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おみくじの和歌を愉しむ

先週の火曜日、中1の息子が学校の移動教室中止の代替えとして鴨川シーワールドに一日行ってきた。
その日の夜、玄関に紙切れが落ちているのを私が見つけ、拾うとそれはおみくじだった。これは息子のものだろうと思い目を通すと和歌が目に入った。
おみくじって和歌が書いてあったっけ?
今まで全くその存在に気付かなかったことに驚きながら和歌を詠む。春らしい爽やかな歌だった。運勢を見ると大吉。いいじゃん、と思い息子に確認した。
どうやら友達からもらったおみくじらしく、人からもらったおみくじは運が移ると聞いていたらしいのでもらったとのこと。
私はふーん、と思いながら聞いていた。

それから昨日の土曜日、朝何もやることが無い息子が私にじゃれついてくるのでそれから解放されたいが為にNHKの「チコちゃんに叱られる」を見せることにした。
そこでは何とおみくじに和歌が書かれている理由を教えてくれる内容。なんとタイムリーなことか!私は夢中で見始めた。

もともとおみくじは和歌が書かれているものだった。なぜ和歌か?和歌は平安時代に書かれた古今和歌集によると、スサノウノミコトが31文字の和歌を詠んだことが始まりらしい。そこから人々は神様は和歌で思いを伝える、お告げをすると考えた。
昔の人も悩みや願いがあると神様からのメッセージを求めたが、しかしその声は聞くことができない。それを巫女を通じて神様から和歌という形でお告げを聞いた。それがおみくじのルーツの一つだというのだ。

なんとロマンチックなことか!私は今の今まで和歌に全く興味がなかったことにすごく損をして生きていたと感じた。それを見ていた息子は突然自分の部屋に駆け出し、おみくじを持ってきた。
前とは違うおみくじ。何故もう一つあるのか聞いたら友達は三つおみくじを引き、二つをもらったという。息子にせがませられながら、テレビを見つつ和歌を詠んだ。

吹きあるる 嵐の風の 末遂に 
 道埋もるまで 雪はふりつむ

吹雪の情景が浮かぶ。外にも出られずただ家の窓からその情景を眺めているのだろう。何も出来ないままに。今年の冬に体験した大雪の記憶が蘇った。
どうやらおみくじの和歌から現在の悩みや願いを重ね合わせてメッセージを読み解くらしい。
息子はその解釈を私に求めた。

息子は今の結構大変な状況にある。一年間続けた野球だが顧問に退部届けを出した。一緒にやろうと誘われた友人が辞めたのだ。同期では息子と二人きりだったため、息子は友人が辞めたら絶対に辞めると言っていた。引き留めはしたが、引き延ばせはしたものの、友人の意志は変わらなかった。
しかし顧問は簡単にはOKは出さない。どうやら今の学校のやり方はそうらしい。すぐには了承しないのだ。友人も実は宙ぶらりん状態。終わらせることは簡単ではない。
息子は別の友人からサッカーに誘われていて、その友人からサッカーが上手だと誉められていて調子に乗っている。野球を辞めてサッカー部に入部しようとしている。
ところがそこには父親が待ったをかけた。安易すぎないかと。入部は認めないし、ユニフォームも買ってやらないと言っている。仮入部ならいい。その代わりずっと仮入部だと。
息子は顧問から退部も了承してもらえず、父親からもサッカー部入部も拒まれている。どうしようもない状況なのだ。
私はその息子の今の状況を説明した上で和歌は今の息子の状況と全く同じことを告げ、また今は動くな待てと和歌は伝えていることを教えた。
息子は「なるほど~」と感心して少し今の状況を客観視したようだった。
私も面白いと思った。31字という凝縮された短い和歌に自分自身の長いストーリーを重ね合わせ、一度短くなったそれらがまた共に膨らんで拡がる様が世界創造のビッグバンの前のように感じた。
こうやってまた新たなストーリーが始まる。息子は今、弾け飛ぶ前段階なのだ。大吉だった春らしい和歌が書かれたおみくじは神社嫌いの父親に破り捨てられてしまったので読み解くことは出来ないが、私の記憶では春を告げる和歌だった。
今の状況はまだ何も変わらないが、じきに雪はとけ、春の訪れとともに気持ちよくスタートをきれることを告げていたに違いないと思う。

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