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【タロット記12】縛られて吊るされても気づかないこと

■タロット記■

これはタロットカードと、自分の体験と、そこから気づいたことの記録です



「12.吊るされた男」から考える

■それぞれの「べき思考」と「選択」したこと

私が過去行き詰ったと感じたのは、次のような時でした

・最初の夫に浮気された時
・再婚中
・息子が不登校になった時
・会社に行けなかった朝

CASE①:浮気

過去の記事に書いたように、

私は最初の夫の浮気が発覚するたびに、「どうして家庭を、私を大事にしてくれないんだろう」と思っていました

何度も謝罪され、何度も信じようと思ったものの、許しても許してもまた繰り返される
信じたいのに信じられないという板挟みの中で、長い間私は身動きが取れなくなっていきました

この時の私の「べき思考」は、

「夫なんだから妻(私)を大事にするべきだし、家庭に落ち着くべきだ」
でした

残念ながらこの「べき思考」は、離婚するまで変わりませんでした
なんなら、今でも基本的には変わっていませんが、この時と今とで少し変わったところがあるとしたら、それは「大事にする」という前提です

当時の私は「大事にする」と「私を優先する」を混同していました
「私の気持ちを優先」「私の意見が優先」、それが「大事にされること」と勘違いしていたように思います

でも本当の意味で夫婦やパートナーを「大事にする」というのは、前提として「相手を尊重する」ところから生まれる「行動」で、決して自分の思い通りになることが「大事にされている」ではありません

もう別々の道に進んでしまいましたが、その原因は浮気というわかりやすものだけでなく、私のそういった「自分勝手な考え」からくる行動ももしかしたら含まれていたのかもしれないなと、今は思えるようになりました

CASE②:再婚中

今度こそ、家庭を、家族を築こうと私は思っていました

でもここには課題がたくさんありすぎて、それを一人で支えたり解決させようとするのは私のキャパオーバーでした

この時私にあった「べき思考」は、

「家族らしい形であるべきだし、協力し合うべきだし、継母は努力をすべき立場」

でした
この考えは極限まで私を追い詰めました

体は一つしかないし、腕は二本しかないのに、それ以上のことを抱えようとしすぎるので、結果全部がばらばらになっていきました

この「べき思考」に共通しているものは、「外側の基準や声に合わせたい」です
そこに合わせて形を作ろうとしていました

でも外側に合わせてできもしない形になろうとするのは、丸にしかなれないのに、どうにかして四角にしようとするもので、どうやってもそうはならないとどこかで気づくしかありません

私は丸にしかなれないし、丸でいいと思いました
世間では四角が一般的な家族の形と決めていても、私の中では家族の形に丸があってもいい

ここでは、そういう新しい基準を選択しました

この後、もう無理だと気づいた私は、抱え過ぎていたものを全部手放して、一番大事なもののためだけに自分の腕と体を使おうと行動し始めます

CASE③:息子が不登校になった時

コロナが騒がれ始めた年の秋頃から、息子が学校に行くのを渋るようになりました
どうにかして学校に行かせようと息子を促していましたが、体調不良を訴えて休みがちになったり、途中で帰って来たりが増えていきました

この時の私の「べき思考」は、

「学校は行くべきだし、それが当たり前だ」

でした

自分がその過程を通ってきていることや、嫌だと思いながらも学校ヘ行ったという過去の経験が私の中の基準でした

でもこの時は、「べき思考」が通用しない上に、行動するのは私ではなく息子自身
私がいくら頑張っても、どうもしようがありません

自分が動けばどうにかなる問題ではなかったので、どうにもならないを受け入れるしかありませんでした

さらにここで、身動き取れなくなった私に追い打ちをかけたのが息子の言葉でした
それはSNSの裏アカウントで発信していたものを偶然私が目にしたのです

そこに書かれた言葉を見て、私は息子がいない世界を想像してしまいました
無理に学校に行かせたその先に息子がいない世界が来るなら、学校なんて行かなくていいと思いました

私は息子がいてくれるだけで充分という新しい基準を選択しました

CASE④:会社に行けなかった朝

朝起きたら、体が重くてなかなか動きませんでした
出勤準備をしないといけないのに、起き上がれません

でも「仕事は多少無理してでも行くべき」という「べき思考」があるので、これはただの怠けたい気持ちで、甘えだと思っていました

最初は、無理矢理体にでも出勤していました
でも、何度もそういう日があるんです

「休みたい」と思う自分に鞭打って動くように促します
でも体は怠くて、身支度しながらしゃがみこんでしまうこともありました

本当に身動き取れなような気分でした
体も、心も、どちらも縛られているようでした

でもある時、「どうしても動けない」という気持ちに対して「そうか、動けない時なんだ」と認めることができた出来事がありました

それがタロットでした
たまたま出たカードがこの「吊るされた男」でした

Smith-Waite Centennial Tarot Deck

「動けない時」ということを、すんなり受け入れて認めることができました
「動けない時」なんだから今は「動けなくても仕方ない」

だから「無理してもしょうがない」

この新しい基準に変えて、「休む」という選択をすることができました

▫️ほんとは気づいてるけど気づかないようにしてる

私の数々の「吊るされた男」状態を振り返りましたが、見てわかるように徐々に動けない状況が強くなっています

それは、「べき思考」の裏にある「これが自分の正しさ」と思い込んでいる捻じ曲がった考えを、いろんな状況を通して変えるように促されているようにも見えます

動けなくなってやっと「自分は正しいのか?」を考えるようになりますが、動けなくってもしばらくはもがきます

その様は、吊るされて縛られてもう思うように動けないのに、暴れて吊るされたところから抜け出ようと必死です

その時は、自分が縛られて吊るされている状態だと自分で気づいていません

でも、どこかで気づき始めるんです
「自分の正しさ」に従うことが、自分を苦しくさせているということに

それを認めたくないから、抵抗して、抗って、足を縛っている縄がよけい絡まって、キツく自分を縛り上げていきます

でもこの段階にいるということは、

自分を縛っているものに気づいてそれを切って抜け出すか…
それとも、ゆっくり死んでいくのを待つか…

そうして、やっとそこから抜け出して次へ進むことができるんです

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