東日本大震災の記録(千葉県千葉市中央区)

2011年3月11日金曜日

14:46千葉市中央区にて強い横揺れ

立っていられないほどの揺れが長く続く

食器棚は動き中からグラスが飛び出して来た

外へ避難すると隣の幼稚園が大騒ぎである

街は混乱していて駅前のヨドバシカメラが入るビルからはガラス窓が落ちていた

公衆電話には長い列

電車は止まった

ワンセグ携帯でテレビを見せてもらうと津波がくるところだった。

たしか仙台だった気がする

夕方、急に空が灰色の雲で覆われた

雲というより噴煙に近いもので雨でも降るのかな?それにしても変な雲だねと皆んなで見ていた。これは後にコスモ石油の爆発だと知る

コスモ石油に関しては翌日にデマがメールできた。黒い雨が降るというもので、ひと目見ればデマだと分かるものを丁寧に送ってくれる人達がいた。

夕方、千葉市から東京方面へ帰りたい友人に自転車を貸した。

帰宅困難者の新入社員18歳2人を自宅に泊めた。

まだスーパーに食材は豊富だったので焼き肉にした。後に流通が止まる&買いだめにより食料品が不足する。

牛乳がなくなる

カップ麺を買い占める人がいる

ティッシュ関係を買い占める人がいる

人は不安になるとトイレットペーパーを買うのだろうか

14:47に岩手の母へ電話をしたのが最後でつながらない。仙台港で働く従兄弟も福島の伯母も皆死んだと思った。特に岩手は沿岸部に知り合いが多く母の家も海の街で彼女は川沿いに暮らしていた

夜、連絡ついたと姉より母の生存を確認する。ただし停電中なので携帯も充電できないとのこと。

姉も帰宅困難者で歩いて家まで帰り大変だったとのこと。都内→都内の帰宅困難者は列をなしてゾロゾロと歩いていた。

後に分かったこと

久慈の母は巽山へ避難した

田野畑の母の親友は山へ避難し夜を明かした

屋根に避難した人は家ごと流されて帰ってこない



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