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連載長編小説「愛をください」#9

*困惑期
 着付け師のいうとおり、挙式はあっという間だった。
 父親と腕を組んで入場し、新郎の岩田くんに引き渡す。神父により誓いの言葉と指輪を交わす。みなの前でキスをしなければならないのが恥ずかしくて嫌だったが、拒否するわけにもいかない。   
 ライスシャワーを浴びてチャペルの階段を下りていく。靴でドレスの裾を蹴りながら歩くことを着付け師に教わっていたので、つまずくことはなかった。人生初めてのドレス。スカートもまともに履いたことがないわたし。なんでこんな格好しているのだろうか、とふと頭をよぎる。そこに悦びはない。写真撮影で式場のカメラマンだけでなく、方々からカメラを向けられているので、ひとつひとつに丁寧に応じた。
 祝福の言葉を浴び、挙式が終わると、着替えて婚姻届を役所に出しに行き、そのまま新婚旅行に向かった。行き先はドイツとオーストリアだ。フランクフルトまで飛行機で十二時間。着いた日はホテルに泊まり、眠るだけだった。岩田くんは飛行機で爆睡していたけれど、わたしはほとんど眠れなかったので、倒れ込むようにベッドに入った。しかし新婚初夜にすることはひとつだろう。岩田くんが真顔で這うように近づき、わたしに迫ってきた。ムードもなにもなく、ただパジャマを脱がされ、速攻挿入されたので、ひどく痛かった。きっと岩田くんも初めてなのだろう。動作がぎこちない。わたしは痛みにただ耐えるだけだった。屈辱で涙が溢れてきた。女であることを思い知らされたし、女であることをとっとと辞めたかった。もう二度としたくないと思った。実際、出血もし、痛みが数日引かず、それからの岩田くんの誘いにも断ることしかできなかった。
 
 ツアーだったので、団体行動は時間厳守。朝の出発がどれだけ早かろうが、日本人なら集合時間の十分前には集合場所に向かう。あらためて集合してみると、わたしたちと同じ新婚旅行で参加してるカップルが三組もいた。あとは親子連れや友達同士などなど。
 ドイツ見学のルートはバスに乗り、ロマンティック街道を南下してノイシュバンシュタイン城へ。岩田くんはこの旅行のために一眼レフのカメラを買ったので、カシャカシャと派手な音を立ててシャッターを切っている。
 基本的には予約されているレストランで食事をとるが、豚肉の料理にザワークラウトばかりでちょっと飽きる。でも、夜の街に繰り出して飲むビールとソーセージは格別に美味しかった。
 オーストリアに入ると、一気に華やかになる。ホーエンザルツブルグ城やシェーンブルン宮殿などを見学し、ハルシュタットでは湖で捕れる魚の料理が出てきた。やっと魚にありつけた喜びで、猫が舐めたように綺麗に食べ尽くすわたしに岩田くんや周囲は驚いていた。
 ウィーンでは黄色い壁のモーツァルトの生家を訪れたが、人でごった返していてひとつひとつをゆっくりと観ることはできなかった。
 自由時間、岩田くんとわたしは市電に乗り、郊外にあるベートーベンの記念館へ行った。実際に使っていたというピアノも置かれていた。それからベートーベンが歩きながら交響曲第七番『田園』の構想を練ったという、有名な小路を歩いた。見学も終わり、坂を下り、足が悲鳴を上げた頃に、ワイナリーに出くわした。テーブル席もあり、軽く飲むことができた。微発泡した白ワインが、疲れた体にほどよく染み込んだ。
 翌日、打ち解けて仲良くなった新婚カップルと一緒にカフェへ行き、とにかく舌が痺れるほどに甘ったるいザッハトルテを食べ、ウィンナーコーヒーを飲んだ。
 土産はあれこれと迷わず、モーツァルトの顔が箱に描かれたチョコレートを選んだ。岩田くんが「僕の土産も選んでよ」というので、「わたしが岩田くんの会社の人間関係、知るわけないのに選べないよ」と突っぱねた。すると岩田くんは憮然とした。「いい加減『岩田くん』はやめろよ」
「ああ、そうだった。なんて呼べばいい?」
「なんでもいいよ、尚一郎でも尚でも」
「わかった、じゃあ尚くんにするね」
 すると岩田くん改め尚くんは機嫌を直した。
 尚くんは、朝のバタバタの中、わたしも身支度があるのに、自分のことはおろか、荷造りの一切を手伝ってくれようとはしなかった。したがって、朝起きて、二人分の着替えを出して、使ったブラシや髭剃りなどをポーチにしまってキャリーバッグを閉じるまで、すべてをわたし一人でやらなければならなかった。その割には、「ほら、時間だよ。日本人なら十分前の十分前には集合場所に行かないと」とはっぱをかけるのだった。きっと大事に育てられ、甘やかされてきたのだろう。「服はどこで買ってるの?」と付き合っているときに訊いたのだが、彼は「母親が買って送ってくれる」といった。その時点で彼の甘ったれを気づかなければならなかった、とあとになり思う。
 
 新婚旅行から帰ると、それぞれの職場に戻った。彼はエンジニアの仕事に、わたしはカフェの仕事に。新居は両方の職場からだいたい中間地点に決めた。二LDKのそう広くはないマンションだ。わたしは十時開店の十五分前に合わせて家を出ればいいので、朝御飯は手をかけて作った。彼のお弁当も毎日作った。花嫁修業などしてはいなかったが、カフェでたまに厨房に入ることがあったので、台所仕事に難はなかった。
 晩御飯は凝ったものは作らなかったが、二人とも晩酌が一番の楽しみなので、つまみを何種類か用意した。いつもクラシック音楽を流し、ビールや時にはワインを開け、ゆっくりと時間をかけて晩御飯を食べた。もちろん、「ヘンデル会」にも参加しているので、毎週日曜日には練習に通った。加藤さんや佐伯さんを家に招くこともあった。簡単な手料理を振る舞い、四人でワインを二本開けた。わたしと岩田くんあらため尚くんが結婚したからといって、四人のノリが変わることはなかった。加藤さんが『メサイア』の曲のイントロを口ずさむと、どこにいても我々は次々に声を合わせ歌った。
 とても充実していた。······といいたいところだが、わたしにはどうしても乗り越えられない苦痛があった。夜の営みだ。彼も慣れないことだからなのか、前戯がほとんどなく、いきなり挿入しようとする。わたしの体が女性らしいものではないからなのかもしれないが、とにかく痛い。あまりにわたしが痛がるので、ある日彼はローションを買ってきた。それで痛みは多少減ったが、わたしは屈辱のあまり、毎晩まるで犯されているような苦痛を味わった。行為のあとでわたしが涙を流していると、彼は「そのうち慣れるよ」と他人事のようにいった。こればかりは誰にも相談できない。わたしは次第に鬱々とした気分に落ち込むようになっていった。
 
 『メサイア』の本番が終わり、年明けにまた加藤さんと佐伯さんを含めた四人で温泉旅行に行った。部屋割りをどうするかを悩んだが、やはり男子と女子に分かれることにした。
 佐伯さんはわたしたちの新婚生活を根掘り葉掘り訊いてきた。子供を作る予定はないのか。岩田くんの実家とは上手くいっているか。
「子供は自然に任せる。何がなんでも作ろうというわけではないし、要らないわけでもない」わたしは答える。
「そっか、でも楽しみ」佐伯さんは無邪気にいう。
「お義母さんとは探り探りやっている。やっぱり結婚すると遠慮がなくなるから、まるで召し使いみたいにこきつかわれるけど。それよりお義姉さんとの方が気を使うかな。なんかたまに出した料理にケチつけられたりするんだよね。トマトの切り方が悪いとかね、こまごまと」ちょっと愚痴った。でも佐伯さんは「春香さん、強いから大丈夫だよ」と慰めてくれた。そんなに強くないんだけどな。思ったが、口には出さなかった。

『メサイア』のシーズンが終わると、わたしと尚くんは土日に何をするかに迷った。せっかくだからどこかに出掛けたいが、車を持っていなかったし、尚くんは事前に下調べをして計画を立てるようなまめな人間ではなかった。それに、わたしもアクティブな方ではないし、休みくらいは昼まで寝ていたかった。
 したがって、毎週末はぐだぐだとだらしのない生活を送っていた。
 尚くんは、家事を一切手伝わなかった。お皿くらいは洗ってくれないかと試しにいってみたが、そんなものは主婦の仕事だろう、と返ってきた。その冷たさにいささかショックを受けたが、時々腰を揉んでくれたりするので、最低限の優しさはあるのだろうとよしとしてしまっていた。
 
 四月になり、頬に触れる空気も温さを感じるようになった頃、わたしは吐き気に悩まされていた。食事のあとに胸やけがし、尚くんにコーラを買ってきてもらい飲んでいた。そのうち、食事を吐くようになった。尚くんは「春香、生理は来てる?」と訊いた。わたしは「そういえば来てないかも」と答えた。
 尚くんは家を飛び出して行った。薬局に向かうためだ。急いで戻った彼の手には、妊娠検査薬が握りしめられていた。わたしはトイレに入った。心臓が尋常ではなく高鳴っていた。もしかしたら。考えると怖かった。なんの心の準備もできていなかった。妊娠検査薬のパッケージを開け、取り扱い説明書通りに尿をかけた。まだ終わらないうちにくっきりとした線が表れ、陽性を示していた。
 尚くんに報告すると、飛び上がらんばかりに喜び、「明日産婦人科に行こう」と鼻息荒くいった。
 その晩は眠れなかった。自分が母親になるイメージがまるで湧かなかった。痛い思いをして産むのも嫌だった。間違いでありますように、と祈った。
 ところが翌朝、産婦人科で診察を受けたわたしたちは医師の決まり文句の「おめでとうございます」という言葉を掛けられた。妊娠五週目で、エコーの写真をもらったが、そこには小さな豆のような塊が写っていた。
 家に帰ると、尚くんはわたしになにも相談せずに実家に電話を入れた。
「春香が妊娠したんだ」
「あら! ほんとなの? やだあ、おめでとう!」お義母さんの声で、尚くんの携帯は割れんばかりに響いていた。尚くんがわたしに携帯を手渡した。
「もしもし、春香さん? でかしたわね、本当におめでとう! 予定日はいつ?」
「年明けです」
「そう! 体、大事にしてね」
「ありがとうございます」
 どっちかしら、たのしみねえ、といってお義母さんは通話を切った。
 次に、わたしの実家にも電話を入れた。母親は「あんたが母親に? 信じられないわ」と吐き捨てた。でも、最後に「安定期までは無理するんじゃないわよ」といってくれた。
 尚くんは、仕事の帰りに本屋に寄って、『たまごクラブ』という妊婦が読む雑誌を買ってきた。
そして、なんとお皿洗いを進んでしてくれるようになった。これにはわたしも驚いた。尚くんにとってはきっと楽しみでしかないのだろう。でも、わたしにとってはプレッシャーでしかなかった。
お腹の中で育っている命が異物のように感じたし、母親になる心構えもなかった。ただ、出来てしまったものはどうにもならないし、自分の血を引く子供はもともと欲しかったので、将来を楽しみにすればいいのだ、とポジティブに考えようとしながら、つわりと闘っていた。

                  続く
 


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