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現地友達できない悩みと決別する

「せっかく英語がしゃべれるようになってきたのに、なかなか英語で友達ができない」

これ、多くの人が抱えている悩みなんじゃないかと。
特に、英語圏に住んでいる人のほうが多いと思うんです。日本にいたほうが、イングリッシュスピーカーの友達は作りやすい。なぜなら日本に住んでいる外国人は、日本に興味があり、日本人と仲良くしたいと思っている可能性が高いから。

「せっかく留学しているのに、せっかく海外に住んでいるのに! なんで現地の友達できないの〜!?」
「同じく現地に住む日本人や他国からの留学生とは仲良くなれるのに。なぜ!?」

……これ、かつて私が抱えていた悩みです。悩み……そうですね、悩んでましたね、ハイ。すでに過去形です。なぜなら仕事と日々の生活が忙しくて友達と過ごしたい余暇自体がなくなったのと、その場の必要に応じて人間関係は自然と構築されていくから無理に友達を作る必要はないと割り切ったからです。

なのですが、この友達できない問題の派生案件として、長年じわじわと心にひっかかっている事がありまして。というか、ハッキリ言って悩んでたんですね私。悩むっていうこと自体が好きじゃないので認めたくないのですが、けっこう深く悩んでいたと思います。あーイヤダイヤダ。でもこれも過去形です。今は悩んでません。

その派生案件が何かというと、

「英語でグループでのわいきゃいトークに入っていけない案件」

これです。
わいきゃいトークとは何ぞや?というと、雑談の一種ではあるのですが、同僚同士で職場について話すとか、共通の知人についての噂話をするとか、そういった何かしら一本串が通ったものではなくて、なんとなくその場にあるトピックをひょいひょい流動的に話していくタイプの雑談。会話の中身はあんまりないんだけど、話し方とかキャッチボールの妙で異様に盛り上がっていくやつです。

さんまさんと鶴瓶師匠、タモさんあたりが目の前のタオルとかについて2時間ぐらい爆笑トークできる、あの感じを想像していただければ。もちろん、このお三方ほどの洗練度は正直ないのでしょうが、目の前のネタで会話を転がすテクみたいなものは、わりと英語圏のベーシックな感覚だと思うんですね。映画でも、パーティで初対面同士がドリンクとおつまみをネタに軽妙なやりとりをする、みたいなシーンがたくさん出てきますが、あれです。

英語圏といってもさまざまですが、私が住んでいるアメリカでいうと、それほど親しいわけではない間柄の人と、仕事や家族、政治、宗教などの話をすることは半ばタブーとされています。初対面であれば、なおさら。住んでいる地域や趣味の話も、少し仲良くなってからじゃないと警戒されてしまいます。だから、当たり障りのない会話からスタートする必要があるんですね。

でもですよ。
当たり障りのない会話ほど、難しいものはないと思いませんか? 女性同士であれば洋服やネイルなんかを褒めることもできるけれど、容姿の話題は地雷が埋まっている場合もあるし、持って5分がいいところ。ほんと、難しいです。

ネイティブスピーカーとの会話の難易度のランクについて、私は下記のように考えています。(下にいくほど難易度が高い)

1、スクールでの講師とのマンツーマン会話
2、ビジネス上でのマンツーマン会話
3、会議などビジネス上でのグループトーク
4、講師ではない一般人とのマンツーマン会話
5、一般人2人とのグループトーク
6、一般人3人以上とのグループトーク

私の英語力のレベルは、5はクリアしていて、6で行き詰まっているところ。なぜわざわざ5の「2人との会話」と6の「3人以上との会話」で分けているか不思議に感じるかもしれませんが、これ、2人と3人以上では全く違うんですよ。相手が2人であれば会話はトライアングルで進みますが、3人以上だとネイティブ同士で話が盛り上がり、完全に外野に押しやられる感あります。これはなかなかに辛いものがあってですね……。

もうひとつ、上のランクについて言うと、1〜3はそれほど変わらなくて、3と4の間が1万光年ぐらい離れている感じです。1〜3は相手がこちらの話を聞く前提であり、ノンネイティブスピーカーにdealすることが前提でその場にいるから。一方、4は英語が母国語ではない人との会話自体に慣れていないことが多く、「は?」っていう反応も普通にあるし、たとえ心優しい人だったとしても、どういう言い方をしたら伝わりやすいのか等のスキルはないので、慣用句、短縮、スラング等々が入り交ざり、「なにこれ英語以外の言語?」ってなります。

本当にこれはよく思うのですが、スクール等での英会話と、実際の市井の人々の英会話って、家でやるゴルフゲームと実際にコース出てプレイするぐらいの差があります。どちらも同じゴルフなんだけど、全く別物。かといってスクールが全く意味がないかというと、そうではないんですけどね。ゴルフゲームも、ある程度ゴルフの基礎知識をつけるには便利だと思うし。でも、その程度ですね。


そんなわけで、私、グループでのわいきゃいトークに入っていけないことを、ずっと気に病んでいたわけです。グループトークが全くできないわけではなくて、例えばメディア関係者が集まるパーティなんかでは、問題ないんですよ。でも夫の友達のBBQパーティとか、夫の友達の友達のホームパーティに誘われてとか、私にとって共通項が「夫」しかない場だと、もうダメなんですね。遠い親戚の法事に付いてきた子供みたいに静か〜になります。

この時、周りから私がどう思われているかというと、きっとこんな感じ。

「なんでメグミは英語がしゃべれるのに、会話に入らないんだろう?」

あのね、入らないんじゃなくて、入れないの。は・い・れ・な・い・の!
でもこれ、ネイティブには絶対にわからないと思うんですよ。実際、夫から何度か言われたことがあり、その都度説明するのですが、わかってもらえません。

グループでの会話って、自分が話題の中心になっている時であれば自分のペースで話しやすいのですが、そうじゃない時は、すでに巻き起こっている会話のペースを崩さないようフローに乗れないとダメじゃないですか? これは日本語でも同じだと思いますが。大縄跳びに入っていく、あの感覚。さらにアメリカでのパーティ的な場のわいきゃいトークは、ブレイクダンスしながらダブルダッチに入っていくぐらいの難易度があります。

一対一だとけっこうしゃべるのに、大勢がいる場だと無口になる人。それは私。おそらく周りからは、

「何考えてるかよくわからない人」
「話題が少ない人」

とも思われているんじゃないかと思います。
実際、話題が少ないのはその通りでもあり、目の前のネタだと「このワイン美味しいね」とか「このおつまみどうやって作るのかな?」とかぐらいしか広げられないのは、我ながらふがいなし……。

そんな風に私がジクジクいじけている中、ブラジルから先月アメリカに来たばかりのナントカ君みたいな人が、なまりの強い片言の英語しか話せないのに会話の中にガンガン入っていってみんなに愛されている場面なんかも、あったりするんですよね。なんだろう、ダブルダッチの輪にカポエイラで入っていって、縄は止まったけどすごいグルーヴでブレイクダンスとカポエイラがセッションしてる、みたいな。

だから、じつは英語力の問題ではないのかもしれない……とも、思っていたんですね。じゃあ何なんだ、と。それがずっとわからなくて。

わからなくて、悩んで。パーティが苦痛だったんです、本当に。

でも、最初にも言いましたが、私もうこの案件について悩んでいません。過去形です。つい今日の午前中までは、現在形でした。見つけたての「解」なので、もしかしたら後々変わるかもしれませんが、しかし、もう悩まないぞ私は!

●サービス精神を見直す

サービス精神って、会話においての「基本のき」ですよね。でも英語となると、この点を軽視しがちだと思うんです。
そもそも英会話を頑張っている人って、コミュニケーションに自信がある人だと思うんですよ。人と話すことが好き、いろんな人と交流したい、というタイプの人が多いはず。だとすると、日本語ではサービス精神を盛り込んだ会話をしているはずなんですね。その場が楽しく盛り上がるように、相手の表情や場の空気を読みながら、小技を利かせているはず。

じゃあなんで英語になるとサービスの観点が欠如するかというと、会話の流れを見極めたり、場の空気を読んだりするのが、やっぱり英語だと難しい。微妙なニュアンス、ネイティブ特有のサーカスティックなジョーク、瞬時に理解できない。ついていけない。コミュニケーションに自信がある人ほど、翼をもがれたような気持ちがしてしまうかも。

でも、ここで「サービス精神とは、相手や周りを楽しい気持ちにすること」という原点に立ち返り、まずは自分が会話をめいっぱい楽しむことで、その場にしっかり参加すること。会話を回すことはネイティブに任せて、自分は聞き役、笑い役、リアクション役に徹してみる。ダブルダッチに挑もうとしないこと。できないんだから。それでもノリのいい観客としてプレイヤーを盛り上げることはできるし、それこそが求められているベストなポジションなのでは?と思ったのです。

●そもそもコミュニテイが最適でない

知らない人ばっかりのパーティ、すでに仲良しグループが出来上がっているパーティ。そういった場で、「もしも……」を想像してみたんです。

「もしも、これが35歳以上の女だけの集まりだったら?」
「もしも、これがコアなシネフィルの集まりだったら?」
「もしも、これがモンチッチ愛好家の集まりだったら?」

……うん、全然、いけますね。満面の笑みで最高に盛り上がってる自分が見えます。血湧き肉躍って、空回りして、でも全然平気だしサイコーですって顔してる自分、ありありと目に浮かびます。

すごく好きで、いくらでも語りたくて、好きな人とつながりたいって思えるものが共通言語としてあれば、初対面だからとか、英語だとニュアンスが理解できないからとか、すでに仲良しの空気に入ってくのが難しいからとか、あれやこれやの障壁をぴょーんと飛び越えちゃう。熱量のあるジャンル、それすなわち私にとってのカポエイラになり得ると思うんです。ダブルダッチに切り込んでいく熱狂のグルーヴ。

これはコミュニティ選びの話だと思うんですね。どんな場でも瞬時に友達ができる人は素晴らしいけれど、かなりレアな特殊技能だと思うし、自分がその技能を持ち合わせていないからといって落胆する必要もない。付き合いとして参加しなきゃいけないパーティがあったとしても、別のところで自分にフィットするコミュニティを見つければいいだけ。「出会った全員と友達になれなくて当然」と割り切るのも、大事。勇気をもって割り切ろう!


……と、これが私の現時点での「解」です。
また時間が経って多少変わるかもしれないですが、でも「友達できない」「グループトークつらい」についての悩みとは、決意をもって、今日で決別します。
同じ悩みを抱えている人に、届くといいなと願いつつ。

そしてなんだか、カポエイラ、やりたくなってきました。

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