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信心深い訳じゃない私が強く神に祈る時

日本文化には神道や仏教がとても深く根付いている。
神社やお寺での初詣、お宮参り、七五三、結婚式にお葬式などなど。
私はあまり神頼みや仏頼みをするタイプではなく、初詣も雰囲気だけ味わって願掛けをする事はほとんどない。
理由は話すほどのことでもないので割愛するが、とにかく普段の生活の中で神を意識する事はほぼ無いに等しい。
が、そんな私にも一箇所だけ、これまで沢山の祈りを捧げてきた祈祷所がある。
そう、「トイレ」だ。
昔から胃腸は強い方ではないくせに、食とお酒には目がない為、稀に耐えがたい腹痛に襲われるのだ。
冷や汗か脂汗をかき、四肢からは力が抜け、蹲り、弾け飛びそうな意識の中、手水付きの白亜の台座に座り、必死にお祈りを捧げるのだ。
見方によっては興福寺の阿修羅像のように強く、気高い表情で、場所が違えばなんと信心深い男性なんだと称賛されるかも知れない。
そして、もう暴飲暴食はしません。生活習慣改めます。他人が握ったおにぎり食べます。照明のカバー外して虫の死骸掃除します。などと考え付く限りの徳を差し出し、復唱し、答えを問うのだ。
私が下痢神様と呼ぶその厳しいお方は、平均30分程度の祈祷で赦しをくださる。
祈祷場を後にした私は、体力をゴッソリと削られ、歩くこともままならないが、どこか一抹の清々しさを併せ持っている。
これが修行か罰かはさて置き、しばらくの間俗世に溢れるものが儚く、愛おしく感じるのだ。
しばらく祈祷はせずに済んでいるが、年末年始をもうすぐ迎えるにあたり、祈祷をしなくて済むよう程々に呑み食いを楽しもうと思う。
#エッセイ #コラム #日記 #生活
#神道 #仏教 #祈祷


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