ともだち
場面緘黙症だった私にとって、普通の人(もはや何が普通かもわからないが)にくらべ「ともだち」というものは格段に少ない事は明らか。
高校にあがるまでは、まともに「ともだち」と呼べる存在はいなかった。
しかし、振り返ると
その前、幼稚園の時にただ一人。
いた。
それこそケンカするほど仲がいい子。
彼女は、私の弟がまだ赤ちゃんで、やっと昼寝をしている時に、お構いなくやってきたり、人のものを勝手に使ったうえ壊したり、ずいぶん好き勝手な行動が時にうちの母まで怒り出すほど、今にして思うと相当やんちゃな女の子であった。
だけれど、なぜだか気が合った。そして彼女といると私は私らしくいられた。
その頃は、団地暮らしで彼女は隣の棟にいた子だった。
なにがキッカケかは分からないが、彼女には「しゃべれなくなる私」は発動しなかった。
毎日のように互いの家を行き来して、ある時はどちらかの家でご飯を食べたり、互いの妹や弟といっしょに遊んだものだった。
小学校は別の学校になった。
少しずつ距離ができたのだろうか?覚えていないが、幼稚園の頃のように遊ぶ頻度も減り、その後数年して私たち家族はその街から引っ越した。
彼女の家族も、その前か、後だったか覚えていないが引っ越したようだった。
私はやはり、転校しても最初のきっかけを逃し「しゃべれなくなる私」絶賛発動中であった。
そんな時、
ふとその子を思い出し、あの私が私でいられた時間を思い出し、寂しい気持ちになった事もある。
今でも、ふいに、その子の事を思い出す。
今何をしているのだろうか。
どこにいるのだろうか。
そんな風に、彼女もふいに、遠い昔に遊んだ隣の棟の女の子の事を
思い出したりするのだろうか。
さいごまで読んでいただき感謝の気持ちでいっぱいです(o^―^o)!! 貴重なあなたの時間の一部が、よいものとなりますように✨