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安達太良の風に乗って

執筆を依頼された、福島民報「民報サロン」の記事をアーカイブとして、noteにも残すことにしました。2020年5月11日分です。一部段落構成は記事から変更しています。

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これまで約二年間の地域おこし協力隊の任期中、一番多く尋ねられた質問は「なぜ、まるちゃんは岳温泉に来たの?」というものでしょう。ありがたいことに、私の経歴を伝えると、お話しするたくさんの方に驚きと共に興味を持っていただけるようでした。

答えはとてもシンプルです。

それは「安達太良山が好きだから」。

現在の地域おこし協力隊の求人に応募したきっかけは、活動を通じて安達太良山と岳温泉を県外にPRできるからでした。応募当時、安達太良山に登ったのはたったの二回でしたが、東京の数ある転職先の中から岳温泉を選んでしまうほど、私にとって安達太良登山の感動は忘れがたいものでした。

初めて登ったのは三年前の夏、前職の同僚に誘われてのことでした。恐らく小学生以来の登山だったのではないかと思います。

体育が大の苦手で、運動嫌いだった私は山には全くと言っていいほど興味がありませんでした。何がそんなに楽しいのだろうと、当時勤めていた会社がある郡山からの行きの車内で考えていました。

しかし、登山道を歩き出すとすぐに、青々とした緑やかれんな花々に目を奪われました。高山植物について少し勉強した今となっては特に珍しい花ではないのですが、山の自然を知らなかった当時の私には大変美しいものに映りました。

この登山で何よりも印象に残っているのは、山頂近くの噴火口「沼ノ平」の景観です。火山をこれほど間近にしたのは初めてでした。森林限界を超えてから見られる特有のゴツゴツした地面や岩を見るだけでも新鮮でしたが、突然ポッカリと開けた、巨大な火口を目にした瞬間、自然の持つすさまじいエネルギーを直感的に感じました。

地球は本当に生きている。

そして自分はなんてちっぽけな存在なのだろうと、仕事や人生の悩みも、稜線に吹きつける安達太良の風と共に飛ばされていくようでした。

この言葉に表せない感動と高揚感を胸に下山し、岳温泉で汗を流したことを覚えています。

以来、時折休日に登山を楽しむ一方で、東京方面への転職も決断できずにいました。その時に偶然見つけたのが、地域おこし協力隊の岳温泉観光協会での仕事でした。岳温泉には夏の登山以来、何度か足を運んでおり、あの「ニコニコ共和国国会議事堂」の看板に覚えがありました。

興味本位で採用面接を受けてみると、「これだ!」と私の心の声が叫びました。しかし、ゆかりもない福島での転職という突然の大きな方針転換を、私はすぐには受け入れられませんでした。

それでも、岳温泉を盛り上げるためなら、何でも企画して良いという期待とワクワク感、そして何より安達太良山に関わって仕事ができるという二点から、魅力を感じずにはいられませんでした。

この直感と理性のせめぎ合いの末に、私は思い切って、あの日稜線で感じた安達太良の風に乗ることを選びました。

新卒で横浜の実家を離れ、福島に来て間もない当時二十四歳の私にとって、それは安定の道を捨て、人生の賭けに出るような感覚でした。

今、この決断に間違いはなかったと、胸を張って言うことができます。

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