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昔のはなし【エピローグ】

組織として最高の瞬間を迎え、
丸橋個人の描く物語りとして、
残り1億を切っていた累積赤字を黒字化し、
盤石なメディア・盤石な組織を残して、
次のステージへ行く。という自らのTW物語の終焉を描いていた。

半年で実現し、
51期4月度の人事で、次のステージへ。と決めていた。

しかし、リーマンショックという大きな波が押し寄せ、
事業として大きな変化が待ち構えていた。

50期1Q。HRMとの事業統合。

半年限定で応援に来ていたメンバーも各エリアに戻る。
結果、3月末で9名の卒業者+異動者が熊本を離れた。

代わりに、2名のHRMメンバーが東京から異動、
九州営業部部長 としてHRMから部長が九州へ赴任。
自分たちのグループも、
タウンワーク熊本事業グループ から、九州営業部熊本グループへ。

単なる組織名称の変更に見えるこの変化は、
当事者にしか分からない、想像を絶する変化をもたらした・・・。

まず九州営業部+部長の就任。
それまで、各県の責任者が版業績全てに責任を負い、
同時に、版の意思決定に全てコミットしてきた。

意思決定機関、組織業績責任が九州営業部へと吸い上げられた。
具体的な変化でいえば、
毎月メンバーまで共有されていた
・組織PL
・マーケット内シェアをはじめとする様々なKPI指標
・媒体効果集計
が全て部長限情報となった。

件数指標をなくし、売上指標のみにシフト。
版業績という概念をなくし、グループ業績に一本化。
週目ありき、からQ経目ありきにシフト。
1/4Pが戦略商品という概念をなくし、1Pを売る人が偉い人。という概念へ。

メンバーモチベーションは、インセンティブで設計する。
Etc・・・

街を元気にする。という理念を持ち、
現地で採用したCV職のモチベーションを最大限引き出す事から事業設計し、
収入以上の“価値”を仕事を通して得てもらう職場を目指し、
チームで戦う。というスローガンのもと運営してきた事業。

全ては一つの物語として、
一気通関した設計を積み重ねてきた。

「君たちの大切なものは壊さないように努力する。」というメッセージむなしく、様々な事業の方向性の転換は、想像を絶するほどの混乱を現場に招いた。

「1Pは売るな。1/4Pを売れ!」から「1Pを売れ!」に。
「街を元気にする!」から「組織業績の最大化!」に。
「頑張りに対する最大の報酬は、経験値。感動」から「お金」に。
「版毎のビジョン・戦略・戦術」から「九州営業部の戦略・戦術」に。

これまで語り続けてきた物語に入ってきたノイズ。
そのノイズは日に日に大きくなっていった。

当時、熊本版の年商見込みは約10億円。
大赤字を垂れ流し続けてきた熊本Gが10億に拡大した。という視点ではなく、全国1500億円の売上のうちの10億円。と捉えられた。
極めて価値の小さい事業である。という意識を植え付けられた。

急激に変化した事業の文化と、
これまで大切にしてきた文化。
この翻訳作業に日々奔走した。

目指している事は変わらない。
言葉が変わっただけ。手法が変わっただけ。
そう言い続けた。
しかし、メンバーの感じる違和感は日々増幅していた。

至るところで不協和音が発生する。
メンバーのモチベーション=行動量 が業績に直結する事業であった。
結果、業績は急激に悪化していく。

しかし、リーマンショックとあいまって、
業績の急降下は全て景気悪化の陰に隠れていた。

自分の意思で、
熊本Gは九州営業部の方針に一切従わなかった。

膨大なインセンティブを張り、ニンジンをぶら下げて走る他Gをしり目に、
熊本Gでは、ほとんどインセンティブを出さなかった。

九州全体で走るキャンペーンも、
メンバーには広報すらしなかった事もある。

5年間。自分が魂を掛けて、みんなで一緒に育ててきた事業。
共に笑い、共に泣き、共に怒り、共に感動し、ゼロから育ててきた事業。
3000人以上の人間と面接をし、
「こいつとなら、例え事業が失敗しても仕方ない。」そう思える仲間を集めてきた。

そんな自分にとってかけがえのない場所。を奪われた組織変更であった。

【エピローグ】次なる物語へ

リーマンショックからくる不景気は業績を直撃した。

昨対50%マイナス。70%マイナス。
という恐ろしい数字を武器に、
HRMの事業TOPはいともあっさりと地方拠点閉鎖にかかった。

まるでテレビゲームで遊んでいるかのように、
地方都市の拠点を消滅させていく。

その拠点で働くひとは当然解雇された。

その風景に耐えられなくなり、
新しい上層部に対して信頼を置く事が1ミリもできず、
僕は事業を去った。

2008年~2010年東京で2年間新規事業開発や営業現場にコミットした後2010年リクルートを退職。
次なるステージを模索した。

自分が良ければそれでいい。
そんな自分の人生観、人格を大きく変えてくれた、
事業との出会い。

そこで出会った様々な同志たち。
そこで得た様々な経験のおかげで、今の自分がある。

20代そこそこの自分に、
そんな経験を与えてくれた狭域事業に対し心から感謝している。

自分自身の目指すステージは、
自分自身が20代の頃に味わったような仕事と、環境と経験を、
20代そこそこの人間たちが経験できる事業を作れる人間になる事。
そんな会社を創ること。

昔の仲間たちが、
ずっと目標にしてくれる存在で居続けること。

そんなかっこええおっさんになる為に、
30代もっかい突っ走ってみる。

さて、次の物語をはじめよう。

おわり

(2010年夏に執筆)

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