見出し画像

その転職ちょっと待った [後編](ほのまる)

▼ 前編はこちら

「やりがい転職」でのトレードオフ


このトレードオフで具体的に私が手放す覚悟をしたのは以下の3つである。

- 年収(前職からのダウン)
- 手厚い福利厚生
- 信用(ローン審査の文脈で)

年収

まず年収について。これは実際に下がった。
月々の手取りは維持できたものの、ボーナスの額が大きく下がり、年収ベースでの収入は下がるかたちになった。
転職から2年ほど経った今、おそらく前職の同期とは150〜200万円ほどの開きが出ていると思われる(残業代がつかなくなったことも影響してはいるが)。

日々の生活にはさほど問題はないが、さすがに将来が不安という状況に陥っている。

手厚い福利厚生

前職は典型的な日系大手企業であったこともあり、とにかく福利厚生は充実していた。
転職後は、企業型DC、住宅補助、退職金など、結果的に所得の一部となるものの一切がなくなった。

先述の「年収」と同様、やはりここは将来の不安材料になっている。

信用

転職後、ローン審査を受けるような機会がなかったため、結果的に信用力の面で不利益を被るようなことはなかった。
ただ、収入減によりローンを組むような選択を避けてきたということも、上記の背景にはある。

***

一方、トレードオフで得たいと思っていたのは以下である。

- 自分でルール作りができる
- 新たなことに挑戦できる
- 経営層との距離が近い

自分でルール作りができる

これは「組織が小さい → 変更に強い → ある程度自由にルール変更ができる」という理屈で設定したものである。

結果的にこれは実現できたと思う。PM職で入職したことにより、プロジェクトの運営ルール(コミュニケーションルール、アセット管理ルール等)の策定を担うことができた。
ただ、それは単純に、PMの職に就いたからそのような状況になっただけで、「中小企業に転職したこと」とは直接的な因果関係はない。

新たなことに挑戦できる

これも、組織が小さいことを利用したものである。
明確な根拠はなかったものの、やはり「中小・ベンチャー=挑戦に寛容」というイメージがあった。

そしてこれもある面は実現できた。
「こういうことがやりたい」と上司に伝えると、基本的にはやらせてもらえる。
ただ、これもPMという立場だからできた面が大きい。
「プロジェクトの責任者として、利益最大化のためにとにかく行動しろ」というのがその論理である。

経営層との距離が近い

「自由・裁量る」からは若干外れるが、「経営層の動きを間近で見て、ビジネスのことを学びたい」ということも「やりがい転職」で得たいものの一つであった。

これもまあ実現はできている。
ただ、中小企業の経営層(とくに社長)なんていうのは、戦略的思考云々よりも、その人のカリスマ性でなんとかやっているところが大きい。
さらに、これは完全に盲点だったのだが、社長が近くにいると緊張感でとにかく疲れる。
常に緊張感を抱きながら働くというのはストレス以外の何物でもないため、今や「できるだけ社長と接しなくてすむように事を進める」という癖がついてしまった。

これは、私個人の問題であるといえるが、今のところ「経営層との距離が近い」ことの利は、そこまで享受できていない。

「やりがい転職」の結果


では、このトレードオフの結果はどうだったのか。
ここで再度「やりがい転職」の定義に立ちかえりたい。

待遇とトレードオフに、自由や裁量を得ようとする転職

結果的に、自由や裁量を得られたのは「SEからPMへ」というポジションチェンジ(一般的にはポジションアップ)をしたところが大きい。
つまり、自由や裁量は、必ずしも待遇を手放さないと得られないものではなかったのだ。

もちろん、前職でそれなりの待遇を維持しながらPMを目指すとなると、あと何年かは「やりがいのないSE」としての日々を過ごさないといけなかっただろう。
ただ、「すぐにPMになる」道は「中小企業に転職する」以外にもあったはずだ。

転職市場の下駄履き効果

転職市場においては「下駄を履く」ことが容易だ。

企業が人材を獲得するには、その人材に対して現職よりも魅力的な条件を提示して、自社に来てもらう必要がある。
これは、求職者側からみると、現職であげた成果や、実際に保有しているスキル以上の高い価値評価が下されうるということになる。

こうした市場原理を大いに活用して、待遇を維持しながらPM職にポジションアップ(あるいは、すぐにPMは無理でも、プロジェクトリーダーぐらいへのポジションアップ)するということも選択肢として十分検討できたのであった。

「自由・裁量」の落とし穴

さらに、この記事では詳しく書けなかったが、「自由や裁量を得る」という目標自体がそもそも楽観的すぎるところがある。
そこには「自由・裁量=いいこと」という短絡的な前提がある。

さらに言えば、「自由や裁量さえ与えてもらえれば、自分はすぐにそれをうまく乗りこなせるだろう」という驕りすらある。
つまり「自由や裁量が逆に自分を苦しめるものになる」という視点がそこには欠けているのだ。(私自身、今回の転職で、「自由・裁量」には必ず「責任」がついて回るのだということを初めて知った)

結局、「やりがい転職」を標榜していた私は、「成功」のイメージしか描けていなかったのだ。
いつか訪れるであろう成功を目指して、長期にわたり苦痛に耐え忍ぶということは念頭になかった。

***

みなさんご承知の通り、仕事というのは長距離走である。「やりがい」も長期的な忍耐の末に得られるものである。

「やりがい転職」に手を伸ばそうとしている方がいれば、ぜひ今一度それが正しい選択か考えてみていただきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?