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【体験談〜再婚シリーズ〜3】再婚に踏み切らせた出来事(今の私から過去の私へ)

数ある記事の中からご訪問いただきましてありがとうございます。
マルソルです。

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(前回までのお話)

前回からの続きですが、今回は過去の経験について、後半でセルフリーディングをしています。

前回までのお話を読んでから続きをお読みいただくと、わかりやすいかと思います。

踏み切らざるを得ない


月日は流れ、夫2とその子どもたちとの交流は、約4年続いていました。
それだけ長く関わっていると、情のようなものも彼らたちに芽生えてきます。
けれど、どうしても私の中に拭えない気持ちがあって「再婚しよう!」というところまでの踏ん切りはつきませんでした。

4年も経つと、私と息子の2人暮らしはますます居心地良くなっていました。
息子の同級生も同じ団地に住んでいたりご近所にもいるので、学校から帰ったら毎日誰かと遊んでいて、環境としても安心して生活できていました。

そんな時でした。

「生理、遅れてる…」

妊娠検査薬を買いに行き確認したら、陽性反応でした。
その後、産婦人科で改めて妊娠していることを確認しました。
驚きと不安、そしてわずかな嬉しさ、という複雑な心境です。

これがきっかけで、もうどうもこうも言っていられなくなり、再婚するしかない状況になったのでした。

これによって肚を括り、団地の方にも引っ越しの予定があると伝えた後のことです。
(次年度の地域の役員決めの話と重なり、任期の途中で団地を出ることになる旨を伝えておくことにしたのでした。)

次の検診で流産していることがわかりました。
医師から心臓が動いていないと言われました。
この時期の原因は赤ちゃん側にあり、お母さんのせいではないと言われました。

複雑な気持ちではいたものの、妊娠したことを受け止めていたのでしょう。
私の目からは涙がこぼれ落ちていました。

検診後、彼に流産したことを伝えました。
私のせいじゃないよと言ってはくれましたが、その言葉だけでは、とうてい私の心を埋めることはできませんでした。

金曜日の午後、病院で流産処置を受けました。
彼は仕事で来られないというので1人で病院へ行きます。
処置後少し休んでいる間考えていたのは、1人は心細いなあということでした。
そして夕方に自宅に帰りました。

1人で家にいても動けないだろうと思い、私は息子を連れて彼らの家へ車を走らせました。
今思えば、自宅で体を休めている方が幾分も休まるのにそうしなかったのは、その時は息子と家にいるよりも、人の優しさに触れたいと思うほど、心が弱っていたのかもしれません。

その後、私は団地の方や子ども繋がりの役員の方たちに事情を知られたくない、という思いの方が大きかった為、引っ越しの撤回を伝える勇気は出ませんでした。

団地を出るしかないという状況だけが、虚しく私に残ってしまったのでした。

そこから、再婚に向けて私は進み始めます。



つづく…。

セルフリーディング


もうずいぶんと経ったので、このことで心にしこりはないだろうと思って書き始めましたが、少し胸に感じるものがありましたのでセルフリーディングをしました。

「過去のこの経験を癒すために、今の私は何ができる?」ということを意図して引きました。

ウエイト版小アルカナから1枚。
マルセイユ版大アルカナから1枚。

「ウエイト版小アルカナ、カップのエース」

” 心に起きる振動は、自分の本当の声を届ける為のもの ”
” その振動に触れて、感じて、共感して、受け入れるとき ”
” 自分の胸の深いところからの声が伝えようとしているものに寄り添っていく ”


「マルセイユ版大アルカナ、14.節制」

” 異質なものを混ぜあって新しいものを生み出していくとき ”
” 混ざる速度はゆっくりで、はっきりした形にはまだならない ”
” 変化の途中でハッキリしない ”



過去の私へ


「心に沸き上がってきたこの感情からもうを目を背けないよ。
感情はそのまま、自然に溢れ出るまま、流していくからね。
ずっとずっと流せなかった気持ちが今まであったんだね。
純粋なありのままのこの気持ちに寄り添って、抱きしめて微笑んであげるから。

傷ついてないフリして強がって来てたけど、その奥にある傷ついて悲しかった気持ち、ようやくちゃんと見れたよ。
どっちの気持ちも今の私が受け入れて、混ぜ合わせていくからね。
その時のこと、きっとこれまでとは違う新しい受け止め方ができるようになるから、ゆっくりでも気長に待ってて。大丈夫だから。」

感想

セルフリーディングしてみて思いました。
感情とぜんぜん折り合いがついていなかったんだな、と。
感情を感じないようにすることは、自分の心の奥にある優しい自分を無視することになります。

私は1番大切な自分自身が、痛いと言っていても見て見ぬふり。
血が出ていてもほったらかし。
泣いていても「泣くな!」と黙らせ静かにさせる。

これ、たとえば、声をあげているのが私で、それを見て見ぬふりをしているのが親や彼氏や夫なら完全にDVです。

逆に声をあげているのが子どもなら、それを静かにさせている私は完全な幼児虐待です。

それを私は自分自身にしていました。
自分虐待が癖になっている私は、知らない間に何年も日常的に自分をいじめ続けていて、そんな自分に無自覚でいたようです。

切に、自分の声を聴いて、自分に誰よりも1番寄り添って、いつでも微笑んで優しく愛してあげる私でいようと思いました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。

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