「お母さん、それ、脳の栄養よ」
最近、立ち上がってどこかへ行こうとするのだが、どこへ行くのかわからなくなることがあるのだ。
その手にはゴミが握られていることもある。
つまり、ゴミ箱のあるところへ行こうとしていたのだ。
それがわからなくなるのだ。
階段を上ろうとしてトイレのドアを開けていたり。
戸棚まで行くが、なにを取ろうとしたのかわからず考え込む。
いままで流れでできていたことが、あれ?どうしてこんなに手間取っているんだっけ、となる。
ガスコンロの火を弱火にして放っておいてピーピー警告音が鳴る。これは危ない。
また、買い物に行くときに必要なものをメモするのだが、ものの名前がでてこないときがある。
たとえば、キャベツとか。
キャベツという名称がでてくるまでに、ピーマンじゃなくて、レタスじゃなくて、あれよあれ、なんだっけ?となる。
娘と話していても、あれとそれがこれで、と指示代名詞ばかりでも会話が成り立つ恐ろしさがある。
もうこの歳で認知症?
「お母さん、それ、脳の栄養よ」
「栄養?」
のCMでお馴染みのサントリーオメガエイドを飲んだ方がいいのだろうか。
それとも、刺身定食をまえにした徳光和夫と唐揚げ定食の唐揚げを箸で持ち上げ、いつまでも離さない井筒和幸のCMでお馴染みのDHA&EPA+セサミンEXを飲んだ方がいいのか。
どちらがいいのだろう。
そんなサプリなんかで認知症が治せるとは思ってはいないが、ここのところの症状ですっかり心細くなっておるので、なにかにすがりたくなる。
娘は「まだ大丈夫だよ」といってくれているが、本人が焦るのだ。
小説が書けなくなったらどうしよう💦
ねこや娘の名前を忘れてしまったらどうしよう💦
施設で暮らしている両親。
いま、母はもうわたしが誰なのかもわからない。
父は自分がどこにいるのかさえわからない。
とてもつらそうだ。
そうなってまで生きなければならないのだろうか。
わたしはいやだ。
孫の顔を見たら、悔いなく天国へ旅立ちたい。
娘に下の世話とかしてほしくない。
さっさと施設にぶちこんでもらって、とっととこの世を去りたい。
やだねえ、夜は鬱々して。
睡眠薬も飲んだ。まだ効いてこないが。
眠ることが脳にもいいのだ。
まだまだ書ける。
これからなのだ。
そう、これから、未来は開かれていくのだ。
書くぞお!
小説を!
キャベツだろうがピーマンだろうがたいして変わらない!
豚バラと炒めたらどちらも美味しいではないか!
頑張れ!自分!
生涯現役、と渋谷のよく当たる占い師にもいわれたではないか!
よおし!がんばるぞ!
でも、いちおうサントリーオメガエイドでも飲んでおこうかな。
いや、わたしはサントリーの回し者ではないぞ。くれぐれもいっておくが。
ブロッコリーやら焼き魚、鶏肉に豚肉、ゴマにココア、良い栄養を摂取して、ピンピンコロリ、といきたいではないか!
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