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【自伝小説】第2話 小学校時代(2) |最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島

血ぃーごーごー事件

 突然、辺り一面に悲鳴がこだました。そこは某小学校のグラウンド。少年野球チーム、「武蔵」の本拠地だった。まだ5年生ながら、そのチームのキャプテンを務めていた少年。

その日は練習日ではなかったが、気の合う仲間たちと休日を楽しんでいた時に事件は起きた。

 当時、その学校のバックネットは、4m程の角材に緑色の網を縛り付けただけの即席ネットであった。そんな弱々しいバックネットに、友達とじゃれ合いながら少年は持たれ掛かってしまった。

直後、体重を支えきれなくなった角材が少年の頭蓋に直撃。辺りは一瞬で凍り付いた。

「ゴッンッ」

鈍い音と同時に頭を押さえながら倒れこむ少年。「大丈夫か?」という友達の呼びかけに、余裕の表情で中指を立てた。(いや、そこは親指だろ)。

ダメージ的には大した事ナササリーであったが、手から滑り落ちた帽子を見た次の瞬間、事態は急変した。

タップリな量の血で、白い帽子が真っ赤に染まっていく不気味な光景がそこに広がっていたのだ。先ほどまで余裕を見せていた少年の顔が、一瞬で強張った。

血ぃーーーーーーーーーーーー!

松田優作よりも、より松田優作的な「なんじゃこりゃポーズ」で固まる少年。その叫び声は、隣の真栄里地区にまで及んだという。

※当時キャプテンを務めていた少年(捕手)と、ネットに持たれ掛かる子どもたちの姿

すぐさま保健室に急ぐ少年たち。到着する頃には、少年を少年と示す全てを覆い隠すほど、その顔面は真っ赤な血で染められていた。

その日は休日だったため、優しい保健室の先生はお休み。代わりに年老いた用務員さんが対応してくれた。

少年の置かれた状況を不憫に思ったのか、いつも以上に優しく接してくれる用務員さん。

実は普段は鬼のように怖く、放課後になっても帰らない子どもたちを、「早く帰れ」とホウキを振り回しながら自転車で追い掛け回す名物おじいちゃんだった(時々カマを振り回す日もあった)。

「ふ~ん、こんな優しい一面もあるんだ」。そんな事を冷静に考えながらヒックヒックとすすり泣く少年に、その年老いた用務員さんは徐に聞いてきた。

「あんたどこの子ね?」「家に連絡するから電話番号教えなさい」

少年は驚いた表情で聞き返した。「じいちゃん、僕だよ、分からなかったの?」。

次の瞬間、「ゴンッ」という音と「プッシューッ」という音がハーモニーのようにこだました。

顔面を血で覆われ、どこの誰だか分からなかった少年が、よもや自分の孫だと知った途端、怒りに駆られた祖父から放たれた鉄拳制裁の音と、その時に再噴出した血の音だった。

仕事のし過ぎで上腕二頭筋が断裂するほどの怪力の持ち主である。角材のダメージ以上のダメージが、少年の頭蓋の隅々まで行き届いた。

「はっさ、お前は学校で何してるかっ!」 
フリムン!」 
「自分でこれ乗って帰れっ!」

怒声を浴びせられながら突き出された錆びだらけの自転車(記事「ギネス」参照)に跨り、自力で家路を急ぐ羽目になった少年。

その泣き声と、自転車の軋む音が聞こえなくなるまで、保健室に取り残された友人たちは目を伏せ、下を俯くしかなかった。

※その時に少年が手渡されたボロボロの自転車と、西日に敗北する祖母(笑)

ちなみにこの時に発せられた祖父の「フリムン」が、後のニックネームのキッカケになったかどうかは定かではない。

そんな祖父のゲンコツの威力は、想像の向こう側にまで達したという。恐るべし、最強のランバージャックである。

※用務員をしていたH小学校の校長室にて。この貫禄は、もはや校長先生である。

えずき事件

その後、祖母や叔母と共に病院に直行した少年だが、頭の裂傷はかなり酷く、実に7針も縫う事となった。もちろん、プラス3針は祖父のせいである。

ちなみに傷口を縫う際、避け目の中心に麻酔を打つのだが、この時が最も激痛を感じる瞬間となる。ただ、場所が場所だけに、本人はその瞬間を目視する事はできない。

お陰でほんの少しだけ恐怖心を軽減する事ができた。不幸中の幸いとは正にこの事である。

ただ、付き添いで来ていた祖母と(オッパイじゃない方の)叔母は、不安がる少年の手を握りしめながら、至近距離でその瞬間を目撃することとなる。それが悲劇の始まりであった。

余りのスプラッターな光景に祖母は気を失いかけ、(オッパイじゃない方の)叔母は「ボォゲェ~」「オロゲェ~」と“えずき”を繰り返す始末。

せっかく直視せずに済んだのに、運悪く少年の想像力が強過ぎて、その光景がハッキリと脳裏に映し出されてしまった。次の瞬間。

「おろっ」
「おろろっ」
「おろげぇーーーーーー」

注射を打ってから、(オッパイじゃない方の)叔母のえずきに至るまで、その芸術的な一連の連鎖反応により“もらいえずき”が止まらなくなってしまった少年。

まだ蝉の声がけたたましく鳴り響き、灼熱の太陽がサンサンと降り注ぐ、ある夏の日の悲しい思い出である。

※病院まで付き添ってくれた(オッパイじゃない方の)叔母と祖母

ソニー千葉

 まだ少年が小学生の頃までは、公民館で上映される映画が最高の娯楽であった。定期的に片腕のおじさんが軽トラに乗ってやってきて、市内の子どもたちに実写映画やアニメを見せてくれた。

少年たちは、夢を運んできてくれるその片腕のおじさんが大好きで、軽トラを追いかけながら宣伝活動の手助けを率先して行った。

「今晩6時より、平得公民館で映画を上映します」「怪傑ライオン丸」「スペクトルマン」「ザ・カラテ」「ダメおやじ」「他、数本を上映しますので、時間に遅れないようお集まりください」。

少年は、拡声器から発せられるそのおじさんの声が大好きで、よく友達とモノマネをした。そして、その時に出会ったある映画が、少年の未来を決定付けた

沖縄空手の使い手で、帰国子女の「山下タダシ」を主演に置き、シリーズ3部作まで続いた大ヒット空手映画、「ザ・カラテ」である。ただ、少年の心を鷲掴みにしたのは、その主役の山下ではなく、友情出演で登場したある人物であった。

後に公開された「少林寺拳法」で、少年の心は更に鷲掴まれる事となる。

その男の名は千葉真一。海外ではソニー千葉としてその名を轟かせていた稀代のアクション俳優であった。少年がまだ、李小龍(ブルースリー)や成龍(ジャッキーチェン)と出会う、遥か以前の話しである。

※千葉真一の代表作にして、少年を武の世界に導いた東映映画「少林寺拳法」

続きはこちら!第2.2.1話 小学校時代サイドストーリー|そのとき私は空手フリムンを目撃した!|by 花屋・福木屋@石垣島


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)

1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
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