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福島の思い出

今日3月11日の14時46分、ラジオ番組と共に黙祷をした。私は目をつぶらず黙祷する。なぜか目をつぶりたくないのだ。
震災で亡くなられた魂と、いまだに傷を負う人々を思う。どうか癒されますようにと。

私は震災前に三度福島を訪れたことがある。一度目はお腹が大きい時、二度目は息子がゼロ歳の時、三度目は息子が一歳の時。毎年正月にあわせて過ごしていた。
福島の人々はあたたかい。お土産を買えばオマケをしてくれるし、宿の女将は採算度外視の食べきれないほどの料理でもてなしてくれた。私は第二の故郷のように感じていて、毎年訪れようと決めていた。そのくらい福島を愛していた。しかし震災後、一度も福島に行けていない。

私は震災後も変わらず福島に行きたかった。しかし主人は許さなかった。主人の職場のお客様に東電のクレーム担当の方がいて、その方から原発の状況を詳しく聞いていた。福島には行くのはすすめない、小さな子供がいるなら絶対に止めた方がいいと聞かされていたから。

あれから11年。宿の女将に常連と認められてか、次は愛車であるハーレーのサイドカーに息子を乗せてあげると約束してくれていた。その約束はいまだ果たされないままだ。
毎年のように料理していた三陸の牡蠣。あれからいまだにスーパーにその姿をあらわさない。
福島県産の野菜や果物は他の産地のものよりいまだに少し安い。
廃炉の見通しが予定より遅れていて、注水による原子炉の核燃料の冷却はいまだに続いている。
あれから11年も経つのに状況はいまだ変わらない。それくらい傷痕は深いのだ。

福島はとても自然にあふれていた。海も山もあるし、温泉もたくさんの野菜や果物もある。私はその全てを味わい尽くそうと楽しみにしていたが、いまだその思いは果たされないまま、私の思いは置き去りのままだ。

ひとりでもいい。いつか福島に行くと決めている。あの時の安らぎを胸に、いまだに癒されきれない人々のもとへ共に笑い、共に泣きに行きたい。

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