱力もさることながら、唖蝉坊の作詞した歌のパンチの強さが光っていた。

 例えば、大正8年(1919年)に発表した「デモクラシー節」は次のような歌詞から始まる。

近頃流行りのデモクラシー
近頃流行りのデモクラシー
高い教壇で反りかえり
広角泡を吹き飛ばす
それが学者の飯の種
ナンダイ飯の種デモクラシー


 この時期は、歴史学では「大正デモクラシー」と云う時期にあたり、政治学者の吉野作造が”Democracy”と云う言葉を「民本主義」と翻訳し、憲法学者の美濃部達吉が明治憲法下での議会制民主主義を根拠づけた「天皇機関説」が支持された、と教科書では記述されている。
 しかし、ふたりとも東京大学の教授である。現代では、東大出身者の官僚や政治家、企業人の起こしたニュースは連日のように報道されているが、やはり、「東大」と云われると、何となく「権威」を持ってしまう人は多いと思う。東大出身なら生涯賃金は他大学出身者よりも多く、就活でも優先的にポストが回ってくる。私が子どもだった2000年代にベストセラーになったマンガの『ドラゴン桜』もそんな「受験勉強で東大に受かって、東大ブランドを活用して成り上がろう」と云うコンセプトであった。
 まして、大卒者どころか高等教育を受けた人が少なかった戦前なら、「東大」は雲の上のような存在だったことは想像に難くない。大正期に作家としてデビューしていた川端康成の『伊豆の踊り子』の主人公は、一高生であるが、登場人物は「一高生」と云うだけで、やたらに主人公と仲良くしたがっている。戦前の一高生は、基本的に卒業後の進路はほぼ東大で、エリートとしての将来が約束された人たちだったから、お近づきになりたいと思うのは現代と変わらない。ちなみに、川端は自身の体験をもとに、同作を執筆していたと云う。

 さて、そんな東大教授お墨付きの「デモクラシー」の実態はどのようなものだったのだろうか。

四海兄弟 神の子も
サガッチャ怖いよお化け面
食い物奪い合いむしり合い
生存競争のあさましや
泣くやら笑うやら怒るやら
ホント二ヘンテコな
デモクラシー

雨の降る夜はなさけない
ぶるぶる震えて軒下に
寝てりゃ犬が来る
吠えくさる
娑婆にいるより牢がいい
三度のお飯の苦労がない
マッタク苦労がない
デモクラシー

お米は一升台でありながら
自動車が増えるよまた増える
三越、白木屋、松坂屋
貴婦人令嬢のお買い物
俺の嬶アがトンキン米
一升買いに行く
デモクラシー

 
 続きは、Youtubeの動画を視聴してほしいが、落語のような歌詞が散りばめられながらも、かなりどぎつい内容となっている。レトリックはかなり古臭いが云わんとしていることが何となくわかってしまう。「民衆」と異なる世界で、「デモクラシー」が語られていたことがわかる。

 

 唖蝉坊の歌は、あまりもパンチが効いていたので、一部の歌は権力から発禁を食らうこともあったと云う。

 大正7年(1918年)に発表された「豆粕ソング」は、米価高騰により、米の買い占めが起こり、庶民がお米が食べられなくなったので、当時の東京市長の田尻稲二郎はお米の代わりに豆粕を食べることを推奨したのを皮肉っている。

高い日本米はおいらにゃ食えぬ
おいらそんなもの食はずとも、よ
どんなへんなもの食わされたとても
生きていられりゃそれでよい

米が高いとて泣くような奴は
日本男児の面汚し、よ
何よくよくよ水飲んでさえも
少しゃどうかこうか生きられる

粕だ粕粕おいら米や食えぬ
食えりゃこの世は嘘じゃもの、よ
何はともあれおめでたい御代じゃ
生きていられりゃありがたい


 発禁を食らった唖蝉坊は、「豆粕ソング」のカモフラージュとして「イキテイルソング」を発表する。日本米が食べられず、生ける屍と化した人間が登場し、かなりコミカルな内容になっている。ちなみに、「豆粕ソング」や「イキテイルソング」は中山晋平「憎いあんちくしょう」の替え歌で、もともと戯曲の歌だ。ちなみに、その戯曲のタイトルは「生ける屍」だ。

生きたガイコツが踊るよ踊る
ガイコツどんな事言うて踊る、よ
やせたやせたよ外国米食うて痩せた
日本米恋しいと言うて踊る

日本に生まれて日本米が食えぬ
へんな話だが嘘じゃない、よ
豆のしぼり粕 外国米食うて
ようよ露名をつないでいる

日本米は食わいでも日本人は偉い
大和魂持っている、よ
たとえ外国米のオクビが出ても
やはり偉いからエライもんじゃ

 

 大学時代は何となく面白い歌だと思って聴いていたが、今年に入って再び聴き直してみると、内容があまりにも現実にリンクしすぎていることに気づいてしまった。逆に云うと、唖蝉坊が生きていた時代から日本は、あまり変わっていないことが今回のコロナ騒動で露呈したと云えるかもしれない。政府が国民に我慢を強要し、文句も云わず黙って受け入れてしまう日本の庶民の姿が見事に描かれている。

 最近、読むようになった安冨歩氏が述べている「立場主義」と重ねて、唖蝉坊の歌詞を読むと、理解が一層深まった。「立場主義」とは、次のような思想だ。

一 「役」を果たすためには、なんでもしなくてはならない
二 「立場」を守るなら、なにをしても良い
三 人の「立場」をおびやかしてはならない
(安冨歩『ジャパン・イズ・バック』、193頁)
 それは社会が人間ではなく「立場」からできている、という思想です。
 各々の立場には「役」が付随していて、役を果たしていれば立場は守られる、ということになっています。このような社会で人間は、立場の詰め物のようなものになり下がります。役が果たせなければ「役立たず」ということになり、立場を失います。そうすると、人間は居場所を失うのです。
(安冨『あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。』、76頁)


 「立場主義」と云う用語は、安冨氏の造語なので、唖蝉坊の演歌には直接述べられていない。しかし、唖蝉坊の演歌が描いている社会はまさに「立場主義に基づいた社会」そのものだと云うことだ。私は、唖蝉坊が「立場主義」をストレートに描けたのは近代のはじめに生まれた人間だから、と考えている。なぜなら、安冨氏は「立場主義」は近代に成立した、と論じているからだ。逆に、「立場主義」が当たり前になった現代では、ストレートに描きづらいのではないかと思う。現代の歌謡曲の多くは、「立場」「役」を演じることから生じる苦しみのほうが多く描かれているようにも思う。あるいは、一体何で苦しいのか、わけもわからずに苦しいと云う歌も多いのではないか。


 応募した理由


 さて、私が応募した理由について語ろうと思う。

 と云っても、大した理由ではない。

 唖蝉坊の演歌に件の聖火リレーの宣伝カーとオリンピックがぴったり合いそうだ、と思っただけだ。どうせ、反対意見など最初から聞く気がないし、オリンピックに使われるお金が私のもとに流れてくることもない。それなら乗ってみるのも悪くないと思ったからだ。

 近所のカラオケ屋に行って、唖蝉坊の曲を歌った動画を撮影して、コカ・コーラ社に送った。

 歌った曲は、「ああ金の世」だ。


ああ金の世や金の世や 地獄の沙汰も金次第
笑うも金よ泣くも金 一も二も金三も金
親子の中を割くも金 夫婦の縁を切るも金
強欲非道とそしろうが 我利我利亡者と罵ろうが
痛くも痒くもあるものか 金になりさえすればよい
人の難儀や迷惑に 遠慮していちゃ身が立たぬ

ああ金の世や金の世や 牛馬に生まれて来たならば
あたら頭を下げずとも いらぬお世辞を言わずとも
すむであろうに人間を 生まれた因果の人力車夫
破れ提灯股にして ふるいおののく いぢらしさ

 

 果たして、私はプラカードベアラーに当選するだろうか。
 当選した暁には、プラカードを持ちながら、「金々節」を歌うと思う。

金だ金々 金々金だ 金だ金々 この世は金だ
金だ金だよ 誰がなんと言おうと 金だ金々 黄金万能

一も二も金三も四も金だ 金だ金々 金々金だ
金だ明けても暮れても金だ 夜の夜中の夢にも金だ

泣くも金なら笑うも金だ 愚者が賢く見えるも金だ
酒も金なら女も金だ 神も仏も坊主も金だ

 

 ここまで読んでくれた読者で、興味のある方はプラカードベアラーに応募してみてはいかがだろうか。

 

 なお、唖蝉坊の演歌は土取利行氏のYoutubeチャンネルに上がっているので、ここから曲を選ぶことをお勧めする。


この記事が参加している募集

最近、熱いですね。