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【長編小説】「水槽の魚」


 七時になろうとしているのに、今朝はまだ薄暗く、青い。庭を見ると、まるで水の中のように静かだ。しんしんと雪が降っている。

 そろそろ娘を起こさないとならない。なのに、青い景色が愛梨を神妙な気持ちにさせる。体が思うように動かせない。
 いまだ忘れられない思い出を揺り起こした。

 こんなだからわたしはダメなのだ。家庭ひとつ守れない。自分を責める。

 一度目の結婚も失敗した。あれは若気の至りだと言ってしまえば片付けられるが、今回は子供もいるのだ。

 夫は車のダッシュボードに入れてある離婚届に気づいただろうか。
気づいて平静を装っているのなら、彼はかなりの役者だ。
 しかし、裏表のない極めて善人な夫が、そう器用に立ち回れるはずがない。まだ気づいていないのだ。
 どうしようか、いっそのこと、夫の鼻面に叩きつけようか。
 夫は、鳩が豆鉄砲をくらったような顔をするだろう。そして微笑むだろう。
「話してごらん。君の中に渦巻く思いを」
 そう言ってわたしの手を優しく包むだろう。

 優しいのが、いやなの。

 まかり通る言い分じゃない。かえって彼は笑うだろう。
「愛梨、おいで」
 彼はわたしを抱きしめようとするだろう。

「やめて! だからわたしは苦しいの!」
 あなたを愛していないの。どう頑張ってもあなたを愛せないの。わたしが愛しているのはあなたじゃないの。

「じゃあ、どこの誰なんだい?」
 訊かれても答えに困る。なぜなら、どこに存在しているのかなんて、もうわからなくなってしまったからだ。遠い昔に。

 涙を堪えた。静かに涙を流すだけでは済まなさそうだからだ。いったん涙が流れたら、発狂したように泣くだろう。
 あの夜のように。

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