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【自伝小説】最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島|第5話 上京編(2)

救世主

声が聞こえた方向に目をやると、作業服を着たおっちゃんがタバコを銜えながら立っていた。

いきなり店の入り口からホフク前進で男が出てきたのである。きっと驚いたに違いない。

その声を聞いた瞬間、フリムンは心の中で神に感謝した。

しかし、それで痛みが消えるわけではない。

声を振り絞り、事の次第を説明しながら救急車を呼んでくれるよう哀願した。

すると、そのおっちゃんが「兄ちゃん少し痛むぞ」と徐にフリムンを背中に背負った。

その瞬間、背中越しに「麻布病院」という文字がハッキリと見えた。
何と肉眼で見える距離にホスピタルがあったのだ。

「こ、こんな事ってあるのか?」

フリムンは再び神に感謝したが、直後、更なる地獄が彼を襲った。

おっちゃんがオンブしながら走るものだから、折れた足がグニャングニャンと揺れ動き、アホみたいに痛むのだ。

「少し痛むぞ」と言ったおっちゃんの言葉に、心の中で「どこが少しじゃっ」と反論した。

助けてもらった恩も、激痛には適わなかった。

そして痛みに耐えかねたフリムンは、事もあろうかおっちゃんの首を締め上げた。

助けてもらった救世主であるにも関わらずにだ。

こんな風に( ̄▽ ̄;)

おっちゃんは気が遠くなりながらも、タップすることなくホスピタルまで辿り着いた。

おっちゃんの勝利だった。

病院に着くや否や、ベッドに寝かされ数人の看護師さんに抑え付けられた。

それから折れた足の向きを元に戻す作業に入った。

痛みを和らげるために麻酔を何本か打ったものの、余りの激痛にフリムンは大暴れ。全員吹っ飛ばしてしまった。

慌てて直ぐにメンバーが増員されたが、フツーにおっちゃんもその中に居た(笑)

この日一番の「功労者」はおっちゃんだった。

麻酔の本数を更に増やし、7~8名掛かりで何とか抑え付け、添え木をして応急措置は終了した。

その間、フリムンは錯乱状態に陥っていた。

今から36年前のこの日は、彼に取って人生最悪の日となった。

最後通告

それから自宅近くの練馬病院へ移送され、緊急手術が行われた。

脛をメスで切り裂き、折れた骨を集めてプレートとボルトで固定。縫合し、実に3ヶ月も入院した。

そして迎えた退院の日、フリムンは主治医から「最後通告」を言い渡された。

「あなたの足はもう一生治りません」
「え?一生っすか?」
「走ることも、運動やスポーツをする事も厳しいです」
「すいません、極真空手をやるために上京したんですが…」
「空手なんて言語道断…極真なら尚更です。諦めなさい」

それを聞いたフリムンは、“呆然自失”となった。

「俺は何のために東京くんだりまで来たんだ?」

医者の言葉が絶対的な真実味を帯びるほど、彼の足はどうしようもないレベルまで使えなくなっていた。

「もう空手は諦めよう」

フリムンは唇を噛みしめながら、覚悟を決めた。 

手術から1年後に取り出し、今では仏壇に保管されている記念のプレート

群雄割拠

トラックの運ちゃんを始めた当初、運ちゃん同士の喧嘩をよく目撃した。

予想していた通り、そこは気の荒い男たちが集う場だった。

始めて煽り運転を目撃した時は、「これが都会かぁ~」と感心した程だ。

ある日の配達中、信号待ちをしていた時の事だ。

クラクションを必要以上に鳴らし、トラックの前に割り込んできた気の荒そうな運ちゃん。

鉄パイプを手に運転席から降り、止めたトラックの窓ガラスをいきなりフルスイングで叩き割った。

もう一切の躊躇なしである(つか鉄パイプ持ち歩くなっ)

「テメェーコノヤロー」
「なんだバカヤロー」
「降りて来いコノヤロー」
「降りねぇーよバカヤロー」

標準語で罵倒し合う都会の運ちゃんたち。

ただ、フリムンにとって標準語は余りにも現実味がなかった。

何故なら、島での喧嘩はこうだからだ。

「ヤーシナサレンド」
「ヤガマサン」
「ノーヌ?タッピラカサレンド」
「ヤガマサン」
「ハッサ、ワジラサンケ」
「ヤガマサン」
「ヌーナラングワァーヤー」
「ヌーヤルバーガーハンバーガー」(いやそこはヤガマサンだろっ)

もはやメソポタミア語だ(知らんけど)

それに比べ、標準語は「俺たちひょうきん族」のビートたけし演じる鬼瓦権蔵でしかない。

どんなに激しく言い争っていても、咄嗟に権蔵が浮かんできて吹き出してしまいそうになる。

当時お茶の間の人気を博していた鬼瓦権蔵(笑)

  ただ、やっている行為は軽犯罪では済まされないレベルだ。

群雄割拠のこの業界で生き抜くためには、やはり遠慮なんてしちゃダメだとフリムンは感じた。

そういう時、腕にお覚えがあると本当に助かった。

どこの運送会社に行っても、「昔極真をやっていた」と口にすれば一目置かれた。

(3ヶ月しかやってなかったけど…汗)

それに、沖縄より東京での反応は全然違った。

東京では空手=極真が定着していたからだ。

更に一般人が絶対に真似できない「飛び後ろ回し蹴り」などを披露すると、皆驚いて一発で仲良くなれた。

敵に回すと“チョイやっかいだぞオーラ”が伝わり、どこに行ってもナメられる事はなかった。

ただ、今はもう「右足曲がりのダンディ」だ。

退院後は、急に外に出るのが怖くなった。

たまに飲み会などに誘われても、「いま襲われたらどうしよう?」という不安ばかりが頭を過り、心から楽しめなくなっていた。

人は自信を失うと、こんなにもビビりになるのかと逆に感心した。

ただ、フリムンは元々イジメられっ子だった。長きに渡りイジメる側に居たので、本当の自分をスッカリ忘れていた。

このヘタレ星人こそが、真の姿である事を久々に思い出した。

「とうとう元の木阿弥に戻っちまったか…」

しかし、そこから這い上がる方法は既に経験済みだ。
時間を掛け足を直し、また自信を取り戻そう。

そう思っていたが、この余りにも絶望的な状況に、少しだけ鬱になった。

そしてそれは、その後何度か訪れる事となる。

怪我をする度に、何度も、何度も、何度も。

運命の再会

退院してからも、暫くは松葉杖の生活が続いた。

その間、フリムンは労災で食いつないだ。

ただ、都会だとマネーの消費量がハンパなく、労災が降りるうちは地元で休養した方が無難だと久しぶりに里帰りすることにした。

その里帰りが、彼の運命を変えるとも知らずに。

島に戻り、実家で休暇をとる事になったフリムンだが、松葉杖を付きながらでも、地元に帰れば遊びに行きたくなるのが若者の性だ。

特にやることもないので、友達や親戚と夜な夜な美崎町(島の歓楽街)へ繰り出した。

たまたま叔母夫婦とスナック(当時)に飲みに行った時の事である。

(そう、あのオッパイの方の叔母だw)

お店でワイワイしながらカラオケに講じていると、入り口から見覚えのある女性が入ってきた。

フリムンは思わず歌うのを止め、マイク越しにその女性の名前を大声で叫んだ。

エコーの効いた彼の声に、その女性も即座に反応。驚いた表情で彼の名前を呼び返した。

「あれ?フリムン?なんで?」

まさに“運命の再会”とはこの事である。

その女性とは、高校時代に(告る前に)フラれた同級生。

そう、あのトンボ先生の生物の時間にちょっかいを出していた彼女であった。

子どもが大好きで保育士さんをしていた当時の彼女

もし足を折らなければ、
もし島に帰省していなければ、
そしてもし二人がこの店を選んでいなければ、
この奇跡の再会は無かったであろう。

こんな偶然、狙って出来るものではない。

気が付けばマイク越しに電話番号を聞き出し、そのまま曲の続きを3番まで歌い切っていた。

(いや歌い切ったんかいっ)

翌日、早速彼女に連絡を入れ事情を説明。

骨折の事や帰省の理由、そしてしばらく島に残る旨を伝え、フリムンはしつこく彼女をデートに誘った。

当時、東京ではワンレンボディコンのイケイケ姉ちゃんが大流行し、どこもかしこも似たような女性ばかりで辟易していたフリムン。

  当時東京に溢れかえっていたイケイケ姉ちゃん達(笑)

そんな女性たちを見慣れたせいか、内気で控え目な彼女が、まるで砂漠のど真ん中で見つけたオアシスのように思えた。

それから毎日のようにデートを繰り返し、遂に彼女を東京に連れていく約束をゲット。

高校時代にフラれてから4年後に訪れた、まさかまさかの大逆転ホームランであった♡ 

当時彼女のトレードマークであったアラレちゃん眼鏡。フリムンの大のお気に入りであった♡

次号予告

次号、開幕する「東京ラブストーリー」
そして、フリムンの心にはポッカリと穴が…?
乞うご期待!!


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この記事を書いた人

田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。


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