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ちゃんしーのサンシーブルな人生#6 リーダー

県の合唱団で活動した2年を経て、心身ともに強く、たくましく成長した私は、中学生になりました。

中学になるころには、自分から何かのリーダーになることが増えていました。幼少期~合唱団に入る前とはまるで別人。
自分で立候補して、1年生の時は班長、2年生の時は副学級委員、3年生では学級委員になりました。(昇進方式!笑)

なんだか華々しい感じですが、今当時を振り返ると少し切なくなったりもします。
合唱団で何かが弾けたように開花したわけですが、空回りしていたようにも思うのです。

ちょうど、合唱団の2年間が【反抗期】にあたりました。母の言うこと全てに反抗的で喧嘩してしまったり、わざわざ噛み付いたり、ずいぶんひどいことも言ってしまった気がします。

自分を出していいんだ!みたいな部分と、今までのナイーブな部分とのギャップに、自分がついていけないところもあったんですね。少し自己中になっているところがあったと思います。

母から、あなた中心で世界が回ってるんじゃないんだよ!と何度も言われた記憶があります。
でも、それですぐ修正できるほど大人じゃなかったから、衝突の連続でした。

母だけではなく、弟や仲のいい友達に矛先が向かってしまうこともしばしば。(父は怖くて、刃向かえば泣かされるので関わらないようにしていた。笑)
誰にも言い方がキツかったんですよね。自分でもなんとなく「あ、言いすぎたかも…」みたいなことがありましたから。

当事者のみなさま、その節は本当にすみませんでした!離れていってもおかしくないのに、今も遊んでくれる友人もいます、本当にありがとう🥺

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リーダーをやるなら

話を戻すと、中学に上がる頃には反抗期が落ち着いて、少し冷静に考えられるようになりました。
リーダーをやるなら、自分の主張だけじゃなくて周りのことをよく見て、聞いてまとめないといけない。
そう思えるようになったから、昇進方式で中学三年間を過ごせたのだと思います。

みんなそんな私を慕ってくれました。
少し前の私だったら仲良くなれないような、イケイケのギャルグループみたいな女の子たちとも、仲良く話ができました。他の子たちとのパイプ役にもなれて、クラスまとめることができて、雰囲気も良くて!
男子も女子も関係なく仲が良くて、とっても楽しかったです。合唱コンクールで優勝したのも思い出🏆
3年1組のみんな、ありがとう!!

強がり

その一方で、周りの目が気になるようにもなっていました。こう思われてるんだろうな、何か影で言われているなというのを感じて、ひとり抱え込むことも増えていました。

リーダーやってるから、弱い所を見せちゃいけない。というか、見せたくなかったんですね。強がりでした。
気にしすぎだよ、そんなことないよって流されてしまう気がしたし、私らしくないじゃんって思われたくなかった。そういう本音をひた隠して、前向きで強い自分を盾にする癖が、青春時代についていきました。

中学の体育祭練習期間中、私は一時保健室通いになっていました。
クラスの子達と二人三脚みたいにしてゴールを目指す競技の練習に、気が向かなくなってしまったんですね。

学級委員だったし、仲が悪いわけでは無かったのだけれど、一緒に組む子たちに、自分でコンプレックスに感じていたことを影で言われていることに気づいてしまった。気付かないふりをしていたんだけれどやっぱり辛い。
自分でも分かってることだったから余計に傷ついて、食欲が落ちて、気持ち悪くなって、お弁当を食べることができなくなってしまいました。

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保健室に行くと、お弁当を食べてないから貧血気味で、本当に具合が悪い認定されました。だけど、それに少し安心したんです。
ちょっと言われたくらいで傷ついて、せっかく母が作ってくれたお弁当も食べられなくなって、周りに相談も出来ずにいる自分が情けなくて、泣きそうでした。

その競技の練習の前になると、保健室に行って「気持ち悪い~」って逃げていましたね。そこが自分の居心地のいい場所になっていたから。

連日の私の様子から、何かあったと察した担任の先生が、保健室に来て諭してくれました。何があったとかは聞かず、ただ優しく「みんな待ってるよ」って。
涙が出そうになって、こんなことしてる場合じゃない!と奮起して、練習に戻ることができました。

その後は、特にその子たちと揉めることもなく、むしろ卒業が近づくほどに打ち解けました。その一件に触れることはありませんでしたが、もっと早く話ができるようになっていたらよかったと思ったほどでした。

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多感な中学時代だったから、余計に傷つきやすかったんですね。でもみんな待ってる、大丈夫って導いてくれた先生がいたから、教室に戻ることができました。
今思えば、同級生たちには申し訳ないけれど、周りより少しだけ精神的に大人びていたのかも知れません。だから友達に悩みを打ち明けられなかったのかなあ、なんてHSPを知ってから思うようになりました。

15歳の私、よくがんばったね。





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