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太宰治「葉桜と魔笛」 本文と矛盾するタイトルの意味

はじめまして。

最近インスタグラムで読書記録をはじめたのですが、もっと書きたいものが出てきたときは、noteで書いてみることにしました。よろしくお願いします。

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葉桜と魔笛は、太宰治の初期の短編で若い二人の姉妹が主人公の作品です。
ただ、その内容は謎に感じる部分も多く、タイトルの「魔笛」についてもあまり語られていない気がします。
今回はそのことを含め、自分なりの感想をつけてみたいと思います。

こちらは「葉桜と魔笛」をすでに読んでいる方向けに書いています。
ネタバレしかありませんので、ご注意ください。


〇作品概要
1939年に文芸雑誌『若草』(6月号)で発表。
作中年代設定…日本海大海戦の日(1905年5月27日から5月28日)←姉20歳時
語り手の老婦人としての姉がいる時代設定…発表年と同じぐらい←姉55歳時

〇「葉桜と魔笛」あらすじ

35年前の妹の死の際の物語。当時姉は20歳、病気を患っている妹は18歳。
妹は病魔には勝てず、神の口笛に見送られ穏やかに亡くなっていった。
それを現在55歳の姉の独白体で思い返している。

〇誰が笛を吹いた?

あらすじにも書いた「神の口笛」を誰が吹いたかについてはこのお話の論点になるものの一つです。
ただ、私はここは「わからない」を答えとしようと思います。

これは独白体の特徴ですが、口笛を誰が吹いたのか語っている姉がわからない以上、本文を見てもそのことは誰にもわかりません。
ただ、ここで大切なのは、20歳の時の姉はこれを「神の口笛だ」と認識したということです。
そして55歳の姉は「神だったのか父だったのか」と揺れ動いていますが、「やっぱり神様のお恵みでございましょう」と認識しようとしています

〇本編と対立するタイトル

ただ、ここでタイトルの「魔笛」が問題になってきます。

主人公である姉は2度にわたって、この口笛を「神のもの」と認識しようとしています。
しかし、この小説のタイトルは「葉桜と魔笛」です。
本文に従うなら、このタイトルは「葉桜と神笛」になるはずと思います。
なぜタイトルは「魔笛」になったのでしょうか。次に物語の構造からこのことについて考えてみようと思います。

〇2段階ではなく、タイトルを含めた物語構造

20歳の姉と55歳の姉を図にすると、次のような入れ子構造が考えられます。
そして、先ほどの疑問をその図に書きいれてみました。

図1

やはり本文の内容とタイトルは矛盾しています。

そこに私はこのタイトルを付けた別の意思があることを感じます。
その意思を入れた図が次の形です。

図2

「神笛」を「魔笛」と付けた別の意思
そしてそれを想定するとタイトルの「葉桜と魔笛」がしっくりくるような気がします。
葉桜は花の盛りをすぎた女性の象徴になります。
この小説では20歳で生き遅れてしまっている姉がそれにあたります。
「葉桜(20歳の姉)が魔笛について語る話」→「葉桜と魔笛」の物語。
これがタイトルの意味ではないでしょうか。

〇神の笛にもたらされた姉の安らぎ。

この構造の意味をさらに進めていきます。
20歳の姉にとって笛は神の笛であり、安らぎを与えてくれるものでした。
この部分からそれがわかります。

「神さまは、在る。きっと、いる。私は、それを信じました。妹は、それから三日後に死にました。医者は、首をかしげておりました。~けれども、私は、そのとき驚かなかった。何もかも神さまの、おぼしめしと信じておりました」

妹の死を前にして気が狂うようになっていた姉ですが、ここで神の笛によって妹の死を祝福されたものと感じ、姉が妹の死のつらさから救われることができたことが描かれています。

〇神の笛→魔笛への変容

ところが、ここでタイトルをつけた人の、神の笛を「魔笛」とする意思をとりいれて読み直します。
すると、神の笛ではなかったので、浄化はされません。
場面は物語で言うと、どうしようもない悲しさで妹が叫んだ状態です。

「ああ、死ぬなんて、いやだ。いやだ。」

魔笛である軍艦マアチがかすかに聞こえ、妹は現世に未練を残し、つらい気持ちを語りながら死んでいきます
姉はその妹に何もできなかったことをつらく思いながら生きなければいけないのです。
そして、タイトルをつけた人はそれを感じることを、タイトルを読める読者に求めています。

〇時勢との関連

ここで小説内の時代設定や、発表年について少し考えてみます。

この物語は
・主の舞台は日本海大海戦の日(日露戦争時)
・発表年度は第二次世界大戦直前
・聞こえてくる軍艦マァチ
と、20歳の姉が日本海大海戦を「あとで知ったこと」というぐらい、戦争に疎いわりには、小説としては戦争を取り入れていることがわかります。
特に、神の笛である軍艦マァチは唐突とも言えるぐらいです。戦争と死が近づいている時代の物語です。

〇神の笛での死・魔笛での死

このような状況で太宰も死をテーマとしてこの小説を書いているのではないでしょうか。
今までに述べた「神の笛で浄化された死」「魔笛で浄化されない死」を図にしてみました。

図3

ここまでくると姉妹の話だけでなく、戦争での死も含め、死者の辛さを感じること自体を求められている気がします
それを認めるのはつらいことですが、だからこそ、安易に死を浄化してはいけない、そして生を大切にしなければいけないということを感じさせられると物語だと思います。

〇まとめ

ここまで、安易に死を浄化してはいけない、そして生を大切にしなければいけないというテーマについて、物語の構造から語ってきました。

「姉さん、あたしたち、間違っていた。お悧巧すぎた。ああ、死ぬなんて、いやだ。あたしの手が、指先が、髪が、可哀そう。死ぬなんて。いやだ。いやだ。」

この部分は印象に残る言葉として、この小説の感想に何度も取り上げられています。
それは、この妹の痛々しい言葉が、死を迎える者の痛みを浄化せずに意識する、ということを、きちんと伝えているからでしょう。

最後に感想ですが、信仰で死を美化しないことを読者に求めるのは太宰治の厳しさを感じます。
けれどタイトルでは神の笛ではないと言っているけれども、小説内の55歳の姉に対しては「たぶん神の笛でしょう」と言わせて、まだ魔笛からくるつらさを直視させていないところに、太宰治のやさしさも感じました。


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