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マンマミーア的5分間

私は長年、いろんな国の人に日本語を教えてきているが
最も人数が多いのがドイツ人だと思う。(数えてはいないが)
ここ20年以上毎日のように彼らと接してきて
ドイツ人の笑いのツボも適宜刺激できるようになっている(笑)

そんななか、もちろん他の国の人とのご縁もちらほらある。
ここ何年かで一番印象深いのはやはりイタリア人だと思う。
日本にあるドイツ系企業で彼に出会ったが、イタリア本国の会社に
転職が決まるまで彼は日本にいた。彼が日本にいたのはコロナ禍の少し
前からの3年半。全部書けば、一冊の本になるかもしれないぐらい
本当にいろんなことがあった。他の国の生徒さんに比べて明らかに
ドラマティックだった。詳しいことは書けないけれど。

今日、ご紹介したいのはそんなことではなく
彼の日本語への取り組みかた。

彼はイタリアで日本人の友人に少し日本語を教わってきていたが
ほとんど完全初心者レベルで私とのレッスンを始めた。
最初は、日本での日常生活に必要なスーパーやコンビニでの
聞き取りや、レストランやカフェでの注文のやり方など
いわゆる旅行会話のようなものをやる。
そしてあれはまだ3回目のレッスンだったと思うが
「話したいことがあるから、日本語で話してみる!」と
英語で宣言し、そこから5分間、すごく楽しそうに「日本語らしき
言語」で彼は話し続けた。

ひとしきり話してから
とても満足げな笑顔で「どうだった?わかりましたか?」と聞く彼に
「ごめんなさい。全然、わかりませんでした。」と私が言うと
彼は涙を流さんばかりに大笑いをして、私もつられて一緒に笑った。
そのことはそれ以来、たびたび私たちの話題にのぼり、懐かしんで
よく笑ったものだ。

でも、そこから彼の日本語への取り組み方は終始そんな感じだった。
そんなに大昔ではない数年前のレッスンなのに彼と一緒に教科書を見た記憶が
ほとんど思い出せないほど、彼はよく喋った。話題は自分の日常のことだ。
週末に何をしたか、新しくできた友人のこと、参加したイベントのこと
家族のこと、彼女のこと。とにかく日本語で話そうとする。
ある日、彼の同僚の一人のドイツ人生徒さんがあることを
私に教えてくれた。そのドイツ人生徒さんが言うには
イタリア人のその私の生徒さんが日本人の同僚と日本語だけで話していたのを見て
驚いたと。あれは彼が5分間スピーチで大笑いした日から
1年ぐらい経った頃だと記憶している。

もちろんまだわからない部分や部分的に英語の単語もあっただろうと
思うが、それでも、ほぼ日本語だけで1年で同僚と話せるようになる人は
さすがに滅多にいない。

彼の取り組み方は日本人の語学への取り組み方と対極にあると思う。
彼は本当に少しの文法と語彙しかない状態でも話そうとしていた。
おそらくこの段階では多くの日本人は「まだ話せない」と
判断するのではないかと思う。

日本人の英会話への取り組みを見ていると泳ぎたいのに
川に飛び込まず、河岸でどう泳ぐのかをひたすら研究している
ようにも見える。かたやイタリア人のこの生徒さんは絶対にまだ
泳げない段階でも、とりあえず川に飛び込んで溺れかかるという
ことをやってのける。

今私は、自分のドイツ語会話力を上げるために
ドイツ語会話に再挑戦しているが、泳げなくても川に飛び込む意味を
痛感している。飛び込むとわかるのだ。
どこまで泳げて、どこから泳げないのか。

Standfmでも話しています。







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