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追いかけられると

なんとなく、追いかけられると、かえって遠ざけたくなる。
本質的にそういう人間なのかもしれない。
 
自分から追いかけていく分には、心は盲目だ。ただただ、必死だ。周りに目もくれず、自分の目標に邁進する。そうなると、人は気持ちがいい。迷いなく、未来に向かって進んでいく。

それは自立であり、自律である。それはすなわち、自分の内部から、「自己」なるものを、そぎ落とし、自分なるものを自分の内側に明確に位置づける行為だ。

誰かに追いかけられると、それが逆転する。誰かに執拗に必要とされると、そのバランスが崩れる。自分でいくなら、自己を正しく位置づけることができる。しかし、誰かに追い立てられた時に、僕は僕を見失ってしまう。自分は自分を捨て去るほかなくなっていく。

世界を把握するためのスピード感は、自立の、もしくは自律の中にあるのだろう。そのいびつな世界観の中で、僕らは創造を重ねていくしかない。言葉での規定による永遠性の獲得は、そのような逼迫した日常から逃れるためにあるのかもしれない。

2023/05/06


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