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母と函館と、わたし

 今、私は北海道にいる。
 北海道は幼い頃の私にとって年に一回だけ旅行へ行く場所だった。小学校のいつ頃からだっただろうか。夏休みになると母と2人、北海道へ旅行に出かけるようになった。最初は母が大好きなGLAYのライブがちょうど夏休みにあったから、だったと思う。けれどその翌年もその次の年も、ライブがなくても母は夏になる度に北海道へ旅立った。でも一緒に行くのは必ず私だけ。母は父や兄2人、のんちゃんですら連れては行かなかった。2人だけで二泊三日いろんな観光地を回って過ごした。
 幼い頃はみんなで行った方が楽しいんじゃないかと思っていた。私1人だけいいのかなぁなんて思っていた。

 母は函館山から見る夜景が大好きだった。私も、初めて見たときは宝石が散りばめられたような夜景から目が離せなかった。
「綺麗だねぇ、綺麗だよねぇ」
何度も繰り返しては確かめるように私の顔を見ては、嬉しそうに微笑む。家で見たことのない母を見たようで、なんだか不思議な気持ちになったんだ。 
 それから着いた日の夜に函館山に行くのが私たちの定番ルートになっていた。ある年、着いた日にはどんよりと重い曇天が広がっていて夜景を見るのは難しかった時があった。それでも母はロープウェイに乗って山頂まで行った。雨まで降っていたので、ほとんど夜景は見れずにただただ暗い中、空の境目もない空間を見ていた。
 「つまんないよ」とぐずる私を「やっぱり無理だったね。つまんなかったね、ごめんね」と、母はこっちを見もしないままその日はそのまま下山した。
 次の日は昨日が嘘みたいにすっきりと晴れた空だった。もう予定は色々と組んではいたけれど母はホテルを出るときに「今日、もう一回函館山に登ってもいい?」と聞いてきた。
 正直なところ、他にもいきたいところはあったけど旅の主導は母だ。断れるわけもなくその日の夜も函館山に登った。

 あの日見たあの景色は忘れない。綺麗だった、ほんとうに。今まで見た景色全て忘れてしまうような、息をするのも申し訳なくなるような景色だった。でも母はせっかく見れた景色なのに全然嬉しそうではなかった。私も見ないまま、ずっとまっすぐ、ずっと遠くを見ていた。

 その後、父と母が離婚した。母は家を出て、母との2人きりの旅行はそれっきり行けていない。大人になった今なら、あの頃の母の気持ちがわかる。あの旅行は母が自分でいれる唯一の時間だったのだろう。

 私の家はとにかく母に厳しかった。夫の実家に嫁入りすることがいかに大変なのか、子供の私でもなんとなく嫌だなというのがわかった。居たい場所ではなかったのだと思う。それでも母は笑っていたから、これが普通なのだと思っていた。今なら、いや今更なんだけれど、その笑顔を作ることにどれほど心を押し殺していたのか痛いほどわかる。

 北海道にまさか住むことになるとは思わなかった。楽しい思い出だったはずが、大人になって思い出すと悲しい思い出として浮かび上がる。
 来月でこっちに引っ越して一年になる。まだまだ慣れないし、つかの間の夏が終わって冬がくることに今から気落ちしてしまう。移住が流行っていると聞いても、想像の50倍は大変だぞ、と言いたくなる。

 それでも北海道に来てから自分の中の暗い部分はすっかり見えなくなった。きっと消えてなくなったわけじゃない。何かのきっかけで奴らは簡単に姿を現すだろう。お世辞にも便利な場所とは言えない場所で暮らしていると、何かに焦る気持ちがなくなった。不安になる気持ちも減った。まあいいか、と妥協できるようにもなった。精神的にはすごく合う場所なのだろうと思った。

 住んでいるのは函館山からはるか遠い場所だ。高速を使っても片道6時間はかかるだろう。だからまだこちらに住んでから函館には一度も行っていない。距離もあるけれど少し怖い気持ちもありなかなか勇気が出ない。
 だからいつか母を北海道に招待して、また2人で旅行に行きたいと思っている。
その時に一緒に函館山に登れたらと思う。辛い当時の気持ちを思い出させてしまうかもしれなくてなかなか誘えずにいたけれど。

 あの景色はほんとうに綺麗だから。

 いつか、叶うといいなとこっそり願っている。



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