見出し画像

昔のはなし【大分編2005~2007】

【大分編①】初めての責任者

ゼロからのスタート。
大分。

熊本の右隣に位置しする人口約40万人(大分市)の都市。
豊後水道で取れる関サバ・関アジ、城下カレイ、臼杵ふぐなどの海の幸と、
別府温泉・湯布院など至る所に温泉のある街。
生まれてから一度も行ったこともない、縁もゆかりも無い街。

当時福岡で営業として結果を出していた渡辺(以下ベンガル)が、業績を認められ、ゼロワンリーダーとして大分へ。3月1日からベンガルと2人きりの日々が始まる。

大分空港に降り立ち、初めて足を踏み入れる。
空港の周囲には海と山しかない。その風景を見渡しながら、
「自分の力で、今この瞬間よりも、もっといい街にする。絶対に。」と手帳に書いた。

27歳。初めての版元長、事業責任者として、気持ちが高ぶっていた。

まずやる事は、
大分事業の三ヵ年計画を立て、H役員にプレゼンし承諾を貰うこと。
その為に、マーケットデータを定量・定性で分析し、シナリオを書き、組織計画を立てる。

自分が熊本創刊時に経験してきた事である。

自分でやるのは簡単。
自分が熊本で任せてもらったように、ベンガルに全てを任せようと考えた。

当時大分にあった事業はホットペッパーのみ。雑居ビルの一室で拠点を構えるホットペッパーの片隅の打合せデスクを間借りして、2人で三ヵ年計画作成に取り掛かる。

熊本で自分が創った三ヵ年パワーポイントを見せて、同じ要領で大分マーケットを分析し、計画を立てて欲しい。という要望をする。

任せる。と決めたからには任せよう。
GeMになりたての自分としては、精一杯の“我慢”をしようと思った。

しかし事は簡単には運ばない。
どれだけ説明し、どれだけ要望しても、
自分の望むアウトプットが出てこない。

同じ事をやればいいだけなのに、なぜ出来ないのか?
なぜこの作業をしていないのか?
なぜこの観点がもてないのか?
なぜこの作業に時間を費やしているのか?
なぜこうしないのか?

なぜ出来ないのか・・・・?
日々のコミュニケーションがほぼ全てこのコミュニケーションだった。

結果、ベンガルは精神的に追い込まれ、アウトプットの質は更に悪くなる。
後に分かったが、丸橋の横にいるのが嫌で、会社を出てフェリーに乗って
一日潰した事もあるらしい・・・。つまり、彼は潰れる寸前だった。
組織が出来てわずか1ヶ月足らずで。

最終的にプレゼン1週間前に全てを巻き取り、自分で作業し3ヵ年計画は完成。この時、自分のマネジメントに問題があるとはまだ気付かない。ベンガルの無能さ、を嘆いていた記憶さえある。

自分がゼロワンの時は全部やったのに・・・。ベンガルには出来ない・・・。
こんなゼロワンで果たして大丈夫か?と正直不安視していた。
当然言葉には出さなくても、本人はその空気を感じ取る。

本来一枚岩であるべき版元長とゼロワンは極めてギクシャクしていた。
全て上司である自分の問題。
しかし、彼は逃げずに乗り越えた。今にして思えば感謝である。

H役員への三ヵ年計画プレゼンの日。
前日から東京に入り、徹夜で資料を創り上げる。
これでもか、という位考え尽くし、自信を持ってプレゼンテーションをする。

しかし、あっけなくプレゼンは撃沈する。

マーケットのデータ分析、商品計画、組織計画、3ヵ年PLなど一気に話す。
H役員は無言で僕のプレゼンを聞いている。

一通りプレゼンを終えて、初めてH役員が口を開く。

「で、お前は何を捨てたんだ?」

・・・。答えられない。

「戦略とは捨てることだ。何かを捨てて、何かに集中する。
 マーケットを見れば、全部拾いたいに決まっている。
 でもそこを捨てる覚悟をして、とりたいマーケットに集中する。
 その覚悟がなければ、戦略も何もない!出直して来い!」

完膚なきまでに叩き潰された。

しかし、全て的を得ている。グサっと刺さる。

ごまかそうと思ったポイント、考えずに決めた事が全て見抜かれる。

H役員が言いたかった事は、僕のプレゼンが正しいか否かではなく、事業を立ち上げる覚悟の重さを伝える為のものであった。

【大分編②】初めての組織づくり

再度注力する領域を絞り込み、捨てるマーケットを決めた。
半年で注力領域のマーケットシェアを取り、
実現できれば半年後に捨てると決めたマーケットに参入する。
シナリオを書き直し、無事承認を得る。

幸いにも、大分マーケットの競合の強さは熊本の競合の足元にも及ばない。
顧客にヒアリングに回っても、TWの参入を歓迎する声が圧倒的に多い。

間違いなく勝てる。
一気に勝つ。

これまでの展開版の中でもギネス級のスピードでマーケットを奪取する。
そんな意気込みが日々強くなっていく。

まずは組織を創る。

こいつとなら事業が失敗しても仕方がない。そう思える仲間を集める。
採用目標数は15名。

しかし、営業スタート時に集まったのは7名の営業と2名の内勤スタッフ・・・。しかも、全員が女性。。。しかもしかも、全員が自分の好み。
スケベ心。と言われればそうかもしれない。

一緒に働きたい。と思えたのがたまたま女性だけだった。ただそれだけ。
女子高の中に、校長先生(丸橋)と教頭(ベンガル)がいる。そんな組織だった。

営業人数が全くそろわないまま、創刊号の営業がスタート。

人数が少ないにもかかわらず、
目論見どおり早々と創刊目標を達成。2号目、3号目と先付けの営業活動が進んでいく。

同時創刊の宮崎が悪戦苦闘しているのを尻目に、タウンワーク大分グループは順調そのものスタートを切る。

熊本での失敗、成功体験を参考にしながら、
われながら、よくやった。と思う。

その後待っている地獄の日々を、
この時は想像も出来なかった。。。

【大分編③】壁にぶち当たる

感動の創刊号が届く。
僕自身は2度目の創刊。にもかかわらず、やはり嬉しい。涙が出る。
同様に初めて体験する女子高軍団も感動の涙を流す。
自分が創り上げた組織で、新しいメディアを創刊する。これは最高の喜びだ。

極めて順調なスタートを切った大分版。
徐々に採用も進み、待望の男性営業も入社。
順風満帆。なはずだった。

しかし、創刊から2ヶ月ほどして、一気に業績が停滞し始める。

ギネス級のスピードでマーケットを奪取する!という号令にも、
メンバーの反応は極めて冷ややか。

組織のリーダーである自分のみがピエロのように周りを鼓舞する。
鼓舞すればするほど、メンバーとの距離が広がっていく。

業績が更に低迷していく・・・。
なぜ売れないのか?なぜもっと頑張れないのか?本当にやってるのか?
本当でやる気があるのか?じゃあ今日何をしたか一日の行動を全部説明しろ・・・。

そんなコミュニケーションが日に日に多くなる。

ある日、あるメンバーが言った。

「やる気がしません。もう飽きました。創刊はワクワクして楽しかったけど、それからずっと同じことばかり。みんなもういいやって感じです。」

かなりのショックを受けたのはいうまでも無い。

当時未熟だった自分は、
その甘えた発想は女子比率が高い組織構成に問題がある。としか感じていなかった。

「飽きたのなら辞めればいい。会社も事業も止まることは無い。社会はそんなもの。仕事を面白くするのは自分自身だ。」

なんて的外れな事を一生懸命話した。幸い辞めるメンバーはいなかった。

それからしばらくしたある日。
あるメンバーが話がある、と言う。

連れられたお店に行くとそこには女性営業メンバーがほぼ全員が座っている。

何事か?

お酒も回りだした頃、あるメンバーが切り出す。
「丸橋さん。私たちは丸橋さんの下で働くのが嫌です。
 正直、丸橋さんでは私達の上司としては経験が足りないと思います。」

一気に酔いが覚める。

自分は新婚の家庭も顧みず毎日夜中まで一生懸命仕事をしている。
この事業を成功させたいと心の底から思っている。
誰よりも、この組織の事を考えている。
経験を補う為に、本も大量に読んで時間を費やしている。

なのに・・・、営業経験もない、社会人経験も少ない女性メンバーに、
一緒に働きたくない。と言われている。。。
それは認めたくないが、事実であった。

帰り道。くやしくて涙が出る。
でもどうしていいか分からない。

出来る限りのことはやっているつもり。
自分の思うことを皆がやってくれれば必ず結果が出るのに・・・やってくれない。
なんで・・・?
どれだけ考えても、答えはでない・・・。

メンタルに近い状態であったと、
今にして思う。
言葉には言霊が宿る

挫折のど真ん中。

そんな時にある本と出会う。
「経営者が語るべき言霊」田坂広志さんの著書。

趣旨を要約すると
・言葉には魂が宿る。
・言葉が志から出ているのか、欲から出ているのか。が伝わる。
・自分の欲から発せられる言葉は、メンバーに伝わらない。
・覚悟を決めた人の言葉には魂が宿り、人が着いて行く。
Etc・・・

自分の言葉は全て“欲”から来ている事に気付く。

ギネス級のスピードでマーケットを奪取し、評価されたい。
その為に、みんなをもっと頑張らせたい。
その為に、自分の思い通りにみんなを動かしたい。

全て、自分の為。自分の評価の為。自分のエゴの為。
全ての言葉が、欲から発していた事に気付かされる。

自分の思い通りにしたいから、
なぜそれが出来ないのか?と問い詰める。

自分が業績を上げて評価されたいから、
なぜもっと売れないのか?と問い詰める。

全て自分の欲。人が着いてくるはずが無い。

しかし、気付いてすぐに変われるものではない。
そんな時、メンバーの結婚式に招かれた。

自分が採用したメンバー同士の結婚式。
その結婚式に参列し、
幸せそうにバージンロードを歩く新婦と、それを見守る新郎の姿を見ているとき、目からうろこが落ちる感情がこみ上げてきた。

言葉にはできない感情。

敢えて言葉にすれば、
「自分はあくまでも、よそ者である。」という感情。

自分はこの大分の街には、縁もゆかりもない。
ただビジネスの戦場としてのみ大分の街を見ていた。

しかし、彼らにとってみれば、
この大分の街は産まれ育った街。これから先の人生を過ごしていく街。
そのほんの一部分の“仕事”という部分でのみ、自分は彼らと関わっている。
ビジネスの場としてしか大分の街を見ていない自分と、
人生を過ごしていく街として、大分の街を見ているメンバーと。

この意識のギャップ。

自分がどれだけ、街の為に、みんなの成長の為に、と吠えても、
響くはずがなかった。

自分はしばらくすればこの街を離れ、別のマーケットに行く。
自分は所詮よそものでしかない。

この街で生まれ育ち、この街で人生を過ごしていくメンバーが主役。
自分はあくまでも脇役。

そんな想いが、すーっと腹に落ちた。

自分は脇役として、みんなの為に何が出来るのか?
思考が変わった瞬間だった。

自分ごときが、人を育てる。という考えはおこがましい。
人は、自分の力、意思でしか成長しない。
自分に出来ることは3つ

・成長したいという思いを引き出すこと
・成長の邪魔をしないこと。
・成長の邪魔をするものを、身体を張って取り除くこと。

それしか出来ない。

そんな覚悟を持った瞬間でもあった。

その日以来、
何か。が変わっていった。

【大分編④】挫折を乗り越える

なにか、
が変わった。

なぜか、メンバーが頑張り始める。
なぜか、組織業績がよくなり始める。
なぜか、みんなが楽しそうにイキイキと働いている。

なぜか?
言っていること、やっている事は何も変わらない。はず。
でも、明らかにメンバーの受け止め方が違う。
理屈ではなく“言霊”が宿ったのだ。

創刊から1年弱。
再び大分グループは、すさまじい勢いで業績を上げ始める。

結果、47期1Qで、最優秀PC賞(金賞)獲得。
御褒美として、一人5万円の予算で旅行に行く権利を得る。
全員で沖縄へ。
日頃の忙しさを完全に忘れ、2泊3日での沖縄旅行。

メンバー全員が心の底から笑い、
メンバー全員が心の底から受賞を喜んでいる。
もう一度賞をとりたい。そんな声も聞こえてくる。

「もう飽きました。」
「丸橋さんの下では働きたくありません。」

そんな言葉を面と向かって叩きつけられた日から、
約半年が経っていた。

逃げずに、歯を食いしばり、前を向いて踏ん張った日々。
毎朝誰よりも早く会社に来て、誰よりも遅くまで働いた日々。
毎朝実施する朝会で、誰よりも元気に、テンション高く話し続けた日々。
毎朝、誰も聞いていない朝会で、この事業で実現したい事を語り続けた日々。

毎日、自分たちがNO1メディアを創り上げる意味を語り続けた日々。
頑張れば、絶対にいいことがある。神様は必ず見ている。毎日そう語り続けた日々。

ビジネスは勝ったほうが絶対に楽しい。毎日そう語り続けた日々。
営業としてではなく、人として魅力的になる事にこだわれ。と語り続けた日々。

時間が少しでも空けば自転車を漕いで一緒に営業した日々。

そんな日々が、報われた瞬間だった。

夕食時、サプライズでケーキが用意されていた。
メンバーを代表して、
「あなたとは働きたくない。」そう言ったメンバーがコメントをする。

「文句ばっかりの自分たちを、引っ張ってきてくれてありがとうございました。丸橋さんのおかげで、今までの人生で味わったことのない達成感を味わうことが出来ました。ほんとうに感謝しています。」

言葉をもらうために頑張ったわけではない。
賞をとる為に頑張ったわけではない。
でも、結果として言葉と賞をもらえたことは、このうえなく幸せに感じた。

その後も大分Gは順調に成長し続けた。
創刊1年で単月黒字も達成し、累損一掃も見え始めた2007年12月。
マーケットシェアでもNo1がすぐそこに見えたこのタイミングで、
またも内示がでる。

自身がゼロワンとして立ち上げた熊本へ、版元長として異動。

「もう少しだけいさせてください。あと3ヶ月でいいです。」
カンパニー長に懇願する丸橋に対して、
「大分はもう大丈夫。お前がいなくてもこのまま成長を続ける。
お前には次のやるべきことがある。」

1年9ヶ月。自分が魂を奉げて仕事をした街大分を後にした。
ただひたすら、「どうすればメンバーが頑張れるのか?」を
追求し続けた1年9ヶ月。

その問いに対する自分なりの答えは得た。それは今でも財産である。
ただ、モチベーション高くメンバーが全力でぶつかればそれで勝てる。
というマーケットだった、と後で知ることになる・・・。

【大分編⑤大分で得たマネジメント論】

初めての組織長として、突きつけられた大きな壁。
そしてその壁を乗り越えた経験。

乗り越える途中は当然必至であった。
理屈でもなく、理論でもなく、我武者羅にやった結果乗り越えた。

壁を乗り越えた後に、なぜ壁にぶち当たったのか、なぜ乗り越えられたのか?
を自分なりに整理し、自分自身のマネジメント思想が出来た。
そのポイントをエピソードを交えて書いておこうと思う。

ある日の家庭内での光景。

当時3歳の長男は、ご飯を食べるのが嫌いだった。
家族で食卓を囲んでいてもすぐに、
「もうおなかいっぱい。」「おなかがいたい。」と言って食べようとしない。

それに対して母親は、
「何でもっと食べれないの!」
「全部食べなさい!」
「せっかくママが作ったのに!」
「あんたの為に言ってるのに!」
「食べないと大きくなれないよ!」
と怒鳴っていた。

息子は、更に食べるのを嫌がる。
そしてさらに母親は怒る。

「パパからも言ってよ!」母親が言う。

僕は息子に対してこう話す。

僕「そうか。食べたくないのか?」
息子「うん、たべたくなーい。」
僕 「そうかー。じゃー仕方ないね。じゃーパパが代わりに食べてもいいかな?」
息子「うんいいよー。全部食べて。」
僕 「よし、食べてやろう。でもお前がこれ全部食べれたら、背が大きくなって、いつもあとちょっとで届かないエレベーターのボタンが自分で押せるようになるのに。本当にパパが食べていい?」
息子「えー!これ全部食べたらエレベーター自分で押せるようになるの?」
僕 「なるよ。でも毎日ちゃんと食べないとだめだし、今日だけじゃダメだ。まずは今週頑張って食べてみたら、押せるようになるかもしれないよ。」
息子「じゃー僕全部食べる。パパにはあげない。」

そういって息子は全てを食べ終え、おかわりをするようになった。
(しかも本当に3日後にエレベーターを押せるようになった。)

このエピソードは、マネジメントそのものであると思っている。

まず母親は、息子は自分の言う事を当然聞くものである。
という前提に立っている。

だから、なぜ食べないの?と怒る。

息子にしてみれば、食べたくないから食べたくないのだ。言う事を聞く利用はない。

「あなたの為に言っているのに。」は完全に嘘だ。
実は自分の為に言っている。早く片付けたい、洗いものをしたい、
という自分の欲が先。
当然そんな嘘は子供でも分かる。でも母親本人はその理屈が分からない。

「食べないと大きくなれないよ」

これは本当のことである。でも、息子は大きくなりたいとは特に思っていない。
これも、早く大きくなりたいはずである、という母親の思い込みである。

息子は、大きくなりたいとは思っていないけれど、
あとちょっとで押せそうなエレベーターのボタンを
自分で押せるように早くなりたい。とは強く思っている。

これが俗に言う本人のWILLである。

大きくなりたい。は決してWILLではない。

目の前のごはんを全部食べるという行為と、
エレベーターのボタンを自分で押したいという本人のWILLを繋いで上げること。

これがマネジメントの役割である。

息子にごはんを食べさせたい!というマネジメント側のWILLを実現するために、その行為を息子にとってのWILLと繋いであげる。
そうする事で、息子は喜んでご飯を食べる。母親は喜ぶ。という結果になる。

「食べなさい!」「いやだ食べない!」
という不毛なやりとりは全く誰も幸せにならない。

メンバーは上司の言う事を聞く。あるいは、当然聞くべきである。
という前提でマネジメントする人が世の中には多い。

その前提が成り立つためには、
❶、メンバーは社内で評価されて出世したいと望んでいる。
❷、この人の言うことなら何でもやる。という位の尊敬がある。
このどちらかの前提条件が必要不可欠。

CV制度という、有期雇用を軸にした組織に於いて、1は成り立たない。
終身雇用が崩壊し、ポストが詰まっている現代の組織においても、
実は❶は既に成り立たない。

❷の尊敬を勝ち得たうえで、WILLを引き出すマネジメントが実現できたとき、メンバーが面白いくらい自分の思う通りに動いてくれる組織が出来上がる。

しかも、それぞれは自らの意志で主体的に行っているのだ。
組織の長としては、理想の状態である。

「なんでできないんだ!」「なんで遅刻するんだ!」「なんで分からないんだ!」
こう叫ぶGMは愚の骨頂である。と個人的には考えている。

あなたの言う事に、メンバーが従わなければならない理由は何ですか?
要望する事が目的ですか?行動させる事が目的ですか?
あなたの都合だけで要望していませんか???

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?