【自伝小説】第4話 高校編(4)|最南端の空手フリムン伝説|著:田福雄市@石垣島
虹とスニーカーの頃
強さに憧れるが余り、これまでファッションには殆ど興味の無かったフリムンだったが、イキりだした頃から少しずつヤンチャなファッションに傾倒していった。
開襟シャツやツータックのボンタン。それと先の尖った革靴が欲しくて堪らなかったフリムン。
バイトの新聞配達も辞め、遊び呆けてばかりで金欠だった彼は、程なく知り合いから「お下がり」を「おねだり」するようになっていった。
そうして何とかシャツとズボンは手に入れたものの、肝心の革靴だけが手に入らずにいた。
しかし、ファッションは足元が命。
仕方なく白のスニーカーを油性マジックで黒く塗り潰し、暫くお茶を濁す事にした(ダサッ)
そんな矢先、とある後輩から要らなくなった革靴をゲッチュする事ができた。
半履きばかりしていて踵の部分が潰れ、新しい革靴を購入するので要らなくなったからだという。
この願ってもないチャンスを棒に振るわけにはいかない。
半履き上等…彼は即決でその革靴をお下がりった♡
「これで上から下まで全部揃った」
喜び勇んだフリムンは、翌朝からフル装備で学校に赴き、皆の視線を独り占めにした。
そんなとある週明けの事である。
今週もフル装備で登校するぜとイキっていたが、靴箱の最上段にあるはずの革靴が消えてなくなっている事に気付いた。
「あれ???ばあちゃん俺の革靴は?」
「あ~あれ、踵が潰れていたからゴミに出したよ」
「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ?」
「代わりに白いスニーカー買ってきたからこれでお行き♡」
少年は頭を抱え、マトリックスの如くエビ反りながら悲鳴を上げた。
「おわぁーーーーーー何してくれてんだぁーーーーー」
「あんな汚い靴で学校に行くなんて恥ずかしいでしょっ」
「イヤあれがカッコイイんだってばっ」
「全然カッコよくないっ」
「これ、ただの体育館シューズだろっ」
「体育館でも図書館でも靴は白っ」
「いや意味っ」
もう何を言っても埒が明かない。
ブチ切れたフリムンは、決して言ってはいけない言葉を思わず祖母に投げつけた。
「本当の親でもないくせに勝手な事ばかりすんなっ!」
次の瞬間、同時に二人とも硬直した。言われた方はもちろん、言った方もだ。
よっぽどショックだったのか、いつもなら泣き出すはずの祖母が無言で立ち尽くしていた。
フリムンはその後ろ姿を見て、胸が張り裂けた。
叱られるより泣かれる方が辛かったが、泣かれるより無言で立ち尽くされる方がよっぽど辛かった。
しかし、もう吐いた唾は呑み込めない。
居ても立っても居られなくなった彼は、そのまま家を飛び出し、その日は友達の家で過ごす事にした。
これが、生まれて初めての家出であった。
翌日、まだ日の上りきっていない早朝、フリムンは気まずい雰囲気のまま帰宅した。
すると、台所で背を向けながら炊事をしていた祖母の傍らに、湯気の立った作り立ての朝食が用意されてあった。
「お腹空いたでしょ、冷めないうちに食べなさい」
「あ、ありがとう・・・」
そう言ってから無言でお皿を洗い続ける祖母に、彼は蚊の鳴くような小さな声でこう呟いた。
「ばあちゃん…昨日はゴメン…あんなこと言って…」
「ばあちゃんこそゴメンね…あなたの気持ちも考えずに…」
水道の音と少年のそしゃく音だけが響き渡る台所の窓から、すっかり登り切った太陽が二人を明るく照らしていた。
それから数十年後、沖縄出身の「かりゆし58」が大ヒット曲「アンマー」をリリース。
それを初めて聞いたフリムンは、この「革靴事件」を思い出し涙が止まらなくなった。
晩年、祖母が寝たきりになった時、彼は祖母の手を握り締めながら耳元でこう囁いた。
「ばあちゃん、僕を産んでくれてありがとね♡」
すると、祖母は信じられないような力で手を握り返し、彼の頭を撫でながら涙をこぼした。
変わり果てた彼の頭を、何度も、何度も、何度も。
(いや火傷するわっ)
ちなみに祖母が買ってきた白いスニーカーは、油性マジックで黒く塗り潰され、二代目の革靴が手に入るまで履かれ続けたのは言うまでもない。
パーマ屋ゆんた
革靴以外に、もう一つ足りないアイテムがある事に彼は気付いた。
そう、リーゼントである。
直毛だったフリムンは、サイドが膨らみ過ぎてカッコ良いリーゼントが作れない事に悩んでいた。
(他に悩むことないんかいっ)
そこで、友達に頼んでパーマを当ててもらう事にした。
パーマ液が、想像以上に頭皮にダメージを与える事など露ほども知らずに。
それから数時間後、チリチリとなったパーマネントヘアーをドライヤーでシッカリと伸ばし、祖母のヘアスプレーを使ってリーゼントを完成させる…はずだった。
しかし、友達がロッドのサイズをミスったようで、完成した人生初のリーゼントは、どこからどう見ても大阪のおばちゃんにしか見えなかった。
変わり果てた姿となったフリムンは、そのまま無言で帰宅。
部屋に引きこもり、暫く「不登校」となった。
現在、島の不登校児童生徒を支援する「登校支援員」を務める彼だが、その理由と、この「パーマ屋ゆんた事件」との間には・・・何の因果関係もない。
これが、彼を不登校に陥れた髪型である(ダサッ)
P-サイズ
空手と決別したフリムンが、その空いた時間を使って真っ先に手掛けたのが、夢にまで見たコントグループを作る事だった。
彼の地元、平得(方言でピサイ)出身の同級生を集め、新入生歓迎会でコントを披露。
手っ取り早く人気者になろうという算段であった。
そんな彼をリーダーとし、幼馴染で結成した「Pサイズ」は、幼馴染だけに呼吸はピッタリ。
練習の時から腹を抱えて笑い転げ、自分たちのコントに自分たちでツボりまくっていた。
そんな一瞬一瞬が楽しくて仕方がなかったフリムン。
「何度生まれ変わっても、また自分に生まれ変わりたい」
という名言を残すほど、とにかく生まれた次の日から人生を楽しみまくっていた。
ちなみにこの「Pサイズ」というグループ名は、実は偶然生まれた産物であった。
先述した通り、少年たちの出身地が平得(方言でピサイ)であった事から、皆で話し合いグループ名を「ピサイズ」にしたのだが、Y高祭の実行委員会がそれを勘違い。
誤ってプログラムに「Pサイズ」と記入してしまった。
しかし、それを見たメンバーは大絶賛。
最初からそうであった事にしようと真相を隠蔽し、何食わぬ顔でコントデビューを果たしたのであった。
衝撃のデビュー戦
体育館が揺れた。
新入生だけでなく、館内に居た誰もが足踏みをしながら笑い転げた。
その振動で、体育館が揺れたのだ。
鳥肌が立った。
そして全身に電流が走った。
人を笑わせるってこんなにも気持ちの良いものだったのか?
新入生歓迎会で縦横無尽に暴れ回るPサイズの面々。
興奮冷めやらぬ中、舞台を降りた面々は十分過ぎる程の手応えを感じていた。
この日を境に、Pサイズは伝説のコントグループとなり、今も尚、その名を轟かせている。
ちなみに下の写真は、調子こいてバンドにまで手を出してしまったY高祭の時の写真である。
ただ、当時流行りのチェッカーズファッションで行こうと決めたのに、何故かフリムンだけは「プロジェクトA」のジャッキーに寄せ過ぎてしまっていた。
細胞の隅々まで浸透していたジャッキーへの愛は、いつまで経っても色褪せることはなかった。
当然、それは今も尚、現在進行形中である。
(次号、ついにフリムンの恋の話が始まる?・・・乞うご期待!!!)
ーーー
この記事を書いた人
田福雄市(空手家)
1966年、石垣市平久保生まれ、平得育ち。
八重山高校卒業後、本格的に空手人生を歩みはじめる。
長年に渡り、空手関連の活動を中心に地域社会に貢献。
パワーリフティングの分野でも沖縄県優勝をはじめ、
競技者として多数の入賞経験を持つ。
青少年健全育成のボランティア活動等を通して石垣市、社会福祉協議会、警察署、薬物乱用防止協会などからの受賞歴多数。
八重山郡優秀指導者賞、極真会館沖縄県支部優秀選手賞も受賞。
ーーー
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?