ガイコツ
2024年4月。
153㎝、22キロ、BMI9.4
21歳の誕生日を迎えた4月
140の服もブカブカ。
春なのに、極暖のヒートテックを3枚重ね着して、トレーナーに裏起毛のパーカー
そこまでしないと体温が35度を保てなかった
家の近くの病院もどこも重症すぎて見てもらえず、
病院を回され続けた日々
大阪にも行った
でも見てもらえない
京大病院と京都府立病院の予約は取っていたが、5ヶ月も先だった
京都府立医大病院には通院はしていた
私は入院がとても嫌だった
病院食なんて食べたくない
自分の好きなものだけ食べたい
まる(犬)と離れたくない
理由は沢山あった
でも、1番の理由は“お母さんと離れたくないだった“
体は限界だった
痩せすぎてエネルギーがなく、熱も出ない
インフルエンザになった日も37度ぐらいだったが本当は40度以上の熱が出ていると医者に言われた
赤ちゃんでもできる熱を出すこともできなくなっていた
寝ていると、布団やマットに尾骶骨や背骨が擦れ血が出る
お尻なんか肉もなく、骨の形が浮き出ていて椅子に座ることもできない
立ち上がる時は、ふくらはぎや太ももに電気が走ったような痛み
歩く時もハムストリングはピキピキ言ってて、お母さんの歩くスピードについて行くのが毎日必死だった。
足は毎日肉離れを起こしたような痛みで体の中で頭が1番重いことが実感できた
多分想像つかないだろう。
『人体模型』の言葉がピッタリだった体だった
普通の人は、体がしんどくて歩く、なんてありえない。
お母さんには先生から
「もういつ死んでもおかしくないです。そのリスクは承知で生活してください。」
そう言われてたそうだ。
その度にお母さんは泣いていた。
それが申し訳なかった。
でもお母さんは
「まなを信じるから。必ずお母さんと治そう!」
そう言ってくれてた。
愛栞はお母さんを裏切る人じゃない。そう信じてくれていた
数々の病院に行っても、食べさせないのが悪い、なんで食べないの、そう責められるだけだった。お母さんも私たちに必要なのは医者じゃなく、親子の絆なんだってわかってくれてた。
ご飯も1日1食になり、その量も500calもとれてなかった
水分も1日100mlしか飲まず、電解質以上もきたしていた
血が足りないから採血は針を刺しても全く出てこない
採血検査の結果は全項目LかH
普通の人なら動けなくなるのが普通だ
だけど私はハイ状態で生活していたため、過活動も続いていた
家の階段を何度も上り下りする
病院に行った時は待ち時間は病院探検をする
食べ物の動画を見て満足する
その頃の私は食べ物を見てお腹を満たす技まで身につけていた
もう限界なんだ。それはわかっていた
でももう遅かった
食べようと思っても、胃が破裂しそうで食べれない
普通の人は食道を食べ物が通っても痛くないし、沢山食べても食べすぎた〜で済む話。
でも私は脂肪が全くない体になっていた為、食道を通る時に神経や血管に触れ痛みが走る
食べすぎると胃が膨張して形がくっきりとわかり、他の臓器を圧迫してこれまた激痛が走る
トイレに行っても力むことができず、腸のどこに💩があるのかがはっきりと皮膚上からわかった為、押し出していた
アンパンマンのスティックパンをたった3本食べただけで救急搬送された
その時は終わったな。そう思った
外に出ると、ガイコツだと言われた
家にいると待っているのは死だけだった
ここまでくるともう戻れない
でもその時薄々は感じていた“しんどいの気持ち“
その気持ちを伝えると入院させられると思ってお母さんに言えなかった
“しんどくない“そう言い聞かせて頑張った
あの時正直に言えてたら…
入院した今だから言えること
入院したら絶対後悔するから。そこに行くまでに踏みとどまって!