見出し画像

昔のはなし【熊本2度目編2007~2008】

【熊本2度目編①27歳冬】マネジメント2ndステージ

2007年12月。再び熊本に着任。
熊本版創刊から2年半が経過し、熊本は低迷していた。

着任時の組織構成。
営業メンバー26名(ゼロワン1名)
庶務2名 制作アシスタント3名の計31名。

週あたりの掲載情報件数 約600件
週当たりの売上げ 約800万円。(月間で約3000万円)
月間損益(PL)では、毎月500万円前後の赤字。
組織としての累積損益は2億5000万円
創刊から2年半を経て、赤字を垂れ流している事業であった。

まず、何が問題なのか?何が起こっているのか?を見極める。

ミドルクラスの営業マンに1日中着いて回って営業現場を感じ取る。
制作アシスタントの仕事を一日体験で横に張り付く。
メンバー全員と面談を実施する。

その結果浮かび上がってきた事実。
・メンバーのモチベーションは極めて高い。
・恐ろしいほど、全員が頑張っている。

大分時代に自分が集中してきた「どうすればメンバーが頑張れるのか?」は
考える必要がないほど、メンバー全員が頑張っている組織であった。

では何が問題なのか?
答えは2つ。

戦略のなさと生産性の低さ。これに尽きる。

具体的には、
・とにかく件数を回る事が業績に繋がるといまだに考えていること。
・大量の原稿を毎週営業が抱えており、
ピュアセールスタイムが確保されていないこと。
・力のある営業の力が、自ら開拓した既存顧客とのやり取りに集中していること。
・力のない営業(新人)が、組織として重要な新規営業に集中していること。
・攻める領域が絞れておらず、営業パワーが分散していること。
・営業エリアがうやむやになっており、営業マンパワーが広く分散していること。
・締切時間が守られておらず、時間が有効活用できていないこと。
Etc・・・
挙げだしたらきりがないが・・・。

極めて優れたエンジンは積んでいる。
全員がモチベーション高く120%の力を出している。

でも、結果につながらない。。。
そんな状態であった。

「最小限のパワーで最大限の成果が上がる営業の型を創り、
 そのうえで、最大限の努力を要望できる関係を構築する事。」
それが、本来の版元長の仕事の定義であった。

つまり、
当時の熊本Gには、
「最小限の努力で最大限の成果が上がる営業の型」がなかったのだ。

頑張る事の出来る組織風土を変えることなく、
メンバーのモチベーションを損ねることなく、
やらされ感を感じさせることなく、
行動 と 結果 のチェーンを結び付けていく作業が始まった。

【熊本2度目編②】ワクワクを設計する

行動 と 結果 のチェーンを繋げる。

その為に、
まずメンバーが日々口癖のように話す、
「熊本No1メディアになる!」という目標と現実のギャップを
洗い出す事から始めた。

着任翌月。
1月の年始の初日。
2時間かけてメンバーにプレゼンテーションした。
当然お正月返上で資料を創りこむ。

まず半年以内に、
超コアエリア×アルバイトパート領域 の情報件数で競合を逆転する。
という目標を設定。

半年 の理由は、創刊メンバーが半年後に卒業を迎えるため。
創刊時に共に戦った同志である創刊メンバー。
彼らがいる間に、地域No1メディアの世界をどうしても実現したかった。

半年後に自分たちが創らなければ行けないメディアの姿、
そこに行きつく為に、必要な顧客数。
そこに行きつく為に、必要なリピート率。
そこに行きつく為に、必要な顧客満足度。
その為に必要な、週当たりの新規社数。一人当たりの責任数字。
その為に必要な、一原稿あたりの応募効果の上昇率。

その数字を実現するために必要な、
訪問・電話での接触から受注に至るコンバージョン。

全てを数字で事実に基づいて設計した。

実績を基に算出したその数字データは、
現実的に、今のままでは永久に逆転できない。
という事実でもあった。

諦めるのか?目指すのか?
を全員で決めてもらう。

当然、諦めない。という回答がでる。
でも、どうやって・・・? 

どうやって?の部分のプレゼンに移る。

手法は極めてシンプル。
①顧客接点総量を3倍にする。
②顧客接点を、ニーズのある顧客(あるであろう顧客)に限定する。
③受注率を高める為に、初訪問→再訪問→クロージング の型を徹底する。
④原稿アシスタントを大量採用し、ピュアセールスタイムを確保する。

具体的には、
①訪問数を重視するあまり、電話・FAX・メールでの営業をほぼ行っていない事実を整理しツールを活用する事で簡単に接点量は三倍にする事が出来るイメージを伝える。

②その上で、限られた時間・人間が“訪問をするべき顧客”はどこなのか?を絞る。
エリア⇒顧客が集中する中心エリアに集中する。
領域⇒AP、特にカラー写真が効果に繋がる販売・サービス・フード
属性⇒競合で直近で募集している顧客。
上記以外は一切の訪問を禁止する。

③競合誌で現在募集している顧客に営業しても、すぐリプレイス出来るはずがない。
「いつまでに何人誰が欲しいのか?」+「いつまで掲載されるのか?」初回訪問時にこれが聞けているだけで、次に取るべきアクション・取るべきタイミング・用意すべき 資料すべてわかる。

競合誌でニーズを満たせなさそうだ・・・。が表面化する直前のタイミングでしか、我々に受注するチャンスはない。

初回でニーズと競合掲載終了日を把握する。
二回目訪問で、○×を確認する。その再、当社の同職種事例+アタック原稿持参。
三回目訪問で、クロージング。

初回は競合発売曜日である金・月・火。
2回目は掲載期間2週間の折り返し地点、翌週の金・月・火
3回目は掲載終了2日前、競合リピート締切前日・前々日の水木曜日。

この動きを全員で徹底する事で、無駄な動きを徹底的に排除する。

④上記を実現するピュアタイム確保の為に、アシスタントを大量採用し短期で教育。
業務のプロセスを全て洗い出し再設計する。設計通りのフローで業務が流れる為の、様々なルール、ツールを作成し徹底する。

営業が顧客への営業活動に集中できて、且つ原稿発注の手間、原稿のクオリティを担 保する為の業務プロセスのリエンジニアリングを断固実行する。

①〜④ を全てやりきった時、
半年後自分たちが創っているメディアは、コアエリアアルバイト領域でNo1掲載件数を成し遂げている可能性がある。

あとは、やるか・やらないか?

やるのであれば、
アシスタント採用は丸橋が責任もってやる。
どうする?

「やる。」
組織としての意思が全員一致で決まる。

ともすれば、
これまで彼らが行ってきた活動の全否定でもあった。
それによりモチベーションが一気に低下する可能性もあった。

しかし、全員のWillを確認した上で、
実現する手段として、活動内容を進化させていく。
全員が、今回のプレゼン内容を徹底する事が出来れば、
「何かが起こるかもしれない。」「すごい事が起こりそうな気がする。」
というワクワクへと昇華させていく。

全員の意思と、
全員の覚悟と、
全員のWillを一致させる瞬間。

この瞬間を設計し、実現する瞬間。
組織長として、この上ない喜びの瞬間でもある。

【熊本2度目編③】夢見た姿を叶えた瞬間

「1000件プロジェクト」と銘打って、
メンバー主導でプロジェクトが動き始める。

プロジェクトのスタート当時、
週当たりの掲載件数は約500件前後。
No1メディアのポジション獲得に向け、一気に倍の掲載量を目指す。

オフィシャルの目標よりもはるかに高い個人目標を、
それぞれが自らの意志で掲げ、
お互いを鼓舞しながらクリアしていく。

やるべき事は全員が分かっている。
あとは、やるか、やらないか。のみ。

その世界に持ち込むと、
想定外の進化が日々発生する。

もっとこうした方がいい。
こういうやり方をすれば、さらに効率が高まる。
この時間は、全員で電話かけに集中しよう。
こういうトークが刺さった。全員でまねしよう。
Etc・・・

毎日の朝会の中で、
メンバーから様々なアイデアが発信され、全員で真似をする。
日に日に組織の筋肉が強くなる。それを実感する毎日だった。

圧倒的な行動量と、明確な戦略・戦術。
このチェーンが噛み合う事で、
組織業績は驚くべきスピードで急成長していった。

結果として、
当初6月末を目途に立ち上げたこの1000件プロジェクトは、
年間で最も求人マーケットが活性化する3月時点でクリアする事になった。

3月3週目発行号にて、情報件数1000件達成。
ページ数230ページ。週売上1200万円。

3月月間に於いて、
コアエリア内、アルバイト・パート領域の掲載件数に於いて、競合を逆転。
文字通り、アルバイト・パートのNo1メディアの座を手にした。

こっそり自腹で3万円のモエシャンドンを購入。
フロアで全員で乾杯し、そのまま打ち上げへ。

お酒の力も手伝ってか、全員が号泣していた。
自分の卒業までに、こんな日が来るなんて・・・。
先輩達がいる間に、達成できたことが本当に嬉しい・・・。
今まで足を引っ張り続けた自分が、頑張り続ける事が出来た。それが嬉しい・・・。

それぞれの人間が、様々な想いが込み上げて、
涙が止まらない状態。

当時40名の全メンバーが、
同じ方向を向き、同じものを目指し、日々120%の力で自分のやるべき事をやる。
その結果、信じられないような結果と、達成感を得る。
仕事という枠を超えて、
人生の喜びを全員で共有している状態である。

このときの光景は、
周りから見ていたら、はっきり言って異常としか言いようがない(笑)。
でも、自分にとっては一生忘れる事のない、貴重な光景である。

創刊から3年が経とうとしていた。
3年間ずっとぶれずに追い続けてきた事が実現した瞬間であった。

【熊本2度目編④】次なる物語へ

高校野球であれば、甲子園で優勝して、高校野球を終える。
で物語は完結する。

しかし、ビジネスは終わる事がない。
これが難しい部分でもある。

創刊から目指し続けてきた目標を3月末で達成した。
全員が最高の達成感と・満足感を得る事が出来た。

で、次は・・・?である。

すぐさま次の物語を語る。
当然、あらかじめ用意している。
まず、No1メディアを達成した3月度のPLを全員で共有する。
組織月間売上 4000万円
熊本版ALL売上 6000万円
商品原価(製本+紙+流通コスト)3600万円
粗利 2400万円(粗利率40%) 
人件費 1500万円
販促費 1000万円
本部費、通信費、オフィス賃料・・・

結果、
3月度 熊本事業グループとして、
売上高  6000万円
必要経費 6000万円
利益なし。ほぼトントン。

これが事実であった。

※ちなみに当時隣の福岡グループは、
月間売上 2億5000万円
月間営業利益 1億5000万円  
営業利益率60%というお化け事業だった・・・。

この事実をどう捉えるか?
メンバーも馬鹿ではない。

「あれだけ必死に頑張って、利益が出ないんだ・・・。」
「情報量が増えれば、利益って出ると思ってたけど・・・。」
「これじゃ、ボランティアですね・・・。」

当時熊本版は、
「まずは情報量で競合誌を逆転する。」
「カスタマーに支持されれば、売上はついてくる。」
という信念のもと、
大規模な料金施策を導入していた。

戦略商品である1/4Pの料金が、
2週間掲載で2万円。(定価は4.5万円)

お隣の福岡版は1週間52,000円 である。

掲載件数が増えれば、
フリーペーパの特性上、製本原価も上昇し、
効果を出すための流通コストも上昇する構造。

つまり、今の商品価格を維持していれば、
いつまでたっても黒字転換はできない。
というのが周知の事実であった。

49期は1年間かけて、熊本事業を収益化する。
これが49期4月に全メンバーに投げかけたミッションであった。

1年後49期3月度の姿として、
G売上 1500万円/週 (当時の1.5倍)
版売上 2000万円/週 (当時の1.5倍)
情報件数1000件/週 (当時のママ)
営業利益 2000万円/月 (当時はほぼ赤字)

という姿を設定。

過去創刊から3年。
ひたすら“情報件数”を語ってきた組織に対し、
(商品単価がほぼ固定の為、件数を追えば売上がついてきた。)
初めて、売上・利益 という概念・指標を導入する。

カスタマー満足を最優先に追求する。だから情報件数+新規情報。
それが結果として、顧客満足に繋がる。 
その結果としての、売上である。
これが、創刊当初からの一貫したメッセージ。

その方向性・解釈を変える必要があった。

大テーマとして、“売上”を追う事の解釈をこう説明した。

「売上とは、この街から頂くお給料である。」
この街のカスタマーに必要とされて、クライアントから必要とされて、
タウンワークがなければ困る。という存在に我々がなっていたとすれば、
必然的に街から頂くお給料は増える。

情報件数は、街に対して提供している価値。つまり、一方的な提供価値。
それに対して、
売上は私達が存在しているからこその価値、存在価値の指標である。
 
これまでの我々の仕事は、
お給料は安くていいので、お試しに使ってください。
という試用期間であった。

ようやく、この街の求人メディアとして本採用され、
今期は存在価値にも重きを置く。
存在価値を高める=お給料を上げる=売上指標を導入する。

売上指標 を追う。という意味ではない。

存在価値の結果指標として、売上をウォッチする。という意味である。

全体のコンセンサスを経て、
商品単価の値上げに一気に踏み切った。
一気に、価格を2倍に設定し勝負をかけた。

【熊本2度目編⑤】次の物語の土台を作る

時を同じくして、
熊本グループには、4月付で11名の新人が入社してきた。

4名のR新卒。
1名のCV新卒。
2名の中途CV入社。
4名の原稿アシスタント。
総勢11名。

同時に、9名のCV職の卒業が間近に控えていた。
9月末卒業。実質営業としては6月末まで。

組織の根幹を担ってきた9名が一気に抜ける。
4月入社のメンバーには、
文字通り、急激な成長+キャッチアップを求める必要があった。
7月には、創刊メンバーの代わりを担ってもらう必要があるからだ。

49期1Q。
Qを通して組織テーマを「継承」と置いた。

創刊メンバー9人を、
新人のマンツーマンメンターに設定し、
毎日のレボ、毎日の同行を義務付けた。

新人育成に、組織の全パワーを集中させながら、
同時に、料金改定(値上げ)の壁を全員でよじ登った。

結果として、
1Q業績は極めて好調に推移。

それまで赤字を垂れ流していた熊本グループ。
累積赤字は2億5千万円に届こうとしていた。

一転、49期1Qは毎月1000万円の黒字を計上。
素晴らしいスタートを切る事が出来た。Qで3000万円の利益を計上。

全国20組織以上の中で、
優秀組織賞銀賞を受賞。一人あたり3万円の旅行権利を手にした。

創刊メンバーしか経験した事のない、
優秀組織賞(PC賞)を受賞する事で、
文字通り創刊メンバーの魂を新メンバー全員で継承する事が出来た結果だった。

沖縄2泊3日の旅。
心の底から、
頑張った者にしか味わう事の出来ない、
最高の“戦士の休息”を味わった3日間だった。

新人の早期戦力化、第一弾の値上げ実施。
次なる物語への土台作りを進めた29歳春。

【熊本2度目編⑥】事業目標をガン無視する

タウンワーク事業着任時の2004年1月。(入社三年目)
事業としての売り上げは10億そこそこ。
利益は真っ赤っ赤の状態だった。

しかし、2006年には、
新版創刊ラッシュと、既存版売上の急拡大に伴い、
事業売上100億を突破。

事業目標141億円。という目標がコーポレートから下りてきていた。

3年で100億の事業へ。
という当時心躍らせた目標は、
想定を大幅に上回るスピードで、通過点として過ぎて行った。

今にして思えば、
この頃から、自分の思い描く物語りと、
事業が描く物語りのスピードにズレが生じ始めたように思う。

49期2Q。
1Qをハイ達成を遂げた熊本グループには、
更に1Qの150%UPの売上目標が課された。

はっきり言って、非現実的な目標だった。

打ち手として、
再度の商品値上げ、社員領域獲得を銘打った社員版創刊(分版)。
現場責任者である自分の意志とは別の意思決定が次々決まっていく。

2Q。9名の創刊メンバーが退職(卒業)する。
一気に5000社を超える引き継ぎがスタートする。

2Qは目標を無視し、
次の物語への土台作りに集中する覚悟を決めた。

引き継ぎと同時に、更なる値上げ告知を顧客に徹底する。
社員版創刊プロジェクトと銘打ち、
新しい領域・新しいスタイルの営業活動の模索を同時進行で進める。

度重なる値上げに対し、
顧客からの不満も表面化し始める。

個々のメンバーの営業力・努力により、
何とか最小限に食いとめるも、事業目標とのかい離は開く一方であった。

結果として、
Qの売り上げ目標に対しては、達成率70%。
週目標では12戦 0勝12敗。全くもって達成が見えない。
久々の大外し。である。

対前Qでは20%UP。
対前年では200%UPを実現しているにも関わらずの、大外し。であった。

が、この大はずしは、
目標数字を忘れ、組織コンセプトを浸透させる為に、
非常に意味のある大はずしだった。

【熊本2度目編⑦】語れる仕事

2Qがスタートした7月。
大量の引き継ぎ、再度の値上げ、社員版創刊に伴う新領域開拓。
を同時に推し進める為の、メッセージを出した。

「語れる仕事」というコンセプト。

件数拡大を追う。というそれまでのシンプルなメッセージから、

件数は大切にしながらも、
ひとつひとつのお手伝いの価値を高め、
社員採用領域という、業界知識を要するこれまでとは違う営業スタイルを推進する。

単価アップ、社員採用領域侵攻、モチベーションリソース、
複雑化した組織戦術を束ねたコンセプトを、
「語れる仕事」というメッセージに凝縮した。

メディアを創る。という第一フェーズを終え、
一人一人が、“語れる仕事”を創出する事で、
この街の経営者の採用観・雇用観を変えにかかる。

創刊メンバーが3年の歴史で成し遂げた件数拡大フェーズは、
創刊メンバーの卒業と同時に幕を閉じた。
残されたメンバーは新しいフェーズで、
新しい価値をイチから作り始める。
そんな節目として掲げたコンセプトだった。

件数ではない、
メディア作りではない、
顧客にとってかけがえのない価値を提供する存在になる事。

例え話しの題材として、
経営企画を採用し、年商10億から200億に拡大した宇土の海藻業者の話し、
利益の殆んどを新卒採用に投じ、急拡大したミキハウスの話し、
などなど、
HRマンとしての理想の仕事の姿を日々語った。

“No1メディアを創る”というビジョンから、
“語れる仕事しよう”というビジョンへ。

目的(ミッション)は変わらない。
「魅力的な雇用あふれる街を創り、この街を元気にする。」である。

その為の手段を変えたのだ。

熊本所縁の加藤清正の写真を使い、
「語れる仕事」ポスターを手作りで作成。

オフィス内の至る所に張り出した。
朝会コンテンツ内でも、
「先週の語れる仕事コーナー」を設け、
語りたい仕事をした人間が、気軽に自慢できる枠組みを用意した。

あらゆるメッセージを、
量 から 質 へ転換した。

当初あった戸惑いも、
言い続けること、語り続けること、取り上げ続けることで、
徐々にではあるが定着していった。

目標は大きく外した。
しかし、確実に組織の体質は変わり始めた。

次なる物語への土台作りは完了した。

【熊本2度目編⑧】飛躍への打ち手

49期上半期。
メンバーの意識を、情報件数から売上シフトへ。
創刊メンバー9名の穴を埋める為の、新人の育成。
社員領域という未開拓領域への深耕。

この3つの大きなテーマを、
何とかクリアし、49期下半期を迎えた。

土台を構築した上半期。
下半期は、一気に事業拡大に舵を切る。

C長、COに
「各エリアのTOPクラスの営業マンを大量に送りこんで欲しい。」
という要望を投げた。

最大2、5億に達した累積赤字の一層。
完全なる、競合逆転。
を下半期で一気に実現したかった。
その土壌は整えたつもりでいた。

「この半年で一気にやる。人の資源を投資してほしい。」
「3月度には、毎月2000万円の利益を出す事業にする。」
「長きに渡って苦しめられてきた、九州全域に広がる競合の本社が熊本。
 熊本への投資が、鹿児島・大分・宮崎・長崎・佐賀 への援護射撃でもある。」

正式な場ではなく、飲みの場で熱く語った。

飲みの場から2週間後。
10月1日付の人事異動の内示が届く。

九州全域のTOP営業マンが、半年限定の応援派遣として熊本に集結した。
加えて、HR営業歴20年を誇る静岡のベテラン版元長が、
社員版特命プロジェクトメンバーとして熊本に赴任した。

震えが止まらなかった。

これだけのメンバーを投入して、
結果に繋がらなければ、それこそ自らが無能としか言いようがない人事であった。

同時に、覚悟を固めた瞬間でもあった。

【熊本2度目編⑨】最高最強の組織

49期下半期。
これまで築いてきた土台に、
最強のメンバーが加わり、組織は急激な成長を遂げる。

仕事の中身、メンバー間コミュニケーションの会話の質が劇的に変化していく。

顧客からの声、TW営業への称賛の声の中身が変わっていく。
営業メンバーの視点が、日々高くなっていく。

逆上がりは突然出来るようになる。という成長理論を、
組織として実感した半年。

自らがその成長スピードに付いていくことに必死であった。

結果として、
49期3月度の姿は、
G売上1500万円/週
版売上2000万円/週
利益 2000万円/月
情報件数800件/週

1年前に思い描いていた組織業績の姿をほぼクリアしていた。

頑張った結果としての業績というだけではない。
この姿を実現するために、必要な組織改革を先手先手で実行し、
計画的に実現した1年間。

組織の質が劇的に変わり、
顧客との関係性が劇的に変わり、
カスタマーがタウンワークファンになっていく。
目には見えないが、体で感じるのだ。

版元長という仕事の醍醐味を心の底から感じながら、
自らの成長を強く実感した1年間。
その分死ぬほど働き、死ぬほどメンバーにコミットした。
家庭も顧みずに働いた。
でも、辛いとは一度も思ったことはない。
社会人人生で、忘れ得ぬ1年間になった。

集大成でもあった49期4Q。
再び、優秀組織賞受賞。
最強の組織、そして最高の組織だった。と自負している。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?